<?xml version="1.0" encoding="UTF-8" ?>
<rss version="2.0">
<channel>
<title>劇評アーカイブス | 関西えんげきサイト</title>
<link>https://k-engeki.net/archive/</link>
<description></description>
<pubDate>Tue, 01 Oct 2024 10:11:27 +0900</pubDate>
<generator>SOY CMS 3.22.6</generator>
<docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs>
<language>ja</language>
<item>
<title>マリヤの賛歌を上演する会「マリヤの賛歌－石の叫び－」</title>
<link>https://k-engeki.net/archive/article/446</link>
<guid isPermaLink="false">https://k-engeki.net/archive/article/446</guid>
<pubDate>Tue, 16 Dec 2025 14:41:22 +0900</pubDate>
<description><![CDATA[一人芝居「マリヤの賛歌―石の叫び」は慰安婦体験をもとにした城田すず子の自伝『マリヤの賛歌』を原案に、くるみざわしんが戯曲を執筆し、岩崎正裕が演出、金子順子が出演した作品である。2022年の初演を経て各地で上演を続けており、戦時性暴力の構造的な問題を、現代社会の抑圧構造と地続きのものとして描き出している。2025年9月15日、一心寺シアター倶楽で観客としてこの上演に立ち会った時、強く印象に残ったのは、創作者たちが「城田すず子」という存在と向き合う際の真摯で注意深いまなざし、そしてその言葉を観客に手渡す時の慎重な手つきだった。
言葉を「伝える」こと
登場人物は「私　『マリヤの賛歌』を繰り返し読む女」ひとり。「私」は、城田が東京下町の比較的裕福な家に生まれたことや、家の借金を返すために芸者屋に奉公し、海軍御用達の台湾の遊郭や南洋諸島の慰安所で働くようになった経緯を語る。語りは『マリヤの賛歌』を読む形で進められ、「私」は城田が戦後に占領軍向けの慰安所で働いたこと、婦人保護施設に身を寄せ、神への祈りと出会ったこと、戦地での体験を語り始めたこと、と語り進めつつ、城田の言葉と「私」の思考の狭間で揺れ動き、葛藤する。やがて「私」は戦争が女を「無垢な女」と「汚れている女」に二分する構造の問題に気づき、その二分する態度が自分自身の中にもあることと向き合う。金子の表現は、城田の言葉と慎重に対峙した時の「私」の心の揺らぎを観客に向けて伝えていた。舞台上の「私」は、語り手であると同時に城田の言葉の聴き手でもある。城田の言葉を媒介することで、観客に「この声をどう聴くか」を問いかける。その距離の取り方は、当事者の痛みを容易に代弁しないための倫理であり、劇場空間には、問いを考えるための時空間が綿密に構築されていた。
観客の位置づけ－「青みどろの沼」と「あわれみの池」
舞台美術は最小限であった。机と椅子、机の上には『マリヤの賛歌』と「石」。基本的に照明と音響も控えめで、舞台と客席は「観られる－観る」の区分の中に収まっている。だが、その区分を乗り越えて二度、客席に光が届く場面があった。第1景「私の部屋」で、「私」は、慰安婦として死に、世間から見えないものとされてきた女性たちを想い、次の台詞を言う。

私は目を伏せる。動きを止める。気づかれるのが怖い。傷は痛んで、腐って、肉が崩れ、足元から沼が広がってゆく。たくさんの女が日の当たらない沼の底に、口を失い、かたまっている。身を寄せて集まったわけじゃない。何かの都合で集められて帰れず、死んでここに放りこまれた。女たちを集めた「何かの都合」は生き延びている。（１）

女性たちを日の当たらない沼の底に集めた「何かの都合」を告発するこの言葉が語られている時、客席全体が薄青い光に照らされる。その演出は、観客を「沼」として見立てているかのようであった。沼は女たちの肉が腐ってできたものであり、女たちを閉じ込める檻でもある。その沼との同一視は、普段見えていない「女たち」の気配を観客席に生じさせる。そして終盤、第11景「祈り－復活祭の夜」で、再び客席に薄青い光が当たる。この景で「私」は、城田が人生の終盤に安心して暮らせる保護施設に入った後も、自分の過去を理由に差別を受ける悲しみや悔しさの中にいたこと、しかし神に祈ることで励まされ、詩を書いたことを観客に伝える。その詩の一部は次のようである。

私はアダム以来の／わるい代表の蛇です／私はその長い間の汚名をなくすため／主にあわれみを乞いました／涙を流し長いからだをまるめ／青みどろの沼からぬけ出すため／主にあわれみを乞いました／主はおっしゃいましたそんなに一生懸命ならば／私はあなたにあわれみの池をあたえましょう／友が集まって来るでしょう／長い間の汚名をなくすために／一つ一つのうろこの間にしみている／沼のにおいを消すために（２）

ここで語られる「青みどろの沼」という言葉は、第1景で「私」が語った「日の当たらない沼」を思い出させるものである。詩はその沼から抜け出すために神が「あわれみの池」を与える、と続くのだが、それらの言葉が紡がれている時に、観客席が薄青く照らされる。この時、観客席は「あわれみの池」として見立てられているようであった。青い光は観客席を舞台上の世界に一体化させ、舞台上の出来事は人ごとではないのだと静かに観客に伝えていた。「青みどろの沼」ではなく「あわれみの池」として存在するためには、どうしたら良いのか？そう問いかけているように感じた。
ラジオの声と観客のリスナー化
上演の終盤の忘れられない場面は、「私」が城田のラジオ放送での証言を巡る語りをする場面である。城田は、慰安婦として戦地で性の提供をさせられた女性たちの凄惨な状況、状態を1985年のラジオ放送で語った。その様子を、「私」はそれまでの抑制した語りではなく、そこに城田が居るかのような存在感で身体化した。「私」が向き合っているものが、自伝の「文章」からラジオが伝える「声」に変わったということが、変化の背景にあるのかもしれない。「声」は文章よりも直接的に声の主の存在を訴える。その「声」は、想像していたよりもどっしりとした、強さと芯のある声で、城田の人生の重たさを感じさせるものであった。その重たさに、強く感情が揺れた。その時、観客は1985年の放送を聴いていたリスナーの一人となっていたのかもしれない。当時のリスナーの中には、ラジオ放送を聴いて城田に寄付をした人々がおり、城田は集まった寄付で慰安婦の鎮魂碑を建てたという。寄付という実際の行動に移るほど、当時のリスナーの心は激しく揺さぶられたのだろう。そして、観客席に居た私の心の中にも、その現象が生じたように感じた。
受け渡された後は
本公演は、城田すず子の言葉を奪うことなく、注意深く伝えようと試みていた。舞台上の「私」は、当事者の声を代弁することを避けながら、その痛みと祈りを観客に手渡し、慎重に編まれた語りと薄青い光は、観客にそれぞれの立ち位置を問いかけた。城田の声をどう受け止められるのか、どうその声を可視化できるのか。そして、女性を二分して戦争による性被害を不可視化しようとする社会構造をどう変えていけるのか。観た後に考えることは尽きない。私に何ができるのだろうか、と。注（１）原案城田すず子、作くるみざわしん『マリヤの賛歌－石の叫び』1頁（劇場販売用の上演台本）。（２）同上、９頁。本来の詩ではスラッシュ部分で行が変わっている。
主な参考文献原案城田すず子、作くるみざわしん『マリヤの賛歌－石の叫び』（劇場販売用の上演台本）。城田すず子『マリヤの賛歌（Kindle版）』岩波書店、2025。]]></description>
</item>
<item>
<title>サファリ・P『悪童日記』</title>
<link>https://k-engeki.net/archive/article/425</link>
<guid isPermaLink="false">https://k-engeki.net/archive/article/425</guid>
<pubDate>Thu, 28 Aug 2025 15:54:53 +0900</pubDate>
<description><![CDATA[「ことば」が作り出す空間
コロナ禍、再評価された小説『ペスト』の作者アルベール・カミュは、フランスの支配下にあったアルジェリアで育った。その生い立ちは、代表作のひとつ『異邦人』の主人公ムルソーのように、カミュにどんな国家や民族にも帰属意識をもてなくさせた。そんなカミュは国籍を問われて、こう答えたという。

ええ。ぼくには祖国があります。それはフランス語です。

カミュにとって、言葉によってつくられた祖国とは一体どんな場所だったのだろうか。高橋源一郎は、『「ことば」に殺される前に』のなかでムルソー＝カミュが唯一生きられた場所とは、作品の中、すなわち、フランス語という「ことば」が作り出した束の間の空間だったとしている。

その空間だけが、彼を「等身大」の人間として生きさせることができた。フランス語という「ことば」が作り出した、束の間の、「文学」という空間。「文学」はあらゆるものでありうるが、自らが「正義」であるとは決して主張しないのである。「ことば」は人を殺すことができる。だが、そんな「ことば」と戦うことができるのは、やはり「ことば」だけなのだ。（高橋源一郎『「ことば」に殺される前に』河出書房新社、2021年、22―23頁）

アゴタ・クリストフの『悪童日記』の主人公であり、タイトルにもなっている日記の書き手である双子もまた、「ことば」を必要とした人物だ。戦火の炎がじわじわと迫ってくる状況で、双子は疎開するために親元を離れ、母方の祖母に引き取られる。その後の生活は過酷なものだ。冷たく、汚れ、痛み、飢え、そして孤独な毎日を、泣くことも逃げ出すこともせず、淡々とサバイブしていく双子は、ある時、日記を書きはじめる。なぜ双子は日記を書きはじめたのだろうか？双子は言葉に何を求めたのだろうか？それはカミュのように生きるための武器だったのだろうか？
見るものに鈍痛をあたえる舞台
6月にロームシアター京都で上演されたサファリ・Pの『悪童日記』は、日記の体裁をとったこの小説を舞台化したものだ。今回は４度目の改訂版にあたる。その印象は“明”というよりは“暗”であり、“軽”では全くなく、“重”である。暴力的な場面では、見ていて思わず体をこわばらせてしまう。その点では“快”ではなく、“不快”と言ったら言い過ぎだろうか。装飾的なものは一切ない無機質な舞台に、簡素な身なりの俳優たちが身体のみを道具に、双子の物語を綴っていく。不思議なのはシンプルで抽象度の高い舞台であるにもかかわらず、ある具象性を伴って鈍痛を見るものに与えることだ。2017年に初演された『悪童日記』は山口茜が上演台本を作成・演出した、サファリ・Pの代表作のひとつである。当日パンフレットに掲載されている、最新版に至るまでの変遷は次のとおりだ。まず、初演時には感情表現を避け、事実のみが簡潔に記された双子の日記の文体そのものを舞台化することで、観客に思考を促すような作品を目指した。それが2019年版では、双子の主人公のうち一人を女性が演じることで、第二次世界大戦下を子どもとして過ごしたアゴタ・クリストフ自身の姿を投影し、この物語が原作者の戦争体験からくるものであることを示唆。2024年版では、双子の疎開先となった祖母について、偏屈で厳しい老女としてだけでなく、祖母なりの愛情表現にフォーカスしたという。そうして迎えた今回の上演。小説に立ち返って、そこに書かれたことだけを舞台に引き写し、初演から貫く無機質な印象はそのままに、日記には決して記されなかった双子の感情をより強く感じてもらえるような舞台を目指したとある。
日記のルール
「そこに書かれたことだけを舞台に引き写す」という目標に至ったのには、原作にほどこされたある仕掛けが関係している。双子は、祖母から子どもとして守られ、愛されるようなことはなく、労働力としてあつかわれ、その役割を十分果たせなければ食べることもままならない。それどころか手を上げられることもしばしばだ。風呂に入れてもらうこともなく、服は擦り切れ、身体中汚れにまみれ、周囲からは疎まれていた。ある日、双子は日記を書くことを決める。屋根裏部屋を秘密の書斎にして、そこで見つけた聖書を暗誦することで言葉をおぼえ、作文をはじめる。「ぼくらの学習」と題されたある日の日記には、作文のルールについてこう説明されている。まず、「おばあちゃんの家に到着」や「ぼくらの労働」といった題で作文するよう、互いにお題を出し合う。書き終わると、互いに見せ合って良か不可かを判定し、適宜修正を加える。判定の基準について双子はこう説明している。

ぼくらには、きわめて単純なルールがある。作文の内容は真実でなければならない、というルールだ。ぼくらが記述するのは、あるがままの事物、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない。（略）感情を定義する言葉は、非常に漠然としている。その種の言葉の使用は避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実な描写だけにとどめたほうがよい。

繰り返しになるが、『悪童日記』は「双子が書いた日記」という体裁をとった小説だ。そこに書かれた文章は日記という括弧で括られることによって、「小説というフィクションの内側においてはノンフィクションでもある」という二重性を帯びることになる。「事実の忠実な描写だけにとどめる」というルールを素直に受け取るなら、読者は日記、すなわち小説の内側に生起する事柄は全て事実として読まなければならない。そこに書かれているのは、生きることの過酷さに疲れはて、こころを失った大人たちの不道徳で無慈悲な振る舞いである。そして、大人たちの汚れきった顔を写す鏡であるかのように、大人に負けず劣らず、生きるためには手段を選ばず、時に冷酷な一面も見せる双子。全てが事実なのだとしたら、あまりに世界は残酷だと思わざるをえず、読者の多くは日記に記された人々の業の深さに胸を痛めるだろう。日記のルールは、事実の忠実な描写、その再現性の精度を高めるために双子が自らに課したものである。皮肉なことに、このルールは、「事実」とは言葉で完璧に再現できないことを暗に意味してしまっている。また、双子は感情や主観をできるだけ排して、「あるがままの事実」を日記帳にとどめようとするが、どれだけ禁欲的にルールを守ろうとしても、時折、母を思い出しては感情がこぼれ出てしまう。だからといって、日記にしたためられた言葉が事実のなりそこないに見えず、むしろルールを徹底できないことが日記に切実さとリアリティを与えているところに『悪童日記』の凄みがある。
揺れる主体――彼らは一体誰なのか？
では、サファリ・Pはこの仕掛けをどのように舞台化してみせたのだろうか。会場となったロームシアター京都のノースホールはブラックボックス型の空間だが、装置類は置かず、ほぼ裸舞台の状態にステージとなる平台が組まれているだけである。その平台は５つに分解できるようになっていて、組み合わせ方を変えるとステージの形状が変化するようになっている。空間は墨汁のように漆黒にそまっているのに、張り詰めた空気と無機質さゆえに色を感じさせない。闇――まるで戦時下、多くの人間が陥った闇をあらわしているかのようだ。5人いる出演者の身なりもまた、モノトーンである。双子を演じる達矢（サファリ・P）と森裕子（Monochrome Circus）以外の3人は、「おばあちゃん」、教会の神父や女中、「兎っ子」と呼ばれる隣家の娘などの複数の役を演じわけていく。上演は達矢が観客の前に現れ、挨拶をするところから始まる。次いで辻本佳が登場すると、達矢を指して「彼は、男性です」「彼は、筋肉質な体をしています」といったように彼の性別や身体的特徴などを説明する。こうした説明は、物語の途中、途中で差し挟まれる。例えば、おばあちゃんを演じた佐々木ヤス子（サファリ・P）について、達矢と森が次のように説明する。

達矢「彼女は、女性です」森「彼女は、色が白い」達矢「彼女は・・・取り立てて特徴のない体型をしている」森「彼女は、泣きぼくろがある」達矢「彼女は黒ずんだ灰色のブラウスを着ていて」森「黒ずんだ灰色のスカートを履いている」達矢「頭に黒い三角の布を被り」森「兵隊用の古い靴を履いている」達矢「彼女は決して裸にならない」森「夜寝る時、スカートを一枚脱いだけれど」達矢「その下にもう一枚スカートを履いていた」森「ブラウスを一枚脱いだけれど」達矢「その下にもう一枚ブラウスを着ていた」森「脱いでも脱いでも同じブラウス」達矢「脱いでも脱いでも同じスカート」森「彼女は、おばあちゃんです」

当初、役をまとって登場した出演者について改めて説明されると、当然ながら観客はその身体的特徴や服装などに注目することになる。佐々木は昔話に出てくる年老いた魔女のように腰を曲げ、低いガラガラ声を出しておばあちゃんを演じていたが、説明を受けてまじまじとその身体を見てみると、「おばあちゃん」と呼ばれるには若すぎるように思えてくる。演じ手への信頼に揺らぎが生じてきたところで、「彼女は、おばあちゃんです」との断言で説明はしめられる。結局、この説明における「彼女」とは演じ手の佐々木のことを指していたのか？それとも「おばあちゃん」のことだったのか？また、こうも言えるだろう。彼女とは佐々木でもなければ、おばあちゃんでもない。このように観客の目の前にあるひとつの形象＝身体と、それを説明するテクストとを結ぶ主語＝彼女は一対一の関係にはない。では、観客は一体何を見ているのだろうか？もうひとつ、説明の場面を取り上げてみたい。兎っ子と女中、そして双子の母を演じた芦谷康介（サファリ・P）を囲んで、辻本と佐々木は次のように説明する。

辻本「彼は、男性です」佐々木「彼は髪の毛が短いです」辻本「彼は鼻筋が通っています」佐々木「彼は痩せ型です」辻本「彼はなで肩です」佐々木「彼は、若い女です」

ここまでの場面で芦谷は筋肉質の身体を隠すことなく、一方でわざとらしく女っぽい声色やしなをつくって女たちを演じていた。そのため、観客は最後の「彼は、若い女です」における「彼」と「若い女」の間にギャップを感じざるを得ない。このギャップこそ演出が強調しようとしているところで、日記のルールはこのようにして舞台化されているのではないだろうか。双子は事実を忠実に描写しようとする。だが、事実それ自体は読者には確かめようがない。読者は『悪童日記』に綴られた日記とともに、日記の書き手である双子が事実を言葉に置き換えていく様を見守っている。そんな感覚をこうした演出が引き起こし、観客に双子が見た光景を想像せよと訴えかける。
観客を共犯者に変える力
そうして観客は舞台を介して戦場の光景を想像する。兵士たちのあとに従って家畜のように牽かれていく人々の場面では、出演者たちはうなだれ、気力なく両碗をだらりと下げて足を引きずるようにしてゆっくりと歩く。単純な動作を機械的に繰り返す身体が平台の上をはっているだけなのに、その光景に触発されて、ロダンの『地獄の門』や、丸木位里と俊の『原爆の図』が閃く。そして、原爆が投下された直後の広島と長崎、住民を巻き込んだ激しい地上戦となった沖縄戦、パレスチナ・ガザ地区で続く戦闘とそこに暮らす人々の約45％は14歳以下の子どもだということ・・・凄惨な光景が次々と数珠繋ぎに浮かび上がる。舞台はいたってシンプルで、飾り立てたところは一切ないというのに。むしろそのことで舞台は観客を揺さぶる喚起力を増し、観客を想像／創造の共犯者に変える。戦争を題材にした作品には実際の戦地のむごさをどうやっても再現できないことへのもどかしさがつきまとう。『悪童日記』の双子にとって、日記とは自分たちが目撃した戦時下の人々の姿を言葉でいかに再現できるかを試みるキャンバスだったのではないか。そして日記のルールを書き入れたのは、「実際のむごさは言葉ではあらわしきれない」というもどかしさのあらわれであろう。ただ、それでも書かざるをえなかった。サファリ・Pの舞台はその切実さに寄り添おうとするもので、もどかしさを何か代わりになるもので埋めようとするのではない、潔いまでの清貧さにこころをうたれた。なお、本作は12月19日〜21日かけて東京・すみだパークシアター倉で上演予定である。上演会場の変化とともに舞台の表情がどのように変わるのか、未見の方はもちろんのこと、すでにご覧になった方にもぜひ劇場に足を運んでいただきたい。]]></description>
</item>
<item>
<title>兵庫県立ピッコロ劇団第81回公演 ピッコロシアタープロデュース『神戸 わが街』</title>
<link>https://k-engeki.net/archive/article/368</link>
<guid isPermaLink="false">https://k-engeki.net/archive/article/368</guid>
<pubDate>Mon, 31 Mar 2025 00:00:01 +0900</pubDate>
<description><![CDATA[阪神・淡路大震災から30年
阪神・淡路大震災から30年目をむかえる今年、兵庫県立ピッコロ劇団が別役実の『神戸　わが街』を上演した（2月22日観劇、兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール）。本作は2004年、震災から10年に際して、ピッコロ劇団に書き下ろされた作品だ。ソーントン・ワイルダーの『わが町』の潤色作品でもある。今回、劇団員の吉村祐樹の演出で再演するにあたり、初演ではなかったプロローグが付け加えられた。舞台中央には上手から下手（舞台に向かって右から左）へとゆるやかに下るスロープがあり、無印だが、汽車の停車場を指すかのような標識が立っている。上手前方には白い模型が置かれており、街を形作っているようだ。それ以外には何もない空間に、出演者たちが椅子やテーブル、梯子などを持って現れるとプロローグが始まる。出演者たちの挨拶があり、ワイルダーの『わが町』についてかいつまんだ作品解説がなされる。最後、別役劇には欠かせないものとして電信柱を立て、別役は『わが町』をどのように脚色したのでしょうか？と一声あって、いよいよ本編となる。 プロローグが付け加えられたこともあって、登場人物というよりも、それを演じる劇団員たちの心の揺れが伝わってくる舞台だった。生っぽさ、とでも言おうか。それは乾いた風がそよぐ別役劇には馴染まないもののようにも思えたが、意外にもこちらの心にすとんとおさまった。観る者の心を揺さぶる共振力は本作から滲み出る作者・別役実の死生観によるところも大きい。では、別役はワイルダーの『わが町』をどのように潤色し、ピッコロ劇団は2025年のいま、本作にどのように向き合ったのだろうか。
無調から方言へ
タイトルに「神戸」と付いてはいるが、本作は単に舞台を神戸に移し替えただけの作品ではない。1995年1月17日に多くを失った街・神戸の物語であり、同時に、あれから30年の間に各地で起こった災害で大切なものを失った人々の心をも慰める作品でもある。 阪神・淡路大震災は別役の作風に大きな影響を与えた。『神戸　わが街』より10年前、すなわち、震災が起きた年の1995年に別役は『風の中の街』をピッコロ劇団に書き下ろしている。震災が起こったことで、当初の予定を延期して上演するにあたって、別役は台詞を関西弁になおしたという。別役劇の特徴に、電信柱一本とベンチだけといったような簡素な舞台空間と、女１、男１といった記号化された登場人物とその折り目正しい言葉遣いがあげられる。個性のない言葉づかいは無機質で乾いた印象を与え、かつて、劇作家・演出家の田中千禾夫はそれを「無調」と評した。そうした別役の劇文体に大きな変節をもたらしたのが震災後のピッコロ劇団での公演であった。内田洋一は、方言を取り入れた『風の中の街』についてこう評している。

『風の中の街』で震災後の現実が濃厚な関西弁から思いがけない形で伝わってくるのに鮮烈なおどろきがあった。一時的に難民状態におちいった人たちがそこかしこで話すあいさつ言葉、その生活感が舞台に立ちこめていた。なにしろ、劇場の外では行き場を失った小市民たちがまさに放浪者となって行き暮れていたのである。（内田洋一『風の演劇　評伝別役実』）

それまで無国籍、無調とされてきた別役の劇言語は方言によって肉感的になり、以降、別役は演劇における方言の効用を説くようになったという。『神戸　わが街』でも登場人物たちは関西弁を話している。しかし、一人だけ標準語で話すものがいる。進行役という登場人物だ。なぜ彼だけは話し言葉が違うのだろうか。
『わが町』にはたらく法則
その答えは、本作が神戸という個別具体的な場所の物語であり、同時に神戸ではない街、誰かにとってのわが街とも感じさせる物語でもあるという二重性に関わっている。この二重性はもとになっているワイルダーの『わが町』にすでに備わっているものだ。ワイルダーの『わが町』は1938年に発表され、その後、ピューリッツァー賞を受賞。今日まで繰り返し上演され、各地で愛され続けてきた名作だ。とはいっても、何か大きな事件が起こることもなく、痛烈な社会風刺や政治的メッセージが盛り込まれているわけでもない。そこで描かれるのは慎ましい日常の風景だ。物語の舞台はアメリカ合衆国ニューハンプシャー州グローヴァーズ・コーナーズという架空の小さな町。時は1901年、１幕は隣り合う二つの家族、ギブス家とウエブ家のごく普通の日常が描かれる。その3年後、ウエブ家の娘エミリーとギブス家の息子ジョージは共に16歳になり、結婚することになった。2幕は2人の結婚式の朝を描く。３幕はさらにその9年後、舞台は丘の上にある墓地に変わる。死者たちが静かに町を見下ろしている。そこへ死者となったエミリーがやってくる。彼女はお産で命を落としたのだった。彼女はもう一度生前の世界に戻りたいと願い、時は12歳の誕生日の朝に巻き戻される。死者となった彼女の目には家族の何気ない日常の風景がとてつもなく美しくかけがえのないものに映るが、生者たちはそのことに全く気づいていない。エミリーはその様子を見て、人生というものを理解できる人間はいるのだろうかと問いつつ、もとの墓地へと戻る。さて、本作には以上の物語を一歩引いたところから眺めている、舞台監督という登場人物がいる。舞台監督は場面が変わるとそれがいつ、どこなのかを説明し、物語の進行役をつかさどっている。舞台監督は舞台上で展開する物語と客席の間、すなわち虚構と現実の境界線上に立ち、両者を橋渡しする役割を担っているのだ。１幕はこの舞台監督がステージに現れるところから始まる。舞台上に装置はなく、幕もない。そこに舞台監督がテーブル、椅子、ベンチを置き、この劇の作者、演出家、出演者を紹介する。そしてニューハンプシャー州グローヴァーズ・コーナーズという町の物語であると説明すると、物語が始まるのだ。このように、ワイルダーは舞台監督を通して意図的にこの物語がどこの誰の物語なのかを特定している。どこにでもある町のどこにでもいる人々の出来事とはしていないのだ。そうであるにもかかわらず、観客の多くは舞台上の出来事を自分のことのように錯覚する。特定の街の特定の人々の物語ではあるが、そこで繰り広げられるのは、歯を磨く、朝の身支度をする、他愛もないおしゃべりをするなど誰もが何かしら経験したことのある出来事だからだ。別役はこのことについて「特殊化すればするほど普遍化する」という法則が働いているとして、次のように述べている。

ここには「特殊化すればするほど普遍化する」という法則が働いている。奇妙な話だが、世界の片隅で発生した小さな出来事は、「どこにでもあるよ」ということでどこにでもあることを伝えられるのではなく、「ここにしかないよ」ということで、逆にどこにでもあることを伝えられるのだ、ということである。（別役実「奇跡のように美しく、数学のように硬質な舞台空間の成立の秘密」）

ワイルダーの『わが街』は、その始まりは「幕なし、装置なし」とト書きで指定され、簡素な、そして客席と地続きであるかのような空間として立ち現れる。そこに舞台監督によってごくシンプルで必要最低限の道具が運び込まれ、時にそれはエミリーの家の食卓になり、また、ジョージの家のそれになり、そして町のミルクホールのテーブルとなる。この演劇的仕掛けを支えるのは観客の想像力であり、簡素で何にでも見立てられる空間は観客自身の経験を重ねやすくもある。一方で、それとは相反するように、この物語がいつどこの誰の物語かをワイルダーは厳密に具体的に指し示してもいる。「どこでも」と「ここにしか」の間の往還運動によって、観客は目の前に立ち現れる空間をグローヴァーズ・コーナーズという町として、そして自分自身の街としても受けとめられるのだ。
いまだ鮮やかな震災の記憶
別役はこの特殊化すればするほど普遍化するという法則を慈しむように、『わが町』を潤色し、震災の記憶と「いま」を生きる観客との間をつなぐ橋をかけようとした。 物語の展開は概ね『わが町』を踏襲している。ちなみに、別役は本作に限らず、町ではなく街の方を好んで使っていた。舞台監督の役割は「進行係」という人物が担っている。その役割から考えるに、進行係だけが標準語をしゃべる理由とは、舞台上の虚構の世界と客席という現実の世界の境界線上にいて、両者を取り持つ立場にあるために、できるだけ個性を脱色した言葉である必要があったのではないだろうか。進行係が要所要所で語ることで、物語の個別具体性は普遍化の方向へと押し広げられるとも言える。進行係とは虚構と現実、個別性と普遍性の間の緊張関係を維持するために、それぞれの比重の調整役のような人物でもあるのだ。 ただし、『神戸　わが街』ではこの緊張関係が崩れる場面がある。３場になり、進行係を介してこの物語の舞台が阪神・淡路大震災によって被災した街でもあることが告げられる場面だ。３場が始まると進行係は２場から9年経ったと告げ、次のように語る。

もちろんこの街も変わりました。五年前の一九九五年一月十七日、午前五時四十六分、明石海峡、北緯三十四度三十六分、東経一三五度〇二分を震源地とする、マグニチュード七・三の大地震が発生、死者六千四百三十四人、全壊家屋十万棟、被災者数三十二万人という、大災害をもたらしたのです。ひとつの街が、というよりひとつの文明が引き受けるには、大きすぎる惨事ということが出来るでしょう。街を歩くとまだそこここに、災害のつめ跡が生々しく残されております。これほど大きな変化をこうむった街……。ですが、にもかかわらず、というより、だからこそと言った方がいいんでしょうか、私は、そうでありながらこの街の、変わらなかったことの方に目が向いてしまうのです。

それまで本作はワイルダーと同じく、グローヴァーズ・コーナーズの二つの家族を中心とした物語だったが、街の住人たちは関西弁を話している。話し言葉はローカルなものであっても、あくまでも舞台上に描かれる街は架空のアメリカの街として観客の目には映っていたが、物語の舞台が神戸であることが告げられることで、住人たちの話し言葉と物語のつながりが俄かに緊密化する。虚構と現実のバランスが崩れ、現実が生々しく迫り上がってくるのだ。加えて、被害について形容詞的に語られるより、数字を並べられた方が真に迫ってくる。ワイルダーが劇冒頭にほどこした仕掛けのように、別役は進行係にこと細かく、震災の規模を進行係に語らせることで、これが他でもない、震災後の神戸の物語であるとしているのだ。進行係を演じた今仲ひろしは、それまで飄々とした佇まいで物語を俯瞰していたが、震災の描写の場面では声に力がこもっているように感じられた。なぜなのか。ここで冒頭のプロローグが思い出される。あのプロローグは作品解説だけでなく、この劇を誰が演じているのかを見るものに強く意識させる効果があった。その上で、先の場面についても進行係の演技として受けとめると、やや大袈裟に感じられるものも、役を演じる俳優と震災との心の距離がそこにあらわれていると捉えれば、納得する。今仲をはじめとするピッコロ劇団にとって阪神・淡路大震災の記憶は30年経っても鮮やかなのだ。そして、そう感じた観客であるわたしにとっても、震災に傷ついた街の姿はあまりに生々しく身近なものなのだ。こうして本作は30年前の神戸の物語を介して、いまを生きるわたしたちと震災の記憶との心の距離を浮かび上がらせているのだ。
永遠なるものとして確かめられる日まで
震災に触れられたあとの何もない舞台は、まるで被災した直後の神戸の街のようでもあり、そこに出演者がテーブルや椅子を運び込む様子はかつてあった街の姿を再現しようとしているかのように見える。その一方で、生々しく現実感が前傾化したあとでも、本作は震災で傷ついた神戸という街の物語として閉じていくのではなく、広がりをもって終幕をむかえる。別役は進行係にこうも語らせている。

でも、やがて時がたつ……。晴れた日、雨の日、風の日……。そして我々は、悲しみというものが、静かに流れる時間のようなものに思えてくる……。ね、この時ですよ、死というものが永遠なるものと結びついて考えられるようになるのは……。その人の面影でもない、その人の思い出でもない、その人の名前でもない、その人の残した物でもない、それらは次第に薄れて、何かしらもっと手堅い、何かしらもっと確かな、永遠なるものとしてそれが確かめられるようになるんです……。

時の経過は死者を忘却の彼方に押しやるのではなく、むしろ、より確かな永遠の存在へと変容させる。作者の壮大な死生観は、死者を悼む者の心に優しく寄り添う。死者となったエミリーは生前の家族とのひと時を見て、人生というものを理解できる人間はいるのだろうか？と問うていた。彼女が思う通り、わたしたちは悲しみがいずれ静かに流れる時間のようなものに思えてくるなどとは思えず、いま抱えている悲しみにとらわれてしまう。しかし、それでいいのだ、と作者は言っているのではないだろうか。いずれ死が永遠なるものとして確かめられるまで、嘆き悲しみ、声をあげて泣いてもいい。それが、「いま」という時間の中で死者を悼むすべなのではないか。2011年3月11日に起きた東日本大震災からまだ日の浅い5月。こまばアゴラ劇場で開かれた「焼け跡と不条理」という対談で、別役は対談相手の平田オリザにこう語ったという。当時、話題となっていた宮沢賢治の『雨ニモマケズ』についてだ。

私もあの詩は好きだし、あの詩が三月十一日以降、多くの人に読み継がれているのはいいことだと思う。ただ、あの詩で本当に大事なところは、『雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ』頑張っていこうというところではないのではないか。本当に大事なのは、『日照リノ時ハ涙ヲ流シ、寒サノ夏ハオロオロ歩キ』の方なのではないか（平田オリザ「オロオロ歩ク」より）

別役は「頑張ろうと励ますことも、たしかに大事かもしれないが、本当に大事なのは、きちんと嘆き悲しむことだ。そこからしか真の復興はありえない」とも語ったという。別役にこう語らせたのは、彼自身、幼少期経験した、満州からの引き揚げ体験であり、阪神・淡路大震災の記憶だろう。震災をきっかけに生まれた『神戸　わが街』は、上演されるたびに、演じるもの、観るものが抱える震災の記憶を映し出すはずだ。きっとその度に街をめぐる対話も生まれるだろう。そうして神戸という街の物語は、誰かの、そして、どこかの街の物語となって、未来へと続いていくのである。]]></description>
</item>
<item>
<title>ロミオとジュリエット</title>
<link>https://k-engeki.net/archive/article/335</link>
<guid isPermaLink="false">https://k-engeki.net/archive/article/335</guid>
<pubDate>Mon, 20 Jan 2025 00:00:01 +0900</pubDate>
<description><![CDATA[共通舞台は、2018年に結成された京都を拠点とするカンパニーである。近年は既存のテクストと現代の俳優との関係性を丁寧に観察する創作を行ってきた。2023 年の「ハムレット」に続き、新たに取り上げたのはウィリアム・シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」。3時間半におよぶ見ごたえのある意欲的な舞台に仕上がっていた（2024年9月25日、THEATRE E9 KYOTOで観劇。村上太基演出）。
正攻法のアプローチ
宿敵同士である二つの家に生まれたロミオとジュリエットが一目ぼれの恋に落ち、結ばれるが、やがて相次いで非業の死を遂げる――。周知のように原作は世界中で親しまれている恋愛悲劇であるが、今回の上演では、原文のリズムと響きを活かした河合祥一郎氏による日本語訳を、ほぼノーカットで使用している。戯曲の改編はなく、奇をてらった解釈もほどこしていない。その意味で、きわめて正攻法といっていいアプローチを意識的に選びとっている。シェイクスピア劇と現代を生きる俳優の問題意識とをいかに切り結ぶことができるのかという点にねらいを定めて、テクストに真正面から挑んでいることが清々しかった。
無機質な空間、台詞の応酬
劇場には、簡素で抽象的なセットが設えられていた（舞台美術はクリエーター集団・NEWDOMAINが担当）。ホール入口から舞台へ、客席を貫くように伸びている通路に白いカーペットが敷かれている。舞台奥にはハーフミラーのパネルが3組並び（鏡とガラス、両方の性質を備えた特殊素材）、さらに間仕切りの向こうにイントレで二階舞台が組まれている。小劇場の規模に上手くフィットする無機質でクールな造形であるが、開演すると、この空間で総勢17名の俳優による台詞の応酬がくり広げられることになる。俳優たちのエネルギーと疾走感を引き出しつつ、広場や街頭の場景、あるいは有名な仮面舞踏会やバルコニーのシーンを次々と展開させていく演出の手腕には、非凡なものが感じられた。
ミクロな揺れ
惹かれ合うロミオとジュリエット、敵対し合うモンタギュー家とキャピュレット家の人々。さらに両者を媒介する修道僧・ロレンスや、人民を統治する大公・エスカラスなど、さまざまな人物の思惑が絡まり、すれ違うシェイクスピアのドラマの面白さだけではなく、今回の上演は、俳優の演技に不思議な魅力があった。率直にいって、個々の俳優の技術（台詞回し、身体所作など）にそれほど耳目を奪われることはなかったが、それとは別に、いわく名状しがたい魅力が含まれているように感じられたのである。目の前で生きている俳優のありようにじっと集中していると、たとえばロミオ役の鈴木嵩久とジュリエット役の中原心愛の内部で起こりつつある心の動き、それも振動のようなミクロな揺れに、思わずひきこまれる。相手への想いが強すぎて、それをどのように発散してよいのかわからない、といった切迫した状態。そんな焦燥にかられている若い恋人たちの敏感な感受性がみずみずしく伝わってきた。
独特の共鳴、共在感
ロレンスとモンタギュー夫人の二役を演じた細江祐子、乳母役の酒井信古をはじめ、若い恋人たちをのみこむ破局の運命をそれぞれの立場で受けとめる他のキャストにも、それぞれ見所があった。それらとともに印象に残ったのは、17名の俳優の演技の質に多少バラつきがあったにもかかわらず、そこに独特な共鳴のようなものが醸し出されていたことである。俳優たちは、様相に違いこそあれ、現代を生きる自分自身の抱えている問題との結びつきを大事にしていた。言い換えると、演技の技術的な処理にとらわれずに、シェイクスピアのテクストといわば体当たりで格闘しているようだった。そうした姿勢が、集団内で深く共有されることによって、同じ劇世界のなかで呼吸し、立ちふるまう者としての独特な共在感が立ち現れつつあったのかもしれない。
純粋なクリエイション、純粋なドラマ
本公演の来場者には、40ページを超える充実したパンフレットが無料で配布されている。内容の大半は、10ヶ月ほどの創作プロセスの一端を窺うことのできるドキュメントとなっているが、そのなかで演出家は、共通舞台が目指す表現の理想について、「嘘のない、正直さ」「混じりけのないもの」という言葉で言い表している（当日パンフレット掲載の「制作記録」「演出・村上太基による独白」などを参照）。表現する自己自身の根拠をひたむきに問い直す純粋なクリエイションと、「ロミオとジュリエット」という純粋な愛のドラマ。二つの対応が単純なものでないことは、舞台に持ち込まれた特殊な鏡の効果が、象徴的に物語っている。
澄んだ実像、ぼやけた鏡像
先に述べたように、今回の上演では舞台奥にハーフミラーのパネルが、三面鏡のように少し角度をつけて並んでいる。終盤、それまでバックステージだった間仕切りの奥を見えるようにして、そこに仮死状態の冷ややかなジュリエットの姿を浮かび上がらせる特別な演出があるが、ハーフミラーの基本的な働きは、劇の進行中、俳優たち、観客たち、それに白い通路を、ぼやけた鏡像として映し出すことにある。観劇中、ふと何気なく実像と鏡像が多重化している面白さが感じられてくるのだが、こうした像の混交はシェイクスピアの劇言語と呼応するものとして捉えることもできる。「ロミオとジュリエット」には、若い恋人たちの純粋な愛の言葉と、大人たちの不純な言葉遊び（下世話な駄洒落、冗談）が絶妙に混ざり合っている。さらに共通舞台が理想とする純粋さが、世間のしがらみと無縁ではないことを踏まえると、澄んだ実像とぼやけた鏡像の混交は、フィクションの美しさに自足することなく、それをわたしたちの複雑な現実へと開くきっかけであるといえるかもしれない。
演技と集団性をめぐる課題
最後に、共通舞台が今なお成長し続けている若いカンパニーであることに留意して、今後、課題となりそうなことについて付言しておきたい。このカンパニーが大事にしている、創作メンバー全員でディスカッションを重ね、一人一人が表現することの内的な必然性を形づくる協働のプロセスは、とても貴重である。ただ、それをより充実したアーティスティックなコミュニケーション、ひいては見事なアンサンブルへと発展させるためには、さらなる手立てが必要となるのではないだろうか。演技表現は自然に任せるとリアリズムふうのものに流れることがあるが、一方、韻文と散文の巧みな使い分けからなる「ロミオとジュリエット」のような戯曲は、そもそもリアリズムとは発想を異にしている部分が小さくない。そうした原作の質を慎重に見極め、そこに拮抗する集団的な演技のありようを模索することは、個々の営為のとりまとめだけでは、なかなか片づき難い課題といえるかもしれない。もちろん共通舞台の創作にとって、このような課題を一挙に解消するために、演出家主導による演技のスタイル化、もしくは既存の演技メソッドの導入が、安易に創作現場で採用されることは、おそらく相応しくないだろう。これまでの歩みをさらに推し進める試行錯誤のなかで、今後より深く集団的な演技のありようが吟味されることを大いに期待している。]]></description>
</item>
<lastBuildDate>Tue, 21 Apr 2026 18:32:45 +0900</lastBuildDate>
</channel>
</rss>