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<title>呼びかけ人紹介 | 関西えんげきサイト</title>
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<pubDate>Wed, 26 Oct 2022 14:03:07 +0900</pubDate>
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<title>マリヤの賛歌を上演する会「マリヤの賛歌－石の叫び－」</title>
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<pubDate>Tue, 16 Dec 2025 14:41:22 +0900</pubDate>
<description><![CDATA[一人芝居「マリヤの賛歌―石の叫び」は慰安婦体験をもとにした城田すず子の自伝『マリヤの賛歌』を原案に、くるみざわしんが戯曲を執筆し、岩崎正裕が演出、金子順子が出演した作品である。2022年の初演を経て各地で上演を続けており、戦時性暴力の構造的な問題を、現代社会の抑圧構造と地続きのものとして描き出している。2025年9月15日、一心寺シアター倶楽で観客としてこの上演に立ち会った時、強く印象に残ったのは、創作者たちが「城田すず子」という存在と向き合う際の真摯で注意深いまなざし、そしてその言葉を観客に手渡す時の慎重な手つきだった。
言葉を「伝える」こと
登場人物は「私　『マリヤの賛歌』を繰り返し読む女」ひとり。「私」は、城田が東京下町の比較的裕福な家に生まれたことや、家の借金を返すために芸者屋に奉公し、海軍御用達の台湾の遊郭や南洋諸島の慰安所で働くようになった経緯を語る。語りは『マリヤの賛歌』を読む形で進められ、「私」は城田が戦後に占領軍向けの慰安所で働いたこと、婦人保護施設に身を寄せ、神への祈りと出会ったこと、戦地での体験を語り始めたこと、と語り進めつつ、城田の言葉と「私」の思考の狭間で揺れ動き、葛藤する。やがて「私」は戦争が女を「無垢な女」と「汚れている女」に二分する構造の問題に気づき、その二分する態度が自分自身の中にもあることと向き合う。金子の表現は、城田の言葉と慎重に対峙した時の「私」の心の揺らぎを観客に向けて伝えていた。舞台上の「私」は、語り手であると同時に城田の言葉の聴き手でもある。城田の言葉を媒介することで、観客に「この声をどう聴くか」を問いかける。その距離の取り方は、当事者の痛みを容易に代弁しないための倫理であり、劇場空間には、問いを考えるための時空間が綿密に構築されていた。
観客の位置づけ－「青みどろの沼」と「あわれみの池」
舞台美術は最小限であった。机と椅子、机の上には『マリヤの賛歌』と「石」。基本的に照明と音響も控えめで、舞台と客席は「観られる－観る」の区分の中に収まっている。だが、その区分を乗り越えて二度、客席に光が届く場面があった。第1景「私の部屋」で、「私」は、慰安婦として死に、世間から見えないものとされてきた女性たちを想い、次の台詞を言う。

私は目を伏せる。動きを止める。気づかれるのが怖い。傷は痛んで、腐って、肉が崩れ、足元から沼が広がってゆく。たくさんの女が日の当たらない沼の底に、口を失い、かたまっている。身を寄せて集まったわけじゃない。何かの都合で集められて帰れず、死んでここに放りこまれた。女たちを集めた「何かの都合」は生き延びている。（１）

女性たちを日の当たらない沼の底に集めた「何かの都合」を告発するこの言葉が語られている時、客席全体が薄青い光に照らされる。その演出は、観客を「沼」として見立てているかのようであった。沼は女たちの肉が腐ってできたものであり、女たちを閉じ込める檻でもある。その沼との同一視は、普段見えていない「女たち」の気配を観客席に生じさせる。そして終盤、第11景「祈り－復活祭の夜」で、再び客席に薄青い光が当たる。この景で「私」は、城田が人生の終盤に安心して暮らせる保護施設に入った後も、自分の過去を理由に差別を受ける悲しみや悔しさの中にいたこと、しかし神に祈ることで励まされ、詩を書いたことを観客に伝える。その詩の一部は次のようである。

私はアダム以来の／わるい代表の蛇です／私はその長い間の汚名をなくすため／主にあわれみを乞いました／涙を流し長いからだをまるめ／青みどろの沼からぬけ出すため／主にあわれみを乞いました／主はおっしゃいましたそんなに一生懸命ならば／私はあなたにあわれみの池をあたえましょう／友が集まって来るでしょう／長い間の汚名をなくすために／一つ一つのうろこの間にしみている／沼のにおいを消すために（２）

ここで語られる「青みどろの沼」という言葉は、第1景で「私」が語った「日の当たらない沼」を思い出させるものである。詩はその沼から抜け出すために神が「あわれみの池」を与える、と続くのだが、それらの言葉が紡がれている時に、観客席が薄青く照らされる。この時、観客席は「あわれみの池」として見立てられているようであった。青い光は観客席を舞台上の世界に一体化させ、舞台上の出来事は人ごとではないのだと静かに観客に伝えていた。「青みどろの沼」ではなく「あわれみの池」として存在するためには、どうしたら良いのか？そう問いかけているように感じた。
ラジオの声と観客のリスナー化
上演の終盤の忘れられない場面は、「私」が城田のラジオ放送での証言を巡る語りをする場面である。城田は、慰安婦として戦地で性の提供をさせられた女性たちの凄惨な状況、状態を1985年のラジオ放送で語った。その様子を、「私」はそれまでの抑制した語りではなく、そこに城田が居るかのような存在感で身体化した。「私」が向き合っているものが、自伝の「文章」からラジオが伝える「声」に変わったということが、変化の背景にあるのかもしれない。「声」は文章よりも直接的に声の主の存在を訴える。その「声」は、想像していたよりもどっしりとした、強さと芯のある声で、城田の人生の重たさを感じさせるものであった。その重たさに、強く感情が揺れた。その時、観客は1985年の放送を聴いていたリスナーの一人となっていたのかもしれない。当時のリスナーの中には、ラジオ放送を聴いて城田に寄付をした人々がおり、城田は集まった寄付で慰安婦の鎮魂碑を建てたという。寄付という実際の行動に移るほど、当時のリスナーの心は激しく揺さぶられたのだろう。そして、観客席に居た私の心の中にも、その現象が生じたように感じた。
受け渡された後は
本公演は、城田すず子の言葉を奪うことなく、注意深く伝えようと試みていた。舞台上の「私」は、当事者の声を代弁することを避けながら、その痛みと祈りを観客に手渡し、慎重に編まれた語りと薄青い光は、観客にそれぞれの立ち位置を問いかけた。城田の声をどう受け止められるのか、どうその声を可視化できるのか。そして、女性を二分して戦争による性被害を不可視化しようとする社会構造をどう変えていけるのか。観た後に考えることは尽きない。私に何ができるのだろうか、と。注（１）原案城田すず子、作くるみざわしん『マリヤの賛歌－石の叫び』1頁（劇場販売用の上演台本）。（２）同上、９頁。本来の詩ではスラッシュ部分で行が変わっている。
主な参考文献原案城田すず子、作くるみざわしん『マリヤの賛歌－石の叫び』（劇場販売用の上演台本）。城田すず子『マリヤの賛歌（Kindle版）』岩波書店、2025。]]></description>
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<title>サファリ・P『悪童日記』</title>
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<pubDate>Thu, 28 Aug 2025 15:54:53 +0900</pubDate>
<description><![CDATA[「ことば」が作り出す空間
コロナ禍、再評価された小説『ペスト』の作者アルベール・カミュは、フランスの支配下にあったアルジェリアで育った。その生い立ちは、代表作のひとつ『異邦人』の主人公ムルソーのように、カミュにどんな国家や民族にも帰属意識をもてなくさせた。そんなカミュは国籍を問われて、こう答えたという。

ええ。ぼくには祖国があります。それはフランス語です。

カミュにとって、言葉によってつくられた祖国とは一体どんな場所だったのだろうか。高橋源一郎は、『「ことば」に殺される前に』のなかでムルソー＝カミュが唯一生きられた場所とは、作品の中、すなわち、フランス語という「ことば」が作り出した束の間の空間だったとしている。

その空間だけが、彼を「等身大」の人間として生きさせることができた。フランス語という「ことば」が作り出した、束の間の、「文学」という空間。「文学」はあらゆるものでありうるが、自らが「正義」であるとは決して主張しないのである。「ことば」は人を殺すことができる。だが、そんな「ことば」と戦うことができるのは、やはり「ことば」だけなのだ。（高橋源一郎『「ことば」に殺される前に』河出書房新社、2021年、22―23頁）

アゴタ・クリストフの『悪童日記』の主人公であり、タイトルにもなっている日記の書き手である双子もまた、「ことば」を必要とした人物だ。戦火の炎がじわじわと迫ってくる状況で、双子は疎開するために親元を離れ、母方の祖母に引き取られる。その後の生活は過酷なものだ。冷たく、汚れ、痛み、飢え、そして孤独な毎日を、泣くことも逃げ出すこともせず、淡々とサバイブしていく双子は、ある時、日記を書きはじめる。なぜ双子は日記を書きはじめたのだろうか？双子は言葉に何を求めたのだろうか？それはカミュのように生きるための武器だったのだろうか？
見るものに鈍痛をあたえる舞台
6月にロームシアター京都で上演されたサファリ・Pの『悪童日記』は、日記の体裁をとったこの小説を舞台化したものだ。今回は４度目の改訂版にあたる。その印象は“明”というよりは“暗”であり、“軽”では全くなく、“重”である。暴力的な場面では、見ていて思わず体をこわばらせてしまう。その点では“快”ではなく、“不快”と言ったら言い過ぎだろうか。装飾的なものは一切ない無機質な舞台に、簡素な身なりの俳優たちが身体のみを道具に、双子の物語を綴っていく。不思議なのはシンプルで抽象度の高い舞台であるにもかかわらず、ある具象性を伴って鈍痛を見るものに与えることだ。2017年に初演された『悪童日記』は山口茜が上演台本を作成・演出した、サファリ・Pの代表作のひとつである。当日パンフレットに掲載されている、最新版に至るまでの変遷は次のとおりだ。まず、初演時には感情表現を避け、事実のみが簡潔に記された双子の日記の文体そのものを舞台化することで、観客に思考を促すような作品を目指した。それが2019年版では、双子の主人公のうち一人を女性が演じることで、第二次世界大戦下を子どもとして過ごしたアゴタ・クリストフ自身の姿を投影し、この物語が原作者の戦争体験からくるものであることを示唆。2024年版では、双子の疎開先となった祖母について、偏屈で厳しい老女としてだけでなく、祖母なりの愛情表現にフォーカスしたという。そうして迎えた今回の上演。小説に立ち返って、そこに書かれたことだけを舞台に引き写し、初演から貫く無機質な印象はそのままに、日記には決して記されなかった双子の感情をより強く感じてもらえるような舞台を目指したとある。
日記のルール
「そこに書かれたことだけを舞台に引き写す」という目標に至ったのには、原作にほどこされたある仕掛けが関係している。双子は、祖母から子どもとして守られ、愛されるようなことはなく、労働力としてあつかわれ、その役割を十分果たせなければ食べることもままならない。それどころか手を上げられることもしばしばだ。風呂に入れてもらうこともなく、服は擦り切れ、身体中汚れにまみれ、周囲からは疎まれていた。ある日、双子は日記を書くことを決める。屋根裏部屋を秘密の書斎にして、そこで見つけた聖書を暗誦することで言葉をおぼえ、作文をはじめる。「ぼくらの学習」と題されたある日の日記には、作文のルールについてこう説明されている。まず、「おばあちゃんの家に到着」や「ぼくらの労働」といった題で作文するよう、互いにお題を出し合う。書き終わると、互いに見せ合って良か不可かを判定し、適宜修正を加える。判定の基準について双子はこう説明している。

ぼくらには、きわめて単純なルールがある。作文の内容は真実でなければならない、というルールだ。ぼくらが記述するのは、あるがままの事物、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない。（略）感情を定義する言葉は、非常に漠然としている。その種の言葉の使用は避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実な描写だけにとどめたほうがよい。

繰り返しになるが、『悪童日記』は「双子が書いた日記」という体裁をとった小説だ。そこに書かれた文章は日記という括弧で括られることによって、「小説というフィクションの内側においてはノンフィクションでもある」という二重性を帯びることになる。「事実の忠実な描写だけにとどめる」というルールを素直に受け取るなら、読者は日記、すなわち小説の内側に生起する事柄は全て事実として読まなければならない。そこに書かれているのは、生きることの過酷さに疲れはて、こころを失った大人たちの不道徳で無慈悲な振る舞いである。そして、大人たちの汚れきった顔を写す鏡であるかのように、大人に負けず劣らず、生きるためには手段を選ばず、時に冷酷な一面も見せる双子。全てが事実なのだとしたら、あまりに世界は残酷だと思わざるをえず、読者の多くは日記に記された人々の業の深さに胸を痛めるだろう。日記のルールは、事実の忠実な描写、その再現性の精度を高めるために双子が自らに課したものである。皮肉なことに、このルールは、「事実」とは言葉で完璧に再現できないことを暗に意味してしまっている。また、双子は感情や主観をできるだけ排して、「あるがままの事実」を日記帳にとどめようとするが、どれだけ禁欲的にルールを守ろうとしても、時折、母を思い出しては感情がこぼれ出てしまう。だからといって、日記にしたためられた言葉が事実のなりそこないに見えず、むしろルールを徹底できないことが日記に切実さとリアリティを与えているところに『悪童日記』の凄みがある。
揺れる主体――彼らは一体誰なのか？
では、サファリ・Pはこの仕掛けをどのように舞台化してみせたのだろうか。会場となったロームシアター京都のノースホールはブラックボックス型の空間だが、装置類は置かず、ほぼ裸舞台の状態にステージとなる平台が組まれているだけである。その平台は５つに分解できるようになっていて、組み合わせ方を変えるとステージの形状が変化するようになっている。空間は墨汁のように漆黒にそまっているのに、張り詰めた空気と無機質さゆえに色を感じさせない。闇――まるで戦時下、多くの人間が陥った闇をあらわしているかのようだ。5人いる出演者の身なりもまた、モノトーンである。双子を演じる達矢（サファリ・P）と森裕子（Monochrome Circus）以外の3人は、「おばあちゃん」、教会の神父や女中、「兎っ子」と呼ばれる隣家の娘などの複数の役を演じわけていく。上演は達矢が観客の前に現れ、挨拶をするところから始まる。次いで辻本佳が登場すると、達矢を指して「彼は、男性です」「彼は、筋肉質な体をしています」といったように彼の性別や身体的特徴などを説明する。こうした説明は、物語の途中、途中で差し挟まれる。例えば、おばあちゃんを演じた佐々木ヤス子（サファリ・P）について、達矢と森が次のように説明する。

達矢「彼女は、女性です」森「彼女は、色が白い」達矢「彼女は・・・取り立てて特徴のない体型をしている」森「彼女は、泣きぼくろがある」達矢「彼女は黒ずんだ灰色のブラウスを着ていて」森「黒ずんだ灰色のスカートを履いている」達矢「頭に黒い三角の布を被り」森「兵隊用の古い靴を履いている」達矢「彼女は決して裸にならない」森「夜寝る時、スカートを一枚脱いだけれど」達矢「その下にもう一枚スカートを履いていた」森「ブラウスを一枚脱いだけれど」達矢「その下にもう一枚ブラウスを着ていた」森「脱いでも脱いでも同じブラウス」達矢「脱いでも脱いでも同じスカート」森「彼女は、おばあちゃんです」

当初、役をまとって登場した出演者について改めて説明されると、当然ながら観客はその身体的特徴や服装などに注目することになる。佐々木は昔話に出てくる年老いた魔女のように腰を曲げ、低いガラガラ声を出しておばあちゃんを演じていたが、説明を受けてまじまじとその身体を見てみると、「おばあちゃん」と呼ばれるには若すぎるように思えてくる。演じ手への信頼に揺らぎが生じてきたところで、「彼女は、おばあちゃんです」との断言で説明はしめられる。結局、この説明における「彼女」とは演じ手の佐々木のことを指していたのか？それとも「おばあちゃん」のことだったのか？また、こうも言えるだろう。彼女とは佐々木でもなければ、おばあちゃんでもない。このように観客の目の前にあるひとつの形象＝身体と、それを説明するテクストとを結ぶ主語＝彼女は一対一の関係にはない。では、観客は一体何を見ているのだろうか？もうひとつ、説明の場面を取り上げてみたい。兎っ子と女中、そして双子の母を演じた芦谷康介（サファリ・P）を囲んで、辻本と佐々木は次のように説明する。

辻本「彼は、男性です」佐々木「彼は髪の毛が短いです」辻本「彼は鼻筋が通っています」佐々木「彼は痩せ型です」辻本「彼はなで肩です」佐々木「彼は、若い女です」

ここまでの場面で芦谷は筋肉質の身体を隠すことなく、一方でわざとらしく女っぽい声色やしなをつくって女たちを演じていた。そのため、観客は最後の「彼は、若い女です」における「彼」と「若い女」の間にギャップを感じざるを得ない。このギャップこそ演出が強調しようとしているところで、日記のルールはこのようにして舞台化されているのではないだろうか。双子は事実を忠実に描写しようとする。だが、事実それ自体は読者には確かめようがない。読者は『悪童日記』に綴られた日記とともに、日記の書き手である双子が事実を言葉に置き換えていく様を見守っている。そんな感覚をこうした演出が引き起こし、観客に双子が見た光景を想像せよと訴えかける。
観客を共犯者に変える力
そうして観客は舞台を介して戦場の光景を想像する。兵士たちのあとに従って家畜のように牽かれていく人々の場面では、出演者たちはうなだれ、気力なく両碗をだらりと下げて足を引きずるようにしてゆっくりと歩く。単純な動作を機械的に繰り返す身体が平台の上をはっているだけなのに、その光景に触発されて、ロダンの『地獄の門』や、丸木位里と俊の『原爆の図』が閃く。そして、原爆が投下された直後の広島と長崎、住民を巻き込んだ激しい地上戦となった沖縄戦、パレスチナ・ガザ地区で続く戦闘とそこに暮らす人々の約45％は14歳以下の子どもだということ・・・凄惨な光景が次々と数珠繋ぎに浮かび上がる。舞台はいたってシンプルで、飾り立てたところは一切ないというのに。むしろそのことで舞台は観客を揺さぶる喚起力を増し、観客を想像／創造の共犯者に変える。戦争を題材にした作品には実際の戦地のむごさをどうやっても再現できないことへのもどかしさがつきまとう。『悪童日記』の双子にとって、日記とは自分たちが目撃した戦時下の人々の姿を言葉でいかに再現できるかを試みるキャンバスだったのではないか。そして日記のルールを書き入れたのは、「実際のむごさは言葉ではあらわしきれない」というもどかしさのあらわれであろう。ただ、それでも書かざるをえなかった。サファリ・Pの舞台はその切実さに寄り添おうとするもので、もどかしさを何か代わりになるもので埋めようとするのではない、潔いまでの清貧さにこころをうたれた。なお、本作は12月19日〜21日かけて東京・すみだパークシアター倉で上演予定である。上演会場の変化とともに舞台の表情がどのように変わるのか、未見の方はもちろんのこと、すでにご覧になった方にもぜひ劇場に足を運んでいただきたい。]]></description>
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<title>金民樹が20周年記念公演を語る。</title>
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<pubDate>Tue, 19 Aug 2025 10:14:51 +0900</pubDate>
<description><![CDATA[大阪を拠点に、在日コリアンと日本の有志達によって2005年に結成された劇団タルオルム。第1回関西えんげき大賞（2022）優秀作品賞を受賞、また韓国・釜山公演では韓国2023RED AWARD「注目すべき視線」部門を受賞している実力派だ。「夜道を照らす月の明かりになりたい」と、タル（月）、オルム（昇り）と命名。年に1度の自主公演のほか、学校公演も精力的に行い、結成時から韓国公演も続けている、バイリンガル劇団である（日本で上演する時は、基本日本語で、朝鮮韓国語の台詞のみ韓国語の字幕がつく。韓国で上演する時は、それが逆転する）。20周年特別企画として、39作目となる新作『おとうとが消えた日』を上演する。これまでも、実際に起きた悲劇的な事件を描きつつ、生気溢れる舞台を創出してきたが、今回も実在の事件を扱う。1970年代に韓国で多発した在日韓国人スパイ捏造事件がモチーフ。事件に巻き込まれた人々に取材し、構想を練り、3年近くかけて書き下ろした労作。劇団代表で作・演出の金民樹（キム・ミンス）に、新作について、そして劇団として目指していることをお聞きした。
スパイの濡れ衣を着せられた在日コリアンの格闘
1970年代から80年代にかけて、韓国では在日韓国人が「北のスパイ」にでっちあげられる事件が相次ぎ、無実の人々が韓国の獄中に捕らえられた。軍事独裁政権下の民主化弾圧が背景にある。本作のモデルとなった人物は、九州で生まれ育った在日二世。東京の大学を卒業後、韓国の大学院に留学。卒業を2週間後に控えたある日、突如連行され、スパイであるという自白を強要され、13年間投獄された。彼との結婚式を控えていた女性や家族、親族達の格闘の日々が描かれる。「劇団タルオルムは、声を上げられなかった人々の声なき声と、過酷な状況下でも力強く生きた人々を描いてきましたし、今後も描きたいと思っています。今回は特に在日コリアンと母国の関係、そして家族の物語を描きたいと思います」。濡れ衣を着せられた彼には、支えた人々がいた。その中には日本人も数多くいたという。日本での学校の級友達などだ。なお、劇団タルオルムの作品では、在日コリアンの過酷な歴史が描かれるが、彼らを支える日本人の姿も描写されてきた。
日本と朝鮮半島の架け橋になる舞台を作りたい
第1回関西えんげき大賞優秀作品賞受賞作『さいはての鳥たち』（2022年）は済州島4・3事件を背景にした作品だが、そこでもキーパーソンの一人を日本人にした。1948年、朝鮮半島分断に反対する済州島の島民達が選挙を放棄。軍や警察に島民3万人が虐殺された事件。原作は、済州島から命からがら大阪に辿り着いた人々を描いた、金蒼生の小説。日本で生活するようになった主人公の窮地を救った人物は、原作では在日朝鮮人だった。それを金民樹は原作者に直談判し、台本では日本人に変えた。かつて大阪大空襲の時、在日朝鮮人に命を救われた日本人女性が、その恩返しとして今度は朝鮮人を救ったという設定にした。その変更により、復讐の連鎖は戦争を生むが、恩返しの連鎖は平和を実現することが示唆された。「この20年間の、日本人の役者さんやスタッフさん達との創作の過程があります。彼らの力がとても大きいです。良い助言を下さって、困った時には助けてくれました。彼らがいたからこそ、今の私達がいます。それはとても大切な関係です。劇団結成当初、劇団名の由来である『夜道を照らす月の明かりになりたい』には、在日コリアンの若者達の夜道を照らしたい、という思いを込めていましたが、今は変わりました。私は、自分は日本人ではないという自覚はありますが、日本社会の一員であると思っています。日本への恩恵と愛情があります。この社会全体を美しく照らしたい。この社会に生きる人達の夜道を照らしたい。この20年間でそれを目指したいと考えるようになりました。日本と朝鮮半島の架け橋になる舞台を作りたいと願っています」。今回の舞台でも、在日コリアン俳優達と、関西で活躍中の日本人俳優達が共演する。韓国留学中に無実の罪で投獄される青年・チャンを大橋逸生、青年が結婚を約束したソウル在住の女性を姜河那、彼を弟のようにかわいがる在日コリアンの叔父をリリパットアーミーⅡのうえだひろし、母親をシバイシマイの是常祐美、親族を、劇団副代表の卞怜奈が演じる。
韓国・済州島の劇団との交流
金民樹は在日三世。祖父母が済州島から日本に渡った。朝鮮学校出身で中学の放送演劇部（口演部）で演劇を始めた。中学2年生の時、大阪で、在日コリアンによる劇団アランサムセを観劇。朝鮮語だけの芝居を初めて見て、朝鮮語の美しさを改めて実感。その時の思いが演劇を続ける原動力ともなり、劇団結成につながった。旗揚げ作品は『孤島の黎明』。済州島4・3事件を扱った作品で、創作準備中に済州島に行き、当地の劇団と出会った。以来交流が続き、彼らからマダン劇を学んだ。「韓国では文化芸術への助成金が手厚く、私達にマダン劇を教えてくれるために来日する時の彼らの渡航費も、そして私達がマダン劇を学ぶために彼らのもとに行く時の渡航費までも、助成していただけました。大変感謝しています」。
演劇を通して死者を弔う
舞台にはユーモアもあり、生きるエネルギーが溢れる。今回は台詞劇だが、歌や舞踊を取り入れたり、また、舞台を客席が丸く囲むように設置し、観客に語りかけながら一体感を楽しませるマダン劇を作ったりすることも多い。生き生きとした舞台は、観客に訴えかけるとともに、済州島での悲劇に見舞われた先祖達の魂に向けて、「私達は今、日本で生きています。子孫が生きています」と力強く呼びかけているようにも思える。ちなみに大阪は、日本で最も多く済州島をルーツとする在日コリアンの多い地域である。「芝居には死者への弔いの意味があると思います。声を上げられずに亡くなった人の思いが、私達の胸にあるからこそ、彼らの分も頑張れます」。
歴史のもつれをほどく
2007年初演の『4.24（サイサ）の風』は、再演を重ね、日本と韓国で36カ所、約1万人を動員している。1948年の4.24教育闘争がモチーフ（阪神教育事件とも呼ばれる）。GHQの指令を受け、日本政府が朝鮮学校閉鎖命令を発令したことから起きた悲劇である。デモの中、在日朝鮮人少年が亡くなった。抑圧したのは日本人ではあったが、作品では一方的に日本人を責めているのではない。第二次世界大戦、さらに言えば第一次世界大戦から面々と続く世界中の混乱に翻弄される中で起きた悲劇であることを冷静に分析し、もつれた糸をときほぐすように、編み上げた。さらに母国の言葉や文化を大切にするアイデンティティも伝わる。母国の歴史や文化を大切にしながら、日本を愛し、日本に根を下ろし、納税し、生きている姿。母国の文化を大事に思うのは、日本人も同じである。お互いに大切にしていることを尊重し合いながら、真に共生する社会が来ることを、舞台を見ながら、私は願わずにおれない。]]></description>
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<title>文体を舞台化する―サファリ・P『悪童日記』に込めた山口茜の思い</title>
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<pubDate>Tue, 03 Jun 2025 00:00:02 +0900</pubDate>
<description><![CDATA[京都の演劇カンパニー「サファリ・P」が、ハンガリー出身の作家、アゴタ・クリストフ（1935～2011）の小説を原作にした舞台『悪童日記』を、6月から12月にかけ、京都・愛知・東京の3都市で上演する。2017年の初演以来、上演の度に再創作を繰り返し、深化させてきた挑戦的な作品だ。「文体そのものを舞台化したい」。脚本・演出の山口茜は、創作の出発点には、そんな思いがあったと語る。
固有名詞と感情表現がない小説
サファリ・Pは、主に既成戯曲や小説を原作にして舞台を立ち上げてきた。『悪童日記』は、原作の候補をカンパニー内で話し合う中で浮かび上がった作品だった。小説には明確に書かれていないが、舞台は、第二次世界大戦中、ドイツの支配下にあったハンガリー。主人公である双子の少年は、大きな街の戦火を逃れ、母方の祖母が住む田舎町に疎開してくる。双子を預かった祖母は、けちで粗野で、何かにつけて二人をぶつ。双子は、その暴力に慣れるために互いを殴り合い、飢えに慣れるために断食する。奇妙な決まり事を作って自らを鍛え、過酷な日常をしたたかに生き抜いていく双子の姿が、彼らの日記という形で淡々と綴られる。暴力、貧困、病気、虐待、殺人……複雑な要素をそのままに抱え込んだこの小説は、1986年のフランスでの出版以来、世界各国で翻訳され、人々に衝撃を与えてきた。文体が特徴的だ。固有名詞は登場せず、内面描写が一切ない。双子は「ぼくらが記述するのは、あるがままの事物、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない」とし、「美しい」「好き」といった客観性に欠ける言葉を日記から注意深く排除する。原作にひきつけられた山口は「でも、この物語だけを舞台として立ち上げたら、感動して泣ける話にはなるかもしれないけれど、戦争をなくすための思考にはならないのではないか」と考えたという。原作者のクリストフ自身は、1956年、旧ソ連の支配に対して民衆が蜂起し、鎮圧された「ハンガリー動乱」の折に国外に逃れた。彼女はやがてスイスに住み着き、工場で働きながら、生き延びるために学んだフランス語で小説を書き始めた。「母語ではない言語で書かれたためか、文体はシンプルで、血肉化されていないというか、肉体と分離しているように感じられる。この文体をこそ舞台化したい、と直感的に思いました」。
ミニマムな表現手法で
原作から入念にテキストを抽出し、俳優・ダンサーたちの躍動する身体と、5台の平台のみの装置というシンプルな表現手法で、文体を空間に転換する試みに挑んだ。京都での初演は2017年。2019年に再演し、同年には女性アーティストが集うコソボ共和国の芸術祭「Femart Festival 7th」に招待された。熱気に包まれた劇場で現地の人々の熱いスタンディングオベーションを受け、続いて瀬戸内国際芸術祭に参加。2024年には、THEATRE E9 KYOTOで上演しており、今回が通算6度目の上演となる。顔ぶれは少しずつ異なるものの、一貫して出演者は5人。それぞれが、双子、おばあちゃん、「兎っ子」と呼ばれる隣の娘、町の司祭を演じ、双子役以外の3人は、双子の母や父、司祭館の女中、刑事など複数の役を演じていく。双子役は、男性二人が演じたこともあるし、男女が演じたこともある。原作の背景にはクリストフと兄との親密な間柄があるとされており、双子の一方を女性が演じると、原作者自身の存在も双子像に重なってくる。今回の配役は、双子の一方が達矢、おばあちゃんが佐々木ヤス子、兎っ子が芦谷康介（以上サファリ・P）、司祭が辻本佳、双子のもう一方が森裕子（Monochrome Circus）。芝居は「彼は、男性です」と俳優の外見を説明するところから始まる。俳優の外見の特徴を述べていく中で、徐々にその俳優が演じる役の外見へと説明がスライドしていく。いつの間にか劇が始まり、登場人物の感情が高まると、突如、俳優が役を離れ、再び「彼は…」と外見を説明し出す。このことが一種の異化効果を生み、観客は双子の日記にある「真実だけを記す」というルールに立ち返ることになる。振りは出演者のアイデアを基本に、調整して決める。まさに「いま、ここ」にいるメンバーの個々の身体が、上演の度に新たな創造につながっていく。今回はさらに、原作から抜き出した文章を適切な場で発話することにより、物語の筋が理解しやすくなるようにした。「今回は結局、あまりスピード感は重視していない感じになってきました…」。
「消費されない」あり方を目指して
『悪童日記』を読むと、第二次世界大戦中にユダヤ人が受けた激しい迫害がわかってくる。だがこの小説は、ある時代の、ヨーロッパの田舎町の、特異な戦争の物語として簡単にくくれるものではない。パレスチナ自治区ガザ地区の人々をはじめ、この世界には、非人間的な戦闘にさらされている人々が今も多数存在する。だからこそ山口は、この舞台が「感動するための物語」として消費されることを拒んできた。サファリ・Pが選んだミニマムな表現手法は、極小であるがゆえに力強い普遍性を獲得し、観客の心をざわめかせ続けている。山口は、今回の上演で挑む新たな課題を「瞑想」と表現する。「出演者が各々の呼吸に集中し、演技によって立ち現れる感情や思考を表現しないという作業をより意識する」というのだ。「文体そのものを舞台化しようと考えた、その原点に返りたいんです。そのために、もう一度原作を読み直し、台本を作り直しました。その作業の中で、これまでの作品では、原作小説に書かれていないことを私が勝手に想像力を膨らませて補ってしまっていたことに気がつきました。そこで今回は、その私の想像力の部分を完全になくし、戦時下では、それが真実かどうかということよりも大切なことがあるのではないかと、観客に気がついてもらえるような演出にすることにしました」。
2023年にオープンした名古屋の「メニコンシアターAoi」の芸術監督としても多忙な日々を送る山口。だが活動の拠点はずっと京都だ。「強い意志を持って関西を拠点にしているのではないんです。本能的に離れられなくて」と笑う。「東京にはあこがれるし、そこで市場価値のある自分、消費される自分になりたい、と思うこともいまだにあります。でも現実の私のあり方は、それとはちょっと違っています」。8歳と5歳の子の母でもある山口は、最近、子供たちと一緒に滋賀の山に登った。「子供たちは岩場や水場を乗り越え、全身を使って一心に登っていく。きっと『自分の中にある喜び』を感じたからでしょう。子供たちには、喜びは『外から見られる』ことにではなく、『自分の中にある』と感じる人間であってほしい、と改めて思いました」なぜ自分は演劇をするのだろうか。「喜びは自分の中にある」という言葉は、演劇と向き合う山口自身の姿勢を示すキーワードのようでもある。]]></description>
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<title>兵庫県立ピッコロ劇団第81回公演 ピッコロシアタープロデュース『神戸 わが街』</title>
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<pubDate>Mon, 31 Mar 2025 00:00:01 +0900</pubDate>
<description><![CDATA[阪神・淡路大震災から30年
阪神・淡路大震災から30年目をむかえる今年、兵庫県立ピッコロ劇団が別役実の『神戸　わが街』を上演した（2月22日観劇、兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール）。本作は2004年、震災から10年に際して、ピッコロ劇団に書き下ろされた作品だ。ソーントン・ワイルダーの『わが町』の潤色作品でもある。今回、劇団員の吉村祐樹の演出で再演するにあたり、初演ではなかったプロローグが付け加えられた。舞台中央には上手から下手（舞台に向かって右から左）へとゆるやかに下るスロープがあり、無印だが、汽車の停車場を指すかのような標識が立っている。上手前方には白い模型が置かれており、街を形作っているようだ。それ以外には何もない空間に、出演者たちが椅子やテーブル、梯子などを持って現れるとプロローグが始まる。出演者たちの挨拶があり、ワイルダーの『わが町』についてかいつまんだ作品解説がなされる。最後、別役劇には欠かせないものとして電信柱を立て、別役は『わが町』をどのように脚色したのでしょうか？と一声あって、いよいよ本編となる。 プロローグが付け加えられたこともあって、登場人物というよりも、それを演じる劇団員たちの心の揺れが伝わってくる舞台だった。生っぽさ、とでも言おうか。それは乾いた風がそよぐ別役劇には馴染まないもののようにも思えたが、意外にもこちらの心にすとんとおさまった。観る者の心を揺さぶる共振力は本作から滲み出る作者・別役実の死生観によるところも大きい。では、別役はワイルダーの『わが町』をどのように潤色し、ピッコロ劇団は2025年のいま、本作にどのように向き合ったのだろうか。
無調から方言へ
タイトルに「神戸」と付いてはいるが、本作は単に舞台を神戸に移し替えただけの作品ではない。1995年1月17日に多くを失った街・神戸の物語であり、同時に、あれから30年の間に各地で起こった災害で大切なものを失った人々の心をも慰める作品でもある。 阪神・淡路大震災は別役の作風に大きな影響を与えた。『神戸　わが街』より10年前、すなわち、震災が起きた年の1995年に別役は『風の中の街』をピッコロ劇団に書き下ろしている。震災が起こったことで、当初の予定を延期して上演するにあたって、別役は台詞を関西弁になおしたという。別役劇の特徴に、電信柱一本とベンチだけといったような簡素な舞台空間と、女１、男１といった記号化された登場人物とその折り目正しい言葉遣いがあげられる。個性のない言葉づかいは無機質で乾いた印象を与え、かつて、劇作家・演出家の田中千禾夫はそれを「無調」と評した。そうした別役の劇文体に大きな変節をもたらしたのが震災後のピッコロ劇団での公演であった。内田洋一は、方言を取り入れた『風の中の街』についてこう評している。

『風の中の街』で震災後の現実が濃厚な関西弁から思いがけない形で伝わってくるのに鮮烈なおどろきがあった。一時的に難民状態におちいった人たちがそこかしこで話すあいさつ言葉、その生活感が舞台に立ちこめていた。なにしろ、劇場の外では行き場を失った小市民たちがまさに放浪者となって行き暮れていたのである。（内田洋一『風の演劇　評伝別役実』）

それまで無国籍、無調とされてきた別役の劇言語は方言によって肉感的になり、以降、別役は演劇における方言の効用を説くようになったという。『神戸　わが街』でも登場人物たちは関西弁を話している。しかし、一人だけ標準語で話すものがいる。進行役という登場人物だ。なぜ彼だけは話し言葉が違うのだろうか。
『わが町』にはたらく法則
その答えは、本作が神戸という個別具体的な場所の物語であり、同時に神戸ではない街、誰かにとってのわが街とも感じさせる物語でもあるという二重性に関わっている。この二重性はもとになっているワイルダーの『わが町』にすでに備わっているものだ。ワイルダーの『わが町』は1938年に発表され、その後、ピューリッツァー賞を受賞。今日まで繰り返し上演され、各地で愛され続けてきた名作だ。とはいっても、何か大きな事件が起こることもなく、痛烈な社会風刺や政治的メッセージが盛り込まれているわけでもない。そこで描かれるのは慎ましい日常の風景だ。物語の舞台はアメリカ合衆国ニューハンプシャー州グローヴァーズ・コーナーズという架空の小さな町。時は1901年、１幕は隣り合う二つの家族、ギブス家とウエブ家のごく普通の日常が描かれる。その3年後、ウエブ家の娘エミリーとギブス家の息子ジョージは共に16歳になり、結婚することになった。2幕は2人の結婚式の朝を描く。３幕はさらにその9年後、舞台は丘の上にある墓地に変わる。死者たちが静かに町を見下ろしている。そこへ死者となったエミリーがやってくる。彼女はお産で命を落としたのだった。彼女はもう一度生前の世界に戻りたいと願い、時は12歳の誕生日の朝に巻き戻される。死者となった彼女の目には家族の何気ない日常の風景がとてつもなく美しくかけがえのないものに映るが、生者たちはそのことに全く気づいていない。エミリーはその様子を見て、人生というものを理解できる人間はいるのだろうかと問いつつ、もとの墓地へと戻る。さて、本作には以上の物語を一歩引いたところから眺めている、舞台監督という登場人物がいる。舞台監督は場面が変わるとそれがいつ、どこなのかを説明し、物語の進行役をつかさどっている。舞台監督は舞台上で展開する物語と客席の間、すなわち虚構と現実の境界線上に立ち、両者を橋渡しする役割を担っているのだ。１幕はこの舞台監督がステージに現れるところから始まる。舞台上に装置はなく、幕もない。そこに舞台監督がテーブル、椅子、ベンチを置き、この劇の作者、演出家、出演者を紹介する。そしてニューハンプシャー州グローヴァーズ・コーナーズという町の物語であると説明すると、物語が始まるのだ。このように、ワイルダーは舞台監督を通して意図的にこの物語がどこの誰の物語なのかを特定している。どこにでもある町のどこにでもいる人々の出来事とはしていないのだ。そうであるにもかかわらず、観客の多くは舞台上の出来事を自分のことのように錯覚する。特定の街の特定の人々の物語ではあるが、そこで繰り広げられるのは、歯を磨く、朝の身支度をする、他愛もないおしゃべりをするなど誰もが何かしら経験したことのある出来事だからだ。別役はこのことについて「特殊化すればするほど普遍化する」という法則が働いているとして、次のように述べている。

ここには「特殊化すればするほど普遍化する」という法則が働いている。奇妙な話だが、世界の片隅で発生した小さな出来事は、「どこにでもあるよ」ということでどこにでもあることを伝えられるのではなく、「ここにしかないよ」ということで、逆にどこにでもあることを伝えられるのだ、ということである。（別役実「奇跡のように美しく、数学のように硬質な舞台空間の成立の秘密」）

ワイルダーの『わが街』は、その始まりは「幕なし、装置なし」とト書きで指定され、簡素な、そして客席と地続きであるかのような空間として立ち現れる。そこに舞台監督によってごくシンプルで必要最低限の道具が運び込まれ、時にそれはエミリーの家の食卓になり、また、ジョージの家のそれになり、そして町のミルクホールのテーブルとなる。この演劇的仕掛けを支えるのは観客の想像力であり、簡素で何にでも見立てられる空間は観客自身の経験を重ねやすくもある。一方で、それとは相反するように、この物語がいつどこの誰の物語かをワイルダーは厳密に具体的に指し示してもいる。「どこでも」と「ここにしか」の間の往還運動によって、観客は目の前に立ち現れる空間をグローヴァーズ・コーナーズという町として、そして自分自身の街としても受けとめられるのだ。
いまだ鮮やかな震災の記憶
別役はこの特殊化すればするほど普遍化するという法則を慈しむように、『わが町』を潤色し、震災の記憶と「いま」を生きる観客との間をつなぐ橋をかけようとした。 物語の展開は概ね『わが町』を踏襲している。ちなみに、別役は本作に限らず、町ではなく街の方を好んで使っていた。舞台監督の役割は「進行係」という人物が担っている。その役割から考えるに、進行係だけが標準語をしゃべる理由とは、舞台上の虚構の世界と客席という現実の世界の境界線上にいて、両者を取り持つ立場にあるために、できるだけ個性を脱色した言葉である必要があったのではないだろうか。進行係が要所要所で語ることで、物語の個別具体性は普遍化の方向へと押し広げられるとも言える。進行係とは虚構と現実、個別性と普遍性の間の緊張関係を維持するために、それぞれの比重の調整役のような人物でもあるのだ。 ただし、『神戸　わが街』ではこの緊張関係が崩れる場面がある。３場になり、進行係を介してこの物語の舞台が阪神・淡路大震災によって被災した街でもあることが告げられる場面だ。３場が始まると進行係は２場から9年経ったと告げ、次のように語る。

もちろんこの街も変わりました。五年前の一九九五年一月十七日、午前五時四十六分、明石海峡、北緯三十四度三十六分、東経一三五度〇二分を震源地とする、マグニチュード七・三の大地震が発生、死者六千四百三十四人、全壊家屋十万棟、被災者数三十二万人という、大災害をもたらしたのです。ひとつの街が、というよりひとつの文明が引き受けるには、大きすぎる惨事ということが出来るでしょう。街を歩くとまだそこここに、災害のつめ跡が生々しく残されております。これほど大きな変化をこうむった街……。ですが、にもかかわらず、というより、だからこそと言った方がいいんでしょうか、私は、そうでありながらこの街の、変わらなかったことの方に目が向いてしまうのです。

それまで本作はワイルダーと同じく、グローヴァーズ・コーナーズの二つの家族を中心とした物語だったが、街の住人たちは関西弁を話している。話し言葉はローカルなものであっても、あくまでも舞台上に描かれる街は架空のアメリカの街として観客の目には映っていたが、物語の舞台が神戸であることが告げられることで、住人たちの話し言葉と物語のつながりが俄かに緊密化する。虚構と現実のバランスが崩れ、現実が生々しく迫り上がってくるのだ。加えて、被害について形容詞的に語られるより、数字を並べられた方が真に迫ってくる。ワイルダーが劇冒頭にほどこした仕掛けのように、別役は進行係にこと細かく、震災の規模を進行係に語らせることで、これが他でもない、震災後の神戸の物語であるとしているのだ。進行係を演じた今仲ひろしは、それまで飄々とした佇まいで物語を俯瞰していたが、震災の描写の場面では声に力がこもっているように感じられた。なぜなのか。ここで冒頭のプロローグが思い出される。あのプロローグは作品解説だけでなく、この劇を誰が演じているのかを見るものに強く意識させる効果があった。その上で、先の場面についても進行係の演技として受けとめると、やや大袈裟に感じられるものも、役を演じる俳優と震災との心の距離がそこにあらわれていると捉えれば、納得する。今仲をはじめとするピッコロ劇団にとって阪神・淡路大震災の記憶は30年経っても鮮やかなのだ。そして、そう感じた観客であるわたしにとっても、震災に傷ついた街の姿はあまりに生々しく身近なものなのだ。こうして本作は30年前の神戸の物語を介して、いまを生きるわたしたちと震災の記憶との心の距離を浮かび上がらせているのだ。
永遠なるものとして確かめられる日まで
震災に触れられたあとの何もない舞台は、まるで被災した直後の神戸の街のようでもあり、そこに出演者がテーブルや椅子を運び込む様子はかつてあった街の姿を再現しようとしているかのように見える。その一方で、生々しく現実感が前傾化したあとでも、本作は震災で傷ついた神戸という街の物語として閉じていくのではなく、広がりをもって終幕をむかえる。別役は進行係にこうも語らせている。

でも、やがて時がたつ……。晴れた日、雨の日、風の日……。そして我々は、悲しみというものが、静かに流れる時間のようなものに思えてくる……。ね、この時ですよ、死というものが永遠なるものと結びついて考えられるようになるのは……。その人の面影でもない、その人の思い出でもない、その人の名前でもない、その人の残した物でもない、それらは次第に薄れて、何かしらもっと手堅い、何かしらもっと確かな、永遠なるものとしてそれが確かめられるようになるんです……。

時の経過は死者を忘却の彼方に押しやるのではなく、むしろ、より確かな永遠の存在へと変容させる。作者の壮大な死生観は、死者を悼む者の心に優しく寄り添う。死者となったエミリーは生前の家族とのひと時を見て、人生というものを理解できる人間はいるのだろうか？と問うていた。彼女が思う通り、わたしたちは悲しみがいずれ静かに流れる時間のようなものに思えてくるなどとは思えず、いま抱えている悲しみにとらわれてしまう。しかし、それでいいのだ、と作者は言っているのではないだろうか。いずれ死が永遠なるものとして確かめられるまで、嘆き悲しみ、声をあげて泣いてもいい。それが、「いま」という時間の中で死者を悼むすべなのではないか。2011年3月11日に起きた東日本大震災からまだ日の浅い5月。こまばアゴラ劇場で開かれた「焼け跡と不条理」という対談で、別役は対談相手の平田オリザにこう語ったという。当時、話題となっていた宮沢賢治の『雨ニモマケズ』についてだ。

私もあの詩は好きだし、あの詩が三月十一日以降、多くの人に読み継がれているのはいいことだと思う。ただ、あの詩で本当に大事なところは、『雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ』頑張っていこうというところではないのではないか。本当に大事なのは、『日照リノ時ハ涙ヲ流シ、寒サノ夏ハオロオロ歩キ』の方なのではないか（平田オリザ「オロオロ歩ク」より）

別役は「頑張ろうと励ますことも、たしかに大事かもしれないが、本当に大事なのは、きちんと嘆き悲しむことだ。そこからしか真の復興はありえない」とも語ったという。別役にこう語らせたのは、彼自身、幼少期経験した、満州からの引き揚げ体験であり、阪神・淡路大震災の記憶だろう。震災をきっかけに生まれた『神戸　わが街』は、上演されるたびに、演じるもの、観るものが抱える震災の記憶を映し出すはずだ。きっとその度に街をめぐる対話も生まれるだろう。そうして神戸という街の物語は、誰かの、そして、どこかの街の物語となって、未来へと続いていくのである。]]></description>
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<title>近づく「夕暮れ」を感じつつ働き続けるということ </title>
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<pubDate>Tue, 20 Aug 2024 00:00:00 +0900</pubDate>
<description><![CDATA[劇作家・演出家の高橋恵が主宰する大阪の劇団「虚空旅団」が、９月、代表作の一つ『ゆうまぐれ、龍のひげ』を再演する（高橋作・演出）。目を奪われるような大事件が起きる舞台ではない。バブル経済崩壊後の「失われた30年」の中で、大阪にある町工場と、その工場を営む家族がゆっくりと変容していくさまが、淡々と、しかし温かみのある筆致で描かれる。新たなキャスティングで再演するこの作品に、高橋はどんな思いを込めたのだろうか。
舞台は大阪の小さな町工場
今回は、大阪・ミナミの小劇場「ウイングフィールド」が開催している「ウイング再演大博覧會2024」（５～11月）の参加作としての上演である。この演劇祭は、演劇団体が過去に上演して好評を得た作品を、「今」の視点でブラッシュアップして再演しようという企画。初演した会場はどの劇場でもいいという。ウイングフィールドは「見逃した芝居は面白い」をキャッチコピーに、1993年から2009年まで、再演博をほぼ毎年開催。その後一時休止させていたが、新型コロナウイルス禍が一応の収束をみた今、関西の小劇場演劇の面白さ、多彩さを改めて発信していこうと、15年ぶりに復活させたのだ。参加作には、スタッフが「自信を持って薦める」秀作11本がずらりと並んでいる。『ゆうまぐれ、龍のひげ』は、虚空旅団が12年にウイングフィールドで初演した作品で、ＯＭＳ戯曲賞の最終選考に残った（高橋はその後、14年に初演した『誰故草』でＯＭＳ戯曲賞大賞を受賞している）。舞台は、大阪の小さな町工場の片隅にある坪庭。思い出の詰まった坪庭を見つめるのは、ここで生まれ育ち、今は家を出て会社勤めをしている娘の涼花だ。工場の創業者は涼花の祖父で、両親がその後を継ぎ、今は涼花の兄が三代目として経営にあたっている。海外から安価な製品が入ってくるようになり、工場の経営は苦しい。だが、高齢になった両親のために、坪庭をつぶしてエレベーターを設置することになる。涼花、兄とその妻、叔母ら、工場や家庭に対する家族のさまざまな思いが、この坪庭で交錯する。実はこの作品は、高橋自身の実家がモデルなのだという。初演からはや12年。高橋は「実は実家の工場が、昨年更地になったんです」と話す。「一つの『場』がなくなるということに、自分自身、ショックを受けました。そして今改めて、こういう場所があったのだ、ということを一般の方々に知ってもらいたいと思い、再演を決めました」。
人間が「働く場」にひかれて
高橋はこれまでに、さまざまな「働く人々」を戯曲のテーマに取り上げてきた。看護専門学校を実際に取材し、看護師として働いた経験のある人約20人に話を聞いて書き上げた『フローレンスの庭』（07年、岩崎正裕演出）は、看護職を目指す若者たちの物語だった。『花里町プレタポルテ』（16年、上田一軒演出）では、廃れてしまった縫製の町を舞台に、縫製工場で働く人々の悩みと挑戦を描き出した。また『ダライコ挽歌』（20年、高橋演出）は、亡き兄に代わって町工場を継ぐために転職した新社長が主人公。関西の、いや日本の「ものづくり」を支えてきた中小零細企業で働く人々の努力と苦闘を描いた同作は、多くの観客の共感を集めた。高橋は「人が集まって働く場所に興味がある」と言う。「自分とは異なる価値観を持つ、いろいろな人々と向き合える場所ですから」。高橋自身、十を超える職場で働いてきた。高校時代に演劇を始め、92年、甲南女子大学在学中に「劇団逆境ＶＡＮＤ」を旗揚げ（06年に虚空旅団と改称）。大学卒業後も働きながら演劇活動を続けた。最初に入社したのは印刷会社。「ここでパソコンの技術を身につけたことが後々役立ちました」。同社を辞めた後も、さまざまな仕事を経験した。洋服の型紙を作るソフトの開発に携わったこともある。「転職を繰り返してきました。労働の対価をお金だけとみると割に合わないことが多いけれど、劇作家として職場を取材させてもらっていると思うと、どこもとても面白いんです」。どの職場にも、それぞれの人間関係があり、独特の習慣や文化があったりする。働いて得た経験は、高橋の戯曲の中に巧みに生かされている。だが、働く人々を描いても、高橋の戯曲には、華やかな職業に就いている人や、成功した起業家などは出てこない。描かれるのは、明日が少しでも明るくなるようにと願いつつ、地道に、誠実に、自らの仕事に打ち込む人々の姿である。もはや経営の「夕暮れ」を迎えているような会社も登場する。高橋は「そんな会社が日暮れを迎えることは、誰にも止めようがないのかもしれない。でも、そこで働く人が、毎日ひどく不幸かというと、そうでもないように思うんです」と言う。「誰だって年をとって死ぬ。それは止められない。でも、だからといって人は生を放棄するわけではないし、何もしないというわけでもない。死ぬことは決まっている、それでも日常を生きていく。そういうものなのだと思います」。『ゆうまぐれ、龍のひげ』に描かれる工場にも「夕暮れ」が迫っている。だが劇中の涼花は「人間にできること」として、「しんどくても生きて、死ぬこと」をあげ、「それってけっこう大事なことやと思います」と話す。いずれ廃業に向かうとしても、工場の仕事や家族の営みは当たり前に続く。そこからは、諦念やニヒリズムには簡単に陥らない、人間が持つ本質的な明るさがほの見えてくる。
劇作の二つの柱
高橋の劇作家としての仕事には、二つの大きな柱がある。一つは『ゆうまぐれ、龍のひげ』のように、地に足の着いた職場もの。そしてもう一つは、時代の流れの中を力強く生きた著名人を扱う評伝ものである。たとえば『光をあつめて』（12年、深津篤史演出）では女性写真家の草分けである山沢栄子を、『人恋歌～晶子と鉄幹～』（17年、大熊隆太郎演出）では歌人の与謝野晶子を、『落選の神様』（21年、高橋演出）では日本画家の片岡球子を、『四Ｔ（シーティー）～桜梅桃李～』（23年、高橋演出）では中村汀女ら女性俳人の先駆者４人の人間像を描いた。彼女らの人生の出来事を時系列で並べるのではなく、劇作家自身の視点で切り取り、改めて組み立てるのが高橋の評伝劇の面白さだ。しかも評伝に取り上げたのは女性だけではない。茶人の千利休や戦国大名の三好長慶など、守備範囲は幅広い。虚空旅団のメンバーは現在、高橋を含め３人。高橋は今後も「職場もの、評伝もの、この二つの柱を軸に、劇作に取り組んでいきたい」と言う。随分かけ離れた２分野のように見えるが、しかし、著名か無名かの差はあれ、どちらにも、いつか終わりが来る生の時間を、思いを貫いて生き切った人間たちが描かれているように感じられる。少なくとも高橋が尽きない魅力を感じているのは、そんな人間像なのだろう。
10年たっても通用する作品を
今回の再演では、客演を含めた出演俳優５人のうち、３人が新キャストとなる。おのずと舞台の雰囲気も変化する。高橋は「作品の強度を上げるためにも、再演はもっともっとやればいいのではないか」と話し、「新作しか相手にしないという姿勢は、作る側、見る側の両方にとって疑問」と指摘する。「私たちは、10年たっても通用する作品を作ることができているのかどうか。それを検証していく必要があります」。コロナウイルスの猛威は一応収まったものの、演劇を取り巻く関西の環境には依然として厳しいものがある。しかし高橋はきっぱりと言う。「助成金がとれない、観客が戻らない、とただ言っていても何も始まらない。面白いものを作れば、お客様は見に来て下さる。目の前にある芝居を面白くすること、それが大事なのだと思っています」。高橋もまた、演劇というライフワークを得て、日々を着実に生きようとする人なのである。]]></description>
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<title>A級MissingLinkの土橋淳志、地下世界を描く新作に込めた思い</title>
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<pubDate>Mon, 29 Jul 2024 12:30:00 +0900</pubDate>
<description><![CDATA[2000年、近畿大学生が在学中に旗揚げしたA級MissingLinkで、結成以来、作・演出を務める土橋淳志。2011年には仙台を活動拠点にする劇団三角フラスコと東日本大震災をテーマに合同公演を実施。その後も、震災後の日本が抱える個人や社会の問題などをテーマに、真摯に作品を発表してきた。人の痛みは、他者には計り知れないという謙虚な態度は崩さず、しかし精一杯想像する。視点が多彩で、人に対する視線が優しいのが、彼の劇作の魅力だ。また、トリッキーなメタシアターの手法を巧みに繰り出すことでも知られる。 新作『富士山アンダーグラウンド』は、地下世界が舞台。しかも設定は現代日本。意表を突く設定に込めた思いは何か。新作の見どころを語って頂いた。
人は簡単にアップデートできないこともある
富士山の北西に広がる青木ヶ原樹海。その地下数百メートルに、淡路島ぐらいの面積の大空洞・アガルタがあることが、明治時代に発見されたという設定だ。そこではアガルタ人が縄文時代に近い生活をしていた。その後、地上に移り住む人も増えたが、ナウマンゾウ祭りには、日本各地から何万人ものアガルタ人が里帰りをする。祭りを明日に控え、アガルタ出身の大学生・美咲が帰郷。同級生の城之内もついてくる。かつて交際していた美咲とよりを戻したいという願望があったのだが、そこで様々な事件に巻き込まれていく。大昔そのままの生活をしている人達が、今の日本にもしいたら、どういう摩擦が起きるのか。それを出発点にしたフィクションを思いついたきっかけは「人間は野蛮な状態から文明的な状態に進歩するのが歴史の必然であり、正しいことだと、漠然と共有されてきましたが、人はそう簡単にアップデートできないこともあるのではないでしょうか。現代的生活をしていない人、生まれながらにアップデートできない人もいるはずで、それは野蛮なのでしょうか。無理にアップデートさせなければならないのでしょうか？そういうことを演劇で描くために、アンダーグラウンド、地下世界というものを象徴的に考えました」。西欧から波及した人間のあり方や環境についての考え方が、ポジティブな成果とネガティブな摩擦を起こしているのが、昨今の情勢と捉える。「僕自身は、西欧のリベラルな考え方について、積極的に勉強し、時代に合わせてアップデートしていきたいと考える立場です。しかし、現在の価値観に合わせられない領域はあると思います。例えば祭りや伝統行事。最近も、祭りの事故で動物が死んでしまった時、SNSで批判が集中していました。動物愛護はヨーロッパから日本に伝わった価値観ですが、西欧的な考え方と日本の伝統の付き合い方を、どう調整するのかが大切だと思います。伝統はなくならないものという前提でものを考え、両者を繋げていくことはできないものでしょうか」。その模索を作品の中で表現する。多様な価値観を持つ人が共生できる、豊かな社会のあり方について観客と共に考えることを目指している。劇中に登場する、架空のナウマンゾウ祭り（人とゾウが戦う行事）については、「人には原始的なところがあると思います。勿論、命が最も大切であるのは、理屈では正しいです。ただ、自分の命より大事なものを時々見つけてしまうのも人間です。家族であったり、自分の生まれた土地に対する思いであったり、誤解を招くかもしれませんが、誇りであったり。そういう人間っぽいものとどう付き合っていくのか」。それを考える暗喩としてのナウマンゾウ祭り。決して命をかけることを推奨するわけではないが、人の奥底に潜んでいる意識を焙り出していく。他にも様々な暗喩に満ちた戯曲。暗喩の答えは、一つではない。観る人によって、多彩な想像と解釈が楽しめる舞台になりそうだ。
不確かな現実をポジティブに捉える
土橋の戯曲は、巧妙な入れ子構造であることが多い。劇中劇があるなど、物語の中で別の物語が展開する多重構造。現実の場面と思って観ていたら、いつの間にか妄想の世界にすり替わっていることもある。メタシアター（演劇についての演劇）と呼ばれる手法だ。「今回は、設定自体が日本の地下世界というパラレルワールドなので、さらに複雑にならないよう、入れ子構造にはしていません」とのことだが、この機会に、彼がメタシアターにずっとこだわってきた理由を聞いてみた。「阪神・淡路大震災の影響があると思います。1995年には震災と地下鉄サリン事件が起きました。また『新世紀エヴァンゲリオン』の放送が始まったのも、この年でした。この年に受けた影響が大きいです。世界が分裂しているような感覚を持っています。ゆるぎない世界が1個だけある、という感覚が持てないのです。今生きている時間も、果たして現実なのかどうか・・・。確かな感覚が持てず、その不確かな現実を描いていきたいです。現実が不確かなのは、ネガティブなこととは限りません。『もしかしたら、こうだったのかもしれない』と、別の可能性を感じるのも好きです。また、過去の思い出は、人に話すたび、毎回更新されていきます。しゃべっていくうちに、変わっていきます。そうやって過去の時間を捉えたほうが生きやすいと思っています。架空の日本を設定することも多いですね。別の可能性があったかもしれない、と考えることが、未来を考えるきっかけになるのではないでしょうか」。新作はメタシアターではないものの、それに通じる彼の世界観が生きている。
集団性について。皆が気持ちよく、いい作品の作れる環境を整えたい
結成当時から、劇団代表と、作・演出をする人は分けている。代表は松原一純、作・演出が土橋だ。「権力の集中を回避し、分散するためです」。旗揚げ時には10人だった劇団員。今は当初からのメンバー3人と、その後入団した一人の、計4人が常に公演に参加し、ほかのメンバーは、その時々で参加できる時は参加するという、無理のない体制だ。劇団活動で重視しているのは「皆が気持ちよく、いい作品が作れる環境をどう作るのか、ということを常に考えています。ハラスメントが起きないように、ということは勿論ですが、台本を早く書き上げることも大事です。本番2ヵ月前には脱稿するようにしています。本を早く仕上げることで、スケジュールもきちんと立てて、計画的に進めることができます。ただ、自分はなんでも準備をする方なのですが、一番思い通りにならないのが、本を書くことです。『この日までに何ページ書く』と決めても、やはり書けない時は書けない。対策としては、早くから書き始めること。また、プロットをしっかり作ってから書き始めると早いです。それでも今回は、かなり苦戦しました」。
関西演劇界に必要なこと
若い才能が次々に登場している関西演劇界。必要と思うことは何かを問うと「若い人が演劇を続けられる環境がもっと整うといいですね。例えば、稽古する場所。大阪はまだ稽古場が少ないです。特に長期間借りられて、ものが置ける稽古場がないですね。その日稽古するためだけの部屋は借りられますが、本番直前は、仮舞台を作って、実寸で稽古したいものです。それのできる場所が、なかなかないですね」と、若い劇団を気遣う。 かなりの実力派だが、派手な宣伝活動はしておらず、まだご覧になったことのない方もいらっしゃるだろう。この機会に、彼らの個性的な舞台に足を運んでいただければ幸いである。]]></description>
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<title>劇団壱劇屋の大熊隆太郎、観客参加のオールスタンディング演劇の見どころを語る</title>
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<pubDate>Fri, 17 May 2024 00:00:00 +0900</pubDate>
<description><![CDATA[「劇場に来るって、めっちゃ楽しいこと！と、感じてほしい」と語るのは、劇団壱劇屋代表の大熊隆太郎。6月14日から兵庫県伊丹市のアイホールで上演される新作『LOVE TOURNAMENT』（大熊隆太郎脚本・演出）は、観客参加型の「オールスタンディング演劇」だ。あたかもスポーツ観戦するかのように、観客は、鑑賞と体験の両方が楽しめる、一体感のある演劇。コロナ禍以降、まだ完全には動員が以前のように戻っていない関西演劇界だが、わくわく感のあるステージが、起爆剤になるかもしれない。次回作の見どころを語って頂いた。
観客との距離の近い小劇場で、みんな一緒に楽しみたい
同劇団は「世にも奇妙なエンターテイメント」と称して、パントマイムやダンスなど、身体表現を駆使した、多彩な演劇を繰り広げている。これまでも、観客が俳優とともに大劇場のロビーや舞台袖、客席、地下の倉庫などを歩きながら鑑賞する「ツアー型演劇」などを行ってきたが、舞台と客席を取り払った、フラットな空間でのオールスタンディングの演劇は、今回が2作目。第1弾の『空間スペース3D』は昨年再演され（初演は2019年）、観客のすぐそばで俳優達が歌い、踊り、演技をし、時に観客も参加する、まるでクラブでライブ体験をするような、とびきりはじけたステージだった（注：静かに見ていたい観客のための椅子席も用意されている）。「お客さんとの距離の近さや臨場感が魅力の小劇場で、『みんな一緒に楽しもうぜ！』という気持ちで作りましたが、お客さんが楽しそうで、きらきらしているのが演者からもよく見えて、演じる側もさらにノリノリになりました。相乗効果となり、モチベーションがますます上がりました」。確かにこの舞台で、観客は皆、俳優達の呼びかけに応じ、積極的に参加していた。こういった舞台に慣れているように見えたが、意外にも観劇後の観客の感想は「『こんな演劇を体験するのは初めてで、最初は少し不安でしたが、最後はノリノリになって楽しかったです』という言葉を頂きました」とのこと。サービス精神に満ちた親しみやすい舞台で、自然と観客もリラックスしていたようだ。「劇場にせっかく来ていただくなら、他では得られない体験をお客様にしていただきたいです」。
モテるための手練手管を、人前で堂々とやってみせる
新作『LOVE TOURNAMENT』では、観客は、ある試合の観衆という設定で劇を体験する。その試合とは、なんと恋の試合。物語の前提として、ある日、関西に不思議な隕石が落ち、以来、女子高生達が究極のモテ期に突入し、関西はモテモテ戦国時代となる、という設定。そこに目を付けた大富豪が、最強のモテモテ人間を決めるラブトーナメントを開催するというものだ。物語は、相手を自分に惚れさせたら勝ち、というゲームが行われる大会当日の、予選から決勝までが綴られる。その間に、本物の恋愛も生じ、また大人達の野望や、隕石の謎などの裏ストーリーも絡まる。恋愛を真正面から取り上げることについて「今回のテーマは、『モテ』にしたいと思いました。動物の場合は、子孫を残すことを目的に、モテようとし、姿形の派手さや強さを競います。でも人間の場合の『モテ』とは、『幸せになるため』ではないでしょうか。人を好きになり、そして相手に好かれたいと思う。そのためには努力が必要です。相手を思いやること。それが幸せにつながって、もっと広い意味の人間愛にもつながっていきます。モテるための手練手管は、本来、人に悟られないようにするものですが、それを人前で堂々とやることがおもしろい。求愛を描こうとすると、人間の滑稽な面も浮かび上がってきますから」。同劇団の舞台には、毎回斬新なアイディアが満ちている。大熊原案のもと、劇団員が稽古場で発想を広げ、全員で膨らましている。今回は客演陣を含め「相手をどきっとさせるための、恋の手練手管を話し合った」とのことで、和気あいあいとした稽古場の光景が目に浮かぶようだ。
劇団壱劇屋は「増殖中」
関西屈指の人気エンタメ劇団だが、実は劇団壱劇屋には、大阪組と東京組というふたつのチームがある。珍しい体制だ。もともとは大阪の劇団で、2008年、磯島高校演劇部出身者達により創立されたが、2019年に旗揚げメンバーの竹村晋太朗と、一部のメンバーが東京に活動拠点を移した。それを機に、劇団も大阪と東京のふたつのチームに分かれた。ただし「分裂」でなく「増殖」。壱劇屋の表現を続けたい気持ちに変わりはない。東京は殺陣中心の舞台作りとなり、 2.5次元的なステージが人気上昇中。大阪と東京のチームが合同で公演を行うこともある。大阪組は若手中心の顔ぶれとなり、現在16人。東京組は、最近もメンバーが増え、正劇団員が14人、準劇団員が7人の計21人。フォトグラファー1名を含め、全体で38人の大所帯となった。若手を入れては、育て、を繰り返し、劇団として成長を続けている。また今回、高校生以下無料、22歳以下500円という、破格の料金設定をしている。「若い世代にも小劇場の魅力を知ってほしいです」。小劇場は、何かきっかけがないと、最初に足を踏み入れる時の敷居がやや高いようで、若い世代の新しい観客層の開拓が、各劇団の課題にもなっている。そこを見据え、思い切った方法をとっている。
関西演劇界に必要なこと
大熊は、京都で大ヒットロングラン中のノンバーバルシアター「ギアーGEAR-」レギュラー出演者としても知られる。作、演出、演技、パントマイム、ダンス、振付、そして劇団公演の劇中歌の作詞作曲まで行う、何でもできる、才能豊かなアーティストである。劇団外でも、俳優やパントマイム、演出などの仕事も多く、演劇やマイムのワークショップの講師の依頼もあり、舞台の仕事だけで食べられている関西では稀有の存在である。その多才ぶりゆえ、子供の頃から芸術や芸能活動を行ってきたのかと思ったが、意外にも、活動のスタートは、高校演劇部からとのこと。すべてそれ以降に始めて、身に着けたものだ（中学まではバスケットをしていた）。バイタリティ溢れる努力の人である。今後も関西を拠点に活動を続けるが、関西演劇界に課題があるとすれば何かを問うと、「若手劇団にとってのチャンス。顔見世できる場所や企画がもっと広まっていけばいいですね。またベテランと若手が出会い、一緒に仕事のできる機会が増えるといいですね。僕自身も若い頃、上の世代の人とつながる機会が少なくて・・・。でも、一緒に仕事をする機会があると、世界が広がっていきました」。期待の若手と呼ばれ、新しい表現を追求し続けてきた大熊も、今年38歳。若手アーティストにとっての兄貴分となり、関西演劇界全体の活性化も考えつつ、新しい発想で歩み続けていく。ますます楽しみな鬼才である。]]></description>
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<title>台所のエレクトラ</title>
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<pubDate>Tue, 27 Feb 2024 00:00:00 +0900</pubDate>
<description><![CDATA[関西弁で演じる古代ギリシャ悲劇
近年、ギリシャ悲劇に力を注いでいる清流劇場。昨年は『エレクトラ』を原作とした『台所のエレクトラ』を上演した（2023年10月14日、大阪市の一心寺シアター倶楽で所見、エウリピデス原作、田中孝弥上演台本・演出、丹下和彦原作翻訳・補綴・ドラマトゥルク）。ここ数年の清流劇場のギリシャ劇は、大阪ことばで演じられている。関西では10年ほど前から、セリフを関西弁で書き、演じる舞台が増えてきた。シリアスだったり軽やかだったり、作品の内容はさまざまである。本作のパンフレットで、演出家・俳優たちは関西で暮らしているため、その地域の言葉として大阪弁で演じている旨、田中氏は述べている。かつては関西弁の芝居＝喜劇もしくは根性ドラマというイメージがあったが、今は違う。もちろん喜劇は大切な関西の文化である。しかし、関西人の日常生活がいつも喜劇であるわけはないのだ。大阪弁のセリフのやり取りは親近感を抱かせる。本作の幕開けは、エレクトラ（中迎由貴子）と夫（上海太郎）がアパートで夕食をとる場面である。アジフライが食卓にあるのを見た夫が「えらい豪勢ですやん！」と声をあげたり、王女であるエレクトラが「ホンマ、おおきに」と返したり、生活言語で交わされる会話に、登場人物や物語世界を身近に感じることができた。また、本作は、エレクトラが住むアパートの台所でほとんどが展開される。『台所のエレクトラ』という題名通りだ。台所は誰にとっても馴染みのある場所である。家にいて、台所に一歩も入らない日は、まずないだろう。ここにも親近感がある。この親近感は共感につながる。100年経とうが1000年経とうが、人間の考えることや行動は変わらない。わかるわかる、と観客はうなずけるのだ。洋の東西を問わず古典作品が今も上演され続けているのは、そんな普遍の感情が表現されているからである。これも清流劇場がふだんから示している見解であり、その方向性が発揮された。
息詰まるやり取り
ただし、親近感だけでは終わらない。追放されたエレクトラの弟・オレステス（勝又諒平）たちの帰還、エレクトラの父である国王・アガメムノンを殺したアイギストス（上海太郎・二役）への復讐といった、根幹となる内容はたっぷり描かれている。中でも緊迫感に満ちていたのは、エレクトラとその母・クリュタイメストラ（八田麻住）が対峙する場面だ。クリュタイメストラはアイギストスと共謀して夫を殺害、アイギストスと結婚した。エレクトラとオレステスは父の仇討のため、女王となった母を亡き者にする決心をし、クリュタイメストラを自宅に呼ぶ。冷たく接するエレクトラ。そんな娘に対して、クリュタイメストラは、夫を殺したのは、自分たちの長女を生贄に差し出して命を奪ったからだと、理由を告げる。しかし、エレクトラは、自分たちはその後に追い出され、生きながら殺されていると受け止めている。双方の埋まらない溝がセリフを通して浮かび上がる。やり取りの途中、クリュタイメストラは、持参したお土産の饅頭をエレクトラに勧める。エレクトラはクリュタイメストラにお茶を勧める。しかし、お互いに相手が勧めたものを口にしない。「どんな雑菌が入ってるか」と言いながら、毒が入っているのではないか？　二人とも疑心暗鬼になっていることが伝わってきて、客席にも緊張感が走った。その後、エレクトラは弟たちと共にクリュタイメストラを殺めるのである（ちなみに、その直後、饅頭には毒が入っていなかったことがわかる。一方のお茶には、毒を仕込んでいたことが示唆される）。この一連の場面では息詰まるやり取りが交わされ、密度の濃い成果をあげた。大阪弁は笑いや根性に特化しているわけではないのである。親近感と緊迫感がバランスよく共存した、独自性あるギリシャ悲劇の上演であった。]]></description>
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<title>ウイングフィールドのスタッフに聞く「ＷＩＮＧＣＵＰ」が目指すもの</title>
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<pubDate>Thu, 26 Oct 2023 00:00:01 +0900</pubDate>
<description><![CDATA[にぎやかな繁華街のビルの６階に、小劇場「ウイングフィールド」（大阪市中央区東心斎橋）はある。1992年の開設以来、100席に満たないこの空間は、小劇場演劇の拠点として関西の演劇ファンに親しまれてきた。演劇人を後押しする多彩な企画も主催してきたが、2023年12月～24年２月に行われる若手劇団のための演劇祭「ＷＩＮＧＣＵＰ（ウイングカップ）」も、その一つ。14回目となる今年度は７団体が参加する。「若手劇団にとっては、羽ばたいていける足場となり、中堅・ベテラン劇団にとっては、疲れた時に羽を休めて原点を見直せる〝野戦病院〟のような場となるように」。ウイングフィールドの福本年雄代表は、小劇場運営の理念をこう説明する。それは、新しい才能の発掘に情熱を傾けた初代のプロデューサー、中島陸郎（99年死去）の意志でもあった。ＷＩＮＧＣＵＰが、その志を受け継いでいることは言うまでもない。
ＷＩＮＧＣＵＰの誕生と歩み
第１回が開かれたのは10年の秋。当時、ウイングフィールドの事業主任だった寺岡永泰のアイデアだった。劇団「流星倶楽部」の演出家でもあった寺岡は、近年、劇場ではなくカフェやライブハウスで上演する劇団が増え、人間関係が仲間うちで閉じがちで、若手と先輩の間での知識の継承が難しくなっているのではないかと懸念していた。そこで、ミーティングや前夜祭・後夜祭（合評会）に参加すること、相互に招待し合うことなどを条件に参加団体を募り、劇場費の割引、劇場スタッフのアドバイスなどの支援が受けられる演劇祭を企画。劇作家、劇評家ら審査員による合議で最優秀賞、優秀賞を決めることにした。以来、ＷＩＮＧＣＵＰは年１回開催され、年度によって幅はあるものの、各回４～10劇団が参加してきた。新型コロナウイルス禍の中にあった21、22年度は数劇団が上演を中止せざるを得なかったが、それでも演劇祭自体は継続させた。関西ではこれまで、若手劇団向けの企画として、兵庫県伊丹市のアイホールの次世代応援企画「ｂｒｅａｋ　ａ　ｌｅｇ」、大阪市天王寺区のシアトリカル應典院本堂ホール（現浄土宗應典院本堂）での舞台芸術祭「ｓｐａｃｅ×ｄｒａｍａ」、神戸アートビレッジセンターの「ＫＡＶＣ　ＦＬＡＧ　ＣＯＭＰＡＮＹ」などが知られたが、いずれの企画も既に終了している今、ＷＩＮＧＣＵＰは、若手劇団が最初に目指す演劇祭として注目度を増している。最近は、北海道や愛知など他地域から参加する劇団も出てきた。
多様な視点から審査する演劇祭
今年の参加団体は七つ。上演スケジュールは次の通り。片羽蝶＝12月２、３日▽自由バンド＝10日▽ｓｕｔｏα＝16、17日▽劇団ゆうそーど。＝2024年１月20、21日▽刹那のバカンス＝２月３、４日▽ナハトオイリア＝17、18日▽白いたんぽぽ＝24～26日。参加団体は、関連企画のワークショップへの優先参加や、配信システムの無料貸し出しなどの特典を受けることもできる。今年度の審査員は、広瀬泰弘（劇評家）▽塚本修（舞台監督）▽高橋恵（虚空旅団／劇作家・演出家）▽土橋淳志（Ａ級ＭｉｓｓｉｎｇＬｉｎｋ／劇作家・演出家）▽三田村啓示（俳優）▽はたもとようこ（桃園会／俳優・ウイングフィールドスタッフ）――の６人。最優秀賞、優秀賞の劇団には、それぞれに次回公演との提携、協力や、ウイングフィールドの１年間フリーパスチケットなどの副賞が贈られる。ほかにも、合議による俳優賞・スタッフ賞や、審査員個人賞が贈られることもある。同時に、若手演劇人を対象に、参加作品の観劇レビューを書いてもらう「若手レビュアー企画」も実施する。現在、ウイングフィールドのスタッフとしてＷＩＮＧＣＵＰを担当している豊島祐貴は、活躍の場を広げている劇団「プロトテアトル」の俳優。同劇団は、14年度の５回目のＷＩＮＧＣＵＰで最優秀賞を受けた。豊島は「劇団員たちが大学を卒業する直前の受賞で、『他の人に認めてもらえた』ことが演劇を続けていく励みになりました」と振り返る。「これからも演劇をやりたいと思う人が一歩を踏み出せるような演劇祭として続けていきたい」。審査員を務めるはたもとは、劇団「桃園会」の俳優であり、ウイングフィールドのスタッフでもある。「私は仕込みの段階から劇団の様子を見ることになりますから、作品のみを観劇する場合とは見方がまた違ってくるかもしれません」と話す。多様な視点、異なる立場から審査されるのがＷＩＮＧＣＵＰの良さだ。これまでの参加団体の約３分の１が現在も活動中で、注目の新進劇団として着実に成長しつつある団体も少なくない。
再演大博覧会も再スタート
ウイングフィールドは、これまでにＷＩＮＧＣＵＰ以外にも、さまざまな企画を行ってきた。コロナ禍前まで続いた「むりやり堺筋線演劇祭」（09～19年）は、同劇場をはじめ地下鉄堺筋線沿線にある劇場群に声をかけて開いたスタンプラリー形式の演劇祭。他にも、仕込みの日に上演することで経費が抑えられる「のりうち企画」や、割引企画として、２カ所以上で公演する劇団対象の「旅劇」▽ウイングフィールドを１週間借りる劇団対象の「週劇」▽10日以上借りる劇団対象の「熟劇」――があり、23年５月からは、作品製作・情報発信期間を通常より長く設定する「ウイング・レジデンスプログラム」も始まった。加えて注目されるのは「ウイング再演大博覧會」が来春にスタートすることだ。初代プロデューサーの中島が「見逃した芝居は面白い」をキャッチフレーズに93年に始めた名物企画で、初演劇場の別は問わず、過去に好評を得た作品をウイングフィールドで再演してもらおうというもの。09年に開催された後、しばらく中断していたが、福本と、スタッフである橋本匡市（演劇ユニット「万博設計」代表）の担当で、再び起動させる。福本は「厳選した10劇団に声をかけ、名作をブラッシュアップして再演してもらいます。名作と観客との新たな出会いの場になればうれしい」と話す。
人と人とのつながりの中で
ウイングフィールドは昨年、30周年を迎えた。この間、収入減少などのため一度閉館を決めかけたこともあったが、多くの演劇人からあがった存続を求める声を受けて撤回し、今に至る。現在、30周年の記念誌を編集中。この冊子は、来年、改修の目的で行う予定のクラウドファンディングで、返礼品にするという。20年から３年続いたコロナ禍の影響は、今も完全に解消してはいない。この状況を乗り越えていくためにも、「人と人をつなぐ劇場でありたい」と福本は言う。「今後はさらに、演劇界だけにとどまることなく、幅広い他分野の人々とのつながりの中で演劇の良さを伝えていくことが必要になってくるのではないでしょうか」。現代演劇に特化した公共劇場がない大阪の中心地で、民間の施設として、人と人、人と演劇、劇場と劇場をつないできたウイングフィールド。その存在の重みを改めて見つめたい。]]></description>
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<lastBuildDate>Tue, 21 Apr 2026 18:32:45 +0900</lastBuildDate>
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