コロナからの復興企画~関西演劇を広める、広げる

関西えんげき大賞

演技の窓~関西現代演劇俳優賞選考記録~ 第二十四回 関西現代演劇俳優賞

(左から)橋本浩明、梅田千絵、三坂賢二郎

大賞受賞

梅田千絵 関西芸術座

思いがけないことで本当にびっくりしました。
勿論、この賞のことは存じ上げていました。
知り合いの俳優さんも多数受賞されていますので。
そうなんですが、九鬼さんから受賞の連絡を頂いたと、演出の門田裕から知らされた時、なかなか繋がらなくて。
ありがとうございます。とても嬉しいです。
今回のお芝居は阪神・淡路大震災を扱った作品で、被災しながらも新聞を出し続けた神戸新聞社の奮闘の物語です。私は社長から現場の指揮を任される論説委員の役でして。
役をつくる時、身近な人では誰だろう、なんて思い浮かべるんですよ。知ってる人で役の要素を持ってる人。今回、まず一番に毎日新聞の畑律江さんが浮かんだんです。そして次に浮かんだのが九鬼葉子さん。なので九鬼さんから今回の役を評価して頂けたこと、すごく光栄に思います。
“俳優”というものになって、おそらく35年ほど経っている気がしますが、少し長くやってて良かったなぁ、と。
ある年齢以上の関西人にとって、阪神・淡路大震災は27年も経った昔のことではありません。果たして受け入れてもらえるのかと心配でしたが、「大丈夫!」と背中を叩かれたようで力をいただきました。
実は神戸新聞社さんのご協力もあり、5月に神戸新聞の松方ホールで再演が決まっています。この作品をまた上演できるのは有難いことです。
因みに、新人記者を演じました菊地彩香が関西俳優協議会の新人賞をいただきました。今回もアンサンブルの良さを上げて下さいました。
ブンヤチームの成果だと感じております。
演出の門田をはじめとするスタッフ・キャストの皆さん、そしてこの企画を持ってきて下さった脚色者の駒来愼さん、ありがとうございました。
みんなで5月に向け、また頑張っていきましょう。
最後に、先程からウイングフィールドに立っていて、非常に懐かしい気持ちになっていまして。劇団に入って数年、まだ若い頃、自主公演で此処ウイングフィールドさんにお世話になりました。
福本年雄さん、そして中島陸郎さんに本当に良くしていただきました。
その時の作・演出がやはり駒来さんだったんです。
駒来さんとこういう形でここへ来られたこと、嬉しい気持ちで一杯です。
「中島陸郎さん、少し上の方から見て下さってますか? 私、少しは、成長しましたか?素敵な賞をいただきました。感謝いたします。」
中島さんへの報告で終わらせていただきます。
本日は、ありがとうございました。

梅田千絵さんへの祝辞

門田裕 関西芸術座

梅田千絵さん、大賞受賞おめでとうございます。そして、この栄えある賞に選んでいただきました、九鬼さん、太田さんをはじめ、みなさんありがとうございました。
この作品は、1995年の震災が起こった年から、ちょうど25年後の2020年に上演する予定だったのですが、その年からの新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受けまして、延期を余儀なくされました。でも、どうしてもやりたい、という思いがあり、機を見てやろうとしたのですが、その都度、緊急事態宣言にぶち当たってしまったものですから、二度、三度の延期となりました。そしてやっと昨年、2021年の12月に、大阪での公演が叶いました。何とか上演できた、という感じです。
先ほど、梅田千絵も申しましたように、当時の震災の時に、ちょうど神戸の三ノ宮駅前にある、神戸新聞会館、神戸新聞社の本社も壊滅状態になりまして、新聞の発行が不可能になりました。それでも、地元の神戸新聞の記者たちが集まりまして、何とか地元の人たちに情報を伝えたい、という思いの中で奔走しました。そして、一日も休まずに、新聞を発行し続けた、という実際のお話があります。この作品は、その『神戸新聞の100日』というお話を、原作としたものであります。
その中で彼女が演じましたのは、女性論説委員。しかも、その中盤からリーダーシップを取っていく、という非常に難しい役どころをやってもらいました。
当時、女性の、しかも論説委員というのは、非常に少なかったかと思います。それが、一気にリーダーシップを取っていく。これは、原作には一切なかったお話で、脚本を書きました駒来愼と私が、こういう人物を登場させようと話をして、その構成のもとで、彼が書き上げてくれました。
彼女とは、お互い劇団員で長い付き合いになります。私が演出をする時には、彼女には大体、重要な役と言いますか、難しい役をつけてしまいます。それは、彼女がどんな役でも難なくこなせる人物である、ということではなく、常に、その作品の解釈、それから事前の準備と努力、普通の俳優以上に、準備と努力をしてくれています。だから僕は、常に彼女に任せっきりで重要な役割をやらせてしまいます。
そんな、彼女の準備と努力で表現する人物像は、生半可なものではありません。血肉の通った、リアリティのある人物をいつもやってくれます。僕は、演出をしていて本当に楽です。これからも、その準備と努力、そのスタンスを怠らずに、邁進していって欲しいと思っております。
先ほど梅田千絵が申しましたが、昨年の12月に大阪公演が終わりました後に、これをどうしても神戸の方々に観ていただきたい、という思いで、神戸新聞社さんと関西芸術座の共同で企画しまして、神戸のハーバーランドにあります、神戸新聞松方ホールで、この5月の7日に再演することになりました。
梅田千絵の芝居を見逃したという方、このお芝居を見逃したという方は是非、5月の7日に松方ホールにお越しください、と宣伝を兼ねてお願い致します。ありがとうございました。

大賞受賞

橋本浩明

この賞をいただくにあたった公演、『丈夫な教室-彼女はいかにしてハサミ男からランドセルを奪い返すことができるか-』の、大もとの企画であります、アイホールさん、それから、この公演を立ち上げてくださいました、T-worksさん、作・演出の小原さん、出演のみなさん、そして、緊急事態宣言のさなかに観に来てくださった観客の方々に、感謝を申し上げます。ありがとうございました。
この、『丈夫な教室-彼女はいかにしてハサミ男からランドセルを奪い返すことができるか-』は、自分にとっても、思い出深い作品でして。出演者が、沢山いらしたんですけど、自分が今まで知り合ったことのない、名前も知らない、顔も知らない方々ばかりで、知っている方は二人ぐらいで。作演の小原さんとも、喋ったことが一回ぐらいで。だから、凄く緊張した記憶があります。たぶん、あのメンバーが、全員別の公演で集まることは、もう無いだろうな、と思いました。
この賞に選んでいただいて、本当にありがたいんですけど。何か、恥ずかし過ぎて。連絡いただいてから、この日が来るのが、怖いというか、嫌だったというか(笑)。そんな感じでした。
でも、もはや再会することがないであろう方々を、この賞をいただくことで、思い出すことができたと言うか、小原さんにも、こうして会うことができて、出演者さんとも会うことができて、それは本当に嬉しく思っています。ありがとうございました。

橋本浩明さんへの祝辞

小原延之

橋本さん。この度は、関西現代演劇俳優賞大賞、ご受賞おめでとうございます。僕でもサブタイトル忘れているのに、しっかりと二回も言ってくださって、ありがとうございます。選考していただきました、九鬼さん、太田さん、ありがとうございました。
関西の俳優たちに光を当てていただいて、こうして、公の場で褒めていただけるというのは、大事なことだと思います。何かしら、精神的にヤバイ時も、これを足掛かりにして、励むことができる。力になっているのだと思います。どうか、永遠にこの賞を続けていただけたらと思います。
この作品は、池田小学校の児童連続殺傷事件をモチーフにした作品で、個人が、自分の芸術活動の為であるとか、お金の為に上演するのは、非常に難しい作品だったと思います。あるとすれば、団体の意思、みたいな所でしょうか。私はフリーランスで活動していますので、より公の、アイホールの『関西現代演劇レトロスペクティヴ』という、プロデュースの枠組みの中で、上演の機会を与えていただきましたアイホールさんに感謝致します。
橋本君がこの賞をいただいた、ということを、演劇仲間、俳優、演出家仲間に言った所、「あれ、橋本さんって、まだ貰ってなかったっけ?」というコメントが多くありまして。すでに、この大賞に準ずる存在であったのかな、と思います。今回、橋本君が「嫌だ」と言っていたんですけど(笑)。彼は、そういう水臭い奴で。私もここで、橋本浩明君がどれだけ優れた俳優か、どれだけ他の優れた俳優がやっているような、役への向かい方をしているのか、言っても意味の無いことだと思います。つまり、彼を観に来てやってください、と。
多くの演出家、作家が、橋本浩明をキャスティングして、上演しているということがあって、私自身も『丈夫な教室』は2004年に上演して、それから、先ほども言いましたが、個人プロデュースは出来ない、ということがありまして。一方でこの難しい役を誰がやるべきか、というものを、十数年間考えていまして、その中で橋本君が浮かんだんですね。ある作品では、包丁を振り回し、ある作品では、地球を救う、っていう。まさにこの役だな、と。
これからも、素敵な作品との出会いがありますように。ずっと活動を続けていっていただけたら、と思います。ありがとうございました。

大賞受賞

三坂賢二郎 兵庫県立ピッコロ劇団

僕も大好きな方々が受賞されています、関西現代演劇俳優賞大賞をこの度、受賞することができました。本当に光栄に思っております。受賞対象作品が、増山実さんの同名小説を基に、今日お越しになられている、太陽族の岩崎正裕さんに戯曲化していただき、演出していただいた、『波の上のキネマ』。それから、ソ連時代のヴァムピーロフという作家の書いた『鴨猟』を、うちの劇団員である島守辰明が演出しました、『もういちど、鴨を撃ちに』という作品。そして、今日来てくださっています、同じく劇団員の孫高宏が演出しました、『スカパンの悪だくみ』というモリエールの作品。この三作品を思い返すとあらためて、確かにボコボコにされる役が多いな、と。ちょっと言い方が悪いんですが、社会の底辺の人間を演じることが多かったかな、と。
僕、今年で40になるんですけど、初めて舞台に立ったのが6歳の時で。僕、元々日舞出身で、20歳までは日舞の世界におりました。それから、現代演劇の勉強をさせていただいて20年弱ですかね、今日に至るわけですけど。今までは、舞台に立つ、役を演じる、役を作り上げる際に、自分の内に、役を探していってたような気がします。しかし、ここ数年、作品や仲間との出会いを通じて、自分というものが、自分の内にあるものではなく、自分の外側にあるのかな、と感じるようになりました。
自分の考え方も変わって、九鬼さんの選評にもあるのですが、何かを変えた、というよりは、オッサンになってきて、自分の考え方が変わってきた。それが、お芝居の時の思考とか、身体に影響してきたのかな、と思います。自分の外側に自分を探した時に、周りの方の顔であったり、声であったり、今、どういうことを感じているんだろう、とか。そういうことが、今までよりも鮮明に感じられるようになってきた気がして。それこそ、『スカパンの悪だくみ』という作品は、めっちゃセリフ多いんですよ。めちゃくちゃよう喋るんですけど、公演回数も結構多くて、でも、自分を外に探すようになってからは、毎回、今までと違った新鮮な感覚をいつも持ち続けられて、ずっと剃刀の上を歩いて行くような感覚なんですね。でも、それが全然怖くないというか、舞台上で何が起こっても大丈夫というか。こんなん言うたらたぶん怒られるでしょうけど、舞台上で、自分より選択肢の多い人間は絶対いない、ってすみません。(笑)
 でも、そういう感覚をいつも持てたらいいな、くらいの話です。はい。今、俳優という仕事を続けられて、凄い幸せですし、俳優のやるべきことって何やろう、って考えた時に、周りを愛することであったりだと思うんですけど。自分は、愛を語るのでも無く、歌うのでも無く。ただひたすら愛を実行するのみだな、という、そんな心と身体で引き続き精進して行きたいと思います。

三坂賢二郎さんへの祝辞

岩崎正裕 劇団𝄌太陽族

三坂さんとの出会いは、実はピッコロ劇団ではございませんで、吹田メイシアタープロデュース『かもめ』(メイシアタープロデュースSHOW劇場vol.4チェーホフ『かもめ』)に出演していただいて。しかもそれは、こちら側から「三坂さん出てください」という訳でもなく、三林京子さんがアルカージナやっていらしたので、その三林さんとの関係で、出ていただくことになったんですよ。で、何と役はですね、『かもめ』を一度でも読んだことがある方はご存じだと思うんですが、主要十役ではなくて、ヤーコフなんです。ヤーコフです。ヤーコフのセリフ、多分四つしか無いんですよね。「へい、さようで」が二回、「この釣り竿も荷物に入れますんで」が三つ目、四つ目は忘れました。でも、そのぐらいのセリフ量だったんですよ。当時身分制度があるロシア社会において、こんなキラキラした人が下男をやっているっていうのが、凄く面白く感じましたね。
そこで劇団員との親交もあり、もしかするともしかして、「太陽族でやってみる?」みたいな雰囲気になったこともありました。ただ、なんかね、太陽族っていう劇団はね、物凄く生活感が身に付いている人たちが多いんですよ。そんな中で、三坂さん活きるかな、なんて考えていた時期もあって。で、少し時間が経って、ピッコロ劇団に入られたということを知りました。日舞のお家の方で、富良野塾にも入られたことがあるんですよね。富良野塾って、労働と演劇がセットになっていますから、地平線まで見渡せる畑に作物を永遠に植えていく、みたいなことをやられたと聞きました。
『波の上のキネマ』という作品はですね、増山実さんの原作があって、実は二役やっていただいてるんです。映画館の経営がうまくいっていない孫と、そのおじいちゃんがかつて西表島で、強制労働に近い炭坑労働をさせられていたんですけど、その若い頃の二役です。普通、ピッコロ劇団って大所帯の劇団ですから、これは二人の役者にやらせた方がいいんじゃないかって、私の中でも葛藤があったんですけど、孫が祖父の苦難の人生を追体験することによって、映画館を続けていこうという物語なので、二人の人物を一人が演じ分けた方がいいんじゃないかと判断しました。これは割と早い時期に決まりましたね。
やはりそれをやるのは三坂さん。三坂さんだな、と思いました。何故かと言うと、三坂さんにはその、ご本人の生活感みたいなものがないんですよね。今ここでスピーチされても「愛を実行する」なんてボキャブラリーを、普通の人は使えないですから。まるで羽生結弦君のようですよ。三坂さんってそういう人で、どんな悲惨な状況の役をやったとしても、惨めさのようなものは出ないんですよ。お客さんは多分ね、暗くて悲惨なものは観たくないんですよ、この時代は。で、三坂さんが演じることによって、物語を運んでいく役割を安心して任せられる、と多くの劇作家、演出家が思うが故に、ピッコロ劇団で沢山の主役が三坂さんに回ってくるんじゃないかな、と思うんです。けがれない、純な作品が、俳優に染み付いている生活感で運ばれたくないんですよ、作家達は。三坂さんだったら、どのような風にも作っていってくれそうな雰囲気を、多くの劇作家、演出家が感じるんじゃないかな、と思うんです。
本当にピッコロ劇団に入られて良かった。うちの劇団に入ってたらどうなってたか、と本当に思います。これからもピッコロ劇団の中心的俳優であり続けてください。三坂さん40歳なんですね、50歳になった時どんな役をやってるのか、まだ生活感がないのか、楽しみですね。これからも沢山の役を演じていってください。おめでとうございます。

三坂賢二郎さんへの祝辞

島守辰明 兵庫県立ピッコロ劇団

三坂賢二郎君、第24回関西現代演劇俳優賞大賞受賞おめでとうございます。
お祝いに馳せ参じたいのですが、演劇学校卒業公演が数日後に控えており、叶わないのが残念です。
三坂君がピッコロ劇団に入団してすぐに、アルブーゾフ作『私のかわいそうなマラート』に出ていただいたのが演出として初めての出逢いでした。まだ演技を見ていないのに出演をお願いしたのには、少し会話した時の印象もありますが、富良野塾で学ばれていたことも大きかったと思います。僕も敬愛する倉本聰さんのもとでどう学ばれたのか、非常に興味がありました。そもそもは極めて温厚な性格なのですが、たびたび見せる頑固さは、流石、と感じました。
手塚治虫の宝塚時代を描いた『マンガの虫は空こえて』の配役時に、作家の特権として、手塚治虫をモデルにした主人公に一も二もなく推挙したのも、心の底に持つ、その芯の強さが引き金でした。
昨年やっと陽の目を見たヴァムピーロフ作『もういちど、鴨を撃ちに』では、ひと癖もふた癖もありながら、実は主人公に最も近いジーマという難しい役どころでした。三坂君と最初に取り組んだ『私のかわいそうなマラート』の主人公に最も近いレオニージクという役も、やはり言葉の外に複雑な人格を持つ役でしたが、年月を経て三坂君の中に、さらに一筋縄にいかない強さと、根底に持つ怖さが加わったことで、俄然、注文もふえてしまいました。
今後とも、さらに新しいキャラクター、新しい舞台表現のために、ともに戦っていただきたいと思います。
本当におめでとうございました。

三坂賢二郎さんへの祝辞

孫高宏 兵庫県立ピッコロ劇団

三坂君おめでとうございます。もうね、このご時世ですから、終わった後に、作品について飲みながら話すとか、一切なかったものですから、今回こういう機会になって、どうやったかな、と思い出すんですが。『スカパンの悪だくみ』というのは、スカパンという下僕が、主人にこき使われて虐げられる。何かそんな話ですけれど。その役をキャスティングする時に、何が必要かな、って思って悩んでた時に、煙草を吸ってたら隣に三坂君がいて、何かこう横顔を見てたら、彼って本当にパッと見、エエ人なんか悪い人なんかわからん、っていうか。でもね、何か、反骨精神みたいなものはあるんですよ。本当は品のある人なんだけど、時として「何でそんなことで怒ってんの」みたいな。そんな人なんですよね。僕はそういう所が面白くて、そういう部分が何かこう、ハマるんじゃないかな、って思って。スカパンやってもらいました。
彼は凄く稽古熱心な人ですし、彼が他の役者を引っ張って、稽古場を盛り上げてくれたと思います。でも、ここからがスタートですから。さっきのコメントを聞いて安心したんですけど、また先を目指して、一緒に頑張っていきましょう。ありがとうございました。

第24回授賞式=2022年3月2日、大阪市のウイングフィールドにて

テープリライト:関下怜