コロナからの復興企画~関西演劇を広める、広げる

関西えんげき大賞

演技の窓~関西現代演劇俳優賞選考記録~ 第二十六回 関西現代演劇俳優賞

(左から)金子順子、髙安美帆、原竹志、荷車ケンシロウ

大賞受賞

金子順子 コズミックシアター

『マリヤの賛歌-石の叫び』は、昨年の7月から12月まで、東大阪の喫茶美術館という名前のとっても美しい空間で、半年間、月曜日の夜、月1回だけ、やらせていただきました。
最初は不安だったんですけど、全国から沢山のお客様にお越しいただきました。そして、こういう作品に賞をいただけたことは、とても感謝しております。ありがとうございます。
小さな空間で、お客様の息づかいがダイレクトに届くものでした。城田さんの自伝は、ノンフィクションです。実在の慰安婦の物語です。それに向かう私は、フィクションです。
ただ、私は演劇というのは、フィクションが現実を凌駕すると思っています。そのことに誇りを持っています。私も、もう長く生きられないかもしれませんが、少しずつ、少しずつ、そういう作品を作っていけるよう、研鑽を重ねていけたら、と思います。本当にありがとうございました。

金子順子さんへの祝辞

岩崎正裕 劇団𝄌太陽族

まずは、この第26回関西現代演劇俳優賞、大賞を受賞された金子順子さん、おめでとうございます。そして、この度の受賞者の皆様、本当におめでとうございます。また、長年この賞を運営されている、九鬼葉子さん、太田耕人さんに感謝を申し上げます。ありがとうございます。
一人芝居というのは、一人しか支えるものがないので、喫茶美術館の6回公演の中でもお客様の多い日は、客席を一席分前に出そうか、という話になって、若干、金子さんのバランスが厳しくなる、なんてこともあり、やっぱりお一人でメンタルを支えていかないといけない厳しさが、一人芝居にはあると痛感しました。
初演は、2022年の12月でした。それから6回ごとに、ちゃんと稽古もしました。それで、喫茶美術館の公演に臨むんですけど、やっぱり少しずつ演技の構築の仕方を変えていかれようとする、毎回、毎回の金子さんのお気持ちに、頭が下がる思いでした。
そして、これは「城田すず子さん」と「私」が登場人物なのですが、その手記の中に20数人出ているんです。戦時下または、戦後の話なので、みんなが良い人ばかりじゃないんですけど、ある日金子さんは稽古場で、全員良い人にしていましたね。所謂、その慰安婦の鑑札をもらうために診察台に上がるんですけど、その医者まで良い人にしていましたね。今日、どうしたんですか?って聞くと、「今日は緒形拳でやってみました」って、凄かったですよ。でも、それだと城田さんの正体が立ち上がって来ないから、そこはバランスを考えたりして。
あとは、初演の時は寒かったので、劇団未来さんのお稽古場を借りてたんですけど、毎回、金子さんが、お稽古が始まる前に「温かいものを用意します」って、火を入れて何かを煮込んでくださるんです。その日は、確かシチューで、それで、結構作りこみの段階で、ダメ出しというか、サジェスチョンというか、お互いに話し合いをする、っていう中で、金子さんは「あぁ、そうね、あそこね」って言いながら、キッチンに向かって行って、火を止めたんです。その瞬間に僕は「女優ってすげぇ」って、思いました。
これ、何が言いたいかというと、これは世阿弥でいう所の「離見の見」なんですよ。どんなに熱い芝居をしていても、それを見つめているもう一人の自分がいる、っていうことです。それを僕は、シチューの火を止める瞬間に感じました。

それまであんなにね、心の汗を流していらっしゃった金子さんが、我々が食べさせていただくシチューにまで感覚が及んでいるなんて、凄い、って思ったんです。
金子さん、このお芝居で相当メンタルが追い詰められたと思うんですけど、支えたのは、「もう一人の私」。つまり、金子順子さんが「私」と「城田さん」を見ている、というのを徹底してやられた。それが、この賞の受賞に繋がった、と思います。
そして、最初にこの作品を言い出しっぺで書いた、くるみざわしんさんにも、感謝を申し上げます。くるみざわさん、私達に苦労を与えてくれて、ありがとうございました(笑)。

大賞受賞

髙安美帆 エイチエムピー・シアターカンパニー

本日は誠にありがとうございます。大賞をいただきまして、本当にありがたいことだな、と思っております。このような歴史のある賞をいただけるとは、思っていませんでした。
『リチャード三世 馬とホモサケル』という作品は、出演者のみなさん、裏方のスタッフのみなさんと「ああでもない、こうでもない」と言いながら、一緒になって作った作品です。今日も授賞式に何人か来てくれているのですが、私がギリギリまで、「どうしようか、こうしようか」と悩んでいる中で、辛抱強く一緒に稽古してくれた仲間です。本当にありがたかったです。
そして、日頃、稽古場を貸してくださったり、応援してくださっている方々にもお礼を申し上げます。さらに、私が演技に集中できるように環境を整えてくれた、カンパニーのメンバー、本当に仲間がいてよかったな、と思います。ありがとうございました。
「リチャード三世」は私と違って、暴君なんです(笑)。だからとても大変で、どうしようか、と思いました。劇作家、くるみざわしんさんの言葉って、硬質な、石のようなもので、どうやってこれを飲み込んで演技していこうか、「シェイクスピア」の世界と「ホモサケル」の二つの世界をどう体現していこうかと苦労したのですが、この賞をいただいて、背中を押していただいた気がします。
関西で演劇を続けるって、本当に大変なことなのですが、これからしっかりと、日々誠実に、演劇を続けていきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。

髙安美帆さんへの祝辞

笠井友仁 エイチエムピー・シアターカンパニー

この度は、九鬼葉子さん、太田耕人さん、本当にありがとうございます。そして賞を運営してくださっている方々、本当にありがとうございます。それからこの度、賞を頂いた『リチャード三世 馬とホモサケル』だけではなく、普段からエイチエムピー・シアターカンパニーの活動に関わってくださっている方々、本当にありがとうございます。
少し作品についてお話したいな、と思います。この作品は、エイチエムピー・シアターカンパニーが始めた、「シェイクスピアシリーズ」の第2作目となります。シェイクスピアというのはもう、偉大な作家でありますから、なかなか挑み辛いな、と思っていたのですが、コロナ禍の中で、沢山のお客様に来ていただきたいという思いから、『マクベス』から始めることにしました。
くるみざわさんの作品性からしても、ひとつ、政治的なものを描く、というのを掲げまして、スティーブン・グリーンブラット『暴君―シェイクスピアの政治学』を題材にして、「暴君」というものをテーマに作品の創作を始めました。『マクベス』を改作した『マクベス 釜と剣』の後にくるみざわさんと相談をして、次はやはり『リチャード三世』でしょう、という話になって、挑むことになりました。ただ、ご存じのようにリチャード三世という役自体が非常に大変で、かつ非常に人気のある作品でもあります。
やりがいのある作品ではある反面、髙安さんが言っていたように、非常に難しい場面、というのもあります。多くの俳優に協力していただいたのですが、髙安さんにだけ絞って言うと、リチャード三世がどうあるべきか、というところと、セリフのリズムですね、こういったものをどう実現していくか。特に、くるみざわさんも2作目ということで、シェイクスピアの文体を非常に意識して書かれていた作品になっていたので、髙安さんをはじめ、俳優たちとそれをどう実現していくか、それにはかなりの時間を割いたと思います。
最後に髙安さんについてもう一点だけ、今回の作品も前回の『ハムレット 例外と禁忌』のときも、剣を振るうシーンがあるのですが、エイチエムピー・シアターカンパニーの劇団員は、殺陣を学んでいるわけではないんですね。髙安さんの身体性を生かすために、さらに髙安さんは2011年にドイツに行かれて、その後にですね、自分のルーツである神楽舞を演技に生かすために取り組んできたわけです。そういうこともあって、どちらかというと殺陣というよりは、神楽舞を意識した剣の使い方をしていたと思います。そういった意味では、エイチエムピー・シアターカンパニー独自の剣の振るい方、というのを髙安さんが体現してくれていたと思います。
そのように、セリフと身体性を見事に作品の中で表現してくれた髙安さんが、今回このような賞を受賞されたということは、私は本当によかったな、と思いますし、これもみなさんのおかげです、ありがとうございました。

大賞受賞

原竹志 兵庫県立ピッコロ劇団

第26回ということで、私が演劇を始めたのが25年前なので、四半世紀にも渡って、関西の、現代の、演劇を見続けてこられて、こうやって俳優活動の励みになる賞を、その旗をずっと立て続けてこられた、太田耕人さん、九鬼葉子さん、本当にありがとうございます。
私は、18歳のころから、ピッコロシアターの演劇学校で3年間勉強をしまして、それから劇団に入って、今に至るという、ずっとピッコロ劇団にいるという者です。最近では、小劇場の方にも出演しておりまして、コトリ会議という劇団があるのですが、そちらの方でもやっております。
昨年、樫村千晶さんという方が賞を取られて、その時に、相手役をやったんですけど、すごい嬉しかったんです。私が演劇を学んできた中で、「いい役者は?」というのがありまして、いい役者は、自分がどうのこうのより、相手を良く見せることができる役者がいい役者なんだ、みたいなことを、ロシアの某マールイ劇場で勉強してきた、某島守さんという方から聞いたことがありまして(笑)。なるほど、そうかと思いましたけど、どうやったら人が良く見えるかなんか、そんなのわかりませんからね。とにかく嬉しかったんですね。
今年は、私の方が賞をいただきまして、嬉しい、という気持ちももちろんあるんですけど、何かこう重たいものを感じて、今、このウイングに立っている、そんな次第であります。
長くなりそうなので、この辺で。作品の方は、面白い作品でした。2年連続で眞山さんの演出した俳優が賞をいただけるのは、すごいことですよね。これで眞山さんが一番得してるんじゃないかな、という気持ちになっているわけです(笑)。
ちなみに、樫村さんもそうですが、もうひとり相手役がいまして、「千秋」という役なんですけど、稽古場に樫村千晶と「ちあき」が二人いて、非常にややこしかったですね、それはさておきなんですけど、その千秋役の今井佐知子さんがこの公演で、劇団に久しぶりの復帰ということで、彼女も関西現代演劇俳優賞、2012年にいただいておりまして、その受賞俳優二人に挟まれている私が、オセロみたいな感じで、ポッと受賞することができたのかな、という気持ちもあったりします。
あと、割と出演者が多くて、群像劇だったので、賞をいただけたのは、私ひとりのことでは決してありません。何というか、集団が上手くいってるときとか、喧嘩してるときとか、ギスギスした空気っていうのは、みんなが醸し出すものなので、先輩も後輩もそういう意味では上手くかみあったこの群像劇で評価していただけたのは、ありがたいな、と思います。
未だに私の方は、「職業何ですか?」って聞かれたら、「俳優です」って。「えっと、何ですか?」、「役者やってます」、「えっ?」、「劇団やってます!」みたいなことを言うような感じでいるんですけど、その中でも劇団やってる、というのは唯一誇りを持っていて、劇団での創作というのは、プロデュース公演では簡単にはできないことも、それが劇団であればできたりしますし、全然お金儲けとかにはならないですけれど、そういうことをやり続けている人生だな、というのは、自分の中で誇りをもって、これからもやっていっていい、と思わせてくれる、そんな賞でございます。長いことスイマセン。失礼します。ありがとうございました。

原竹志さんへの祝辞

眞山直則 兵庫県立ピッコロ劇団

原さん、原君、竹志君、普段、竹志君と呼んでいます。おめでとうございます。本当によかったです。そして、受賞された皆様、本当におめでとうございます。
受賞の報告をいただいたときに、これはめでたいと思いまして、『やわらかい服を着て』の作家の永井愛さんに何か一言いただけないか、と思いまして、劇団制作を通じて、コメントをいただいたんです。「おめでとうございます」と、そして「彼、良かったもの」と、これは永井さんの口調なんですが「本当にそういう人に見えた」と。今日、それを伝えようと思っていました。
そういう人に見える、ってすごいな、と。普段、僕らはそのリアリティーをどうやって出すのか、お芝居を作っているときによく思うんですが、まぁ、真実味、みたいなところなんですが、この作品は、20年前の日本のリアリティーとか、戦争をしている海外を想いながらの私たちのリアリティー、みたいなことを作品としては、演出として、みんなと総出で考えるわけですが、同時に最終的に頼らなくちゃいけないのは、俳優のリアリティーなんじゃないかな、って考えるようになりました。
で、それを考えるキッカケになったのが、ここ数年、一緒に作っている、原君との作業なんじゃないかな、っていうことを思います。じゃあ、リアリティー、って何だろう。とても便利な言葉なんですが、その原君が―よく仏像とかで、「掘り出していく」というか、「自分の中から探していく」っていうのを聞いたことがあるんですが―そういう作業を彼がしているんだな、ということに逆に刺激を受けながら、お芝居を作るようになりました。
なので、さっき選評でおっしゃっていただいた、知性とか、愛嬌とかは、彼の中にあるもので、よくその(登場人物の)リアリティーを外から持ってこようとするんですが、たぶん、それでは追いつかなくて。最終的には、彼本人の中から掘り出す、みたいなことを彼自身が続けていって、そのお手伝いができたのかな、そういう風に思います。
20何年かの付き合いで、同じお師匠さんがいまして。秋浜悟史先生なんですけど、ちょうど一緒に高校に教えに行き始めたときとか、秋浜先生と3人で話したりしていて。先生の言葉に「役は自分からスタートして、誰かの役を被る作業なんだよ」と、実はこれ、先生の先生の言葉らしいんですけど。その言葉と、さっきのリアリティーの話を思い出しながら、先生に報告しようかと思います。先生! 原君が賞取りました(笑)。
何か、すごく嬉しいです。ちょうどその頃に、西宮北口から、酔っぱらって、原君と二人で塚口まで歩く、っていうのをやって。どのぐらいかかったんだろう、たぶん1時間じゃ辿り着かなくて、酔っぱらってますし。それで歩きながら、秋浜先生の話をしたり、背伸びしてリアリティーの話とかしてたかも知れないです。それで、線路沿いに歩いてますから、“When the night~”とか、歌ってるわけですよ、若者でしたから。「スタンド・バイ・ミー」みたいな。まだ劇団続けますし、まだまだ一緒に歩き続けたいな、と思っています。ありがとうございました。

奨励賞受賞

荷車ケンシロウ 劇団不労社

劇団不労社の荷車ケンシロウと申します。この度は、奨励賞をいただきまして、本当にありがとうございます。
「MUMBLE -モグモグ・モゴモゴ-」という作品は、劇団として、集大成というか、劇団の名刺代わりになる作品を作ろう、と言って、劇団員と挑んだ作品だったので、この作品で俳優として賞をいただけることは、とりわけ嬉しいな、と思っています。
本当に自分ひとりの力ではなくて、共演者の皆さんとスタッフの皆さんと、あと、今回は共催事業という形で、ロームシアター京都と京都芸術センターの皆さんには、創作するにあたって、素晴らしい環境と機会を与えてくださり本当にありがとうございます。その全てが無ければ、今ここに立っていないな、と思っています。
今回、この選評を読ませていただいて、評価された部分っていうのは、劇団不労社がこの10年ぐらいで作り上げてきた演技体みたいなものだと思うんです。
脚本・演出の西田は大学の同級生なんですけど、10年来の付き合いで、何度も徹夜で語り合ってきました。あと同じく劇団員のむらたさんは大学時代の自分にとって身近で一番上手い先輩で、そんな人と今一緒に演技できているのって、すごく嬉しいし、最大のライバルであり、戦友だなって、思います。僕、実は会社員をしていまして、最近東京に転勤になっちゃいまして、今回の稽古も関東から通ってたんですけど、劇団員の大河さんも関東から通われていて、一緒に新幹線乗りながら、今日の稽古どうだった、みたいな話をして。ああ、本当に仲間に助けられながら、支えられながら、長い時間を経て、不労社の演技体というものが出来上がってきたんだな、ってこの場で改めて感じました。
またこの「奨励賞」というのはすごくありがたい賞だなと思っています。今回、自分自身課題も反省点も多く、稽古場での自分の在り方とか、対外的に俳優としてどういったことができるのか、とか、すごく悩み、賞を貰うことは恐れ多いな、と思っていました。でも「奨励」という言葉に「これからも演技続けてください、頑張ってください」「まだ途中だぞ」という想いを受け取ったので、それがとりわけうれしかったです。
それを受けて、ここでふたつ宣言をしたいと思います。
ひとつは、自分が今年関わる演劇において「演技について何を考えて、何を考えていないのか」っていうのをどんな形でかわからないですけど、アーカイブに残そうと思っています。
それと、一人芝居を作って、3都市以上で公演したいな、って思っています。ここで宣言しちゃうので、どうなっているのか見届けて欲しいです(笑)。
これからも僕と劇団不労社の活躍をどうか見守っていてください。

荷車ケンシロウさんへの祝辞

西田悠哉 劇団不労社

まずは、おめでとうございます。そして、僕が小学校に入る前から行われている歴史ある賞に荷車くんを選んでいただいて、代表としても本当に嬉しく思います。ありがとうございます。
彼は同級生なんですよ、大学のときからの。面識は無かったのですが、1回生のころから認識はしていて、けど当時は暑苦しい熱血キャラのイメージがあって、この人とは絶対に合わないだろうな、と思っていました。
初めて会ったのが2回生の頃で、今は不労社の劇団員になってもらった永淵大河さんが、かつて演劇集団ゲロリストという団体を主宰していまして、まさにちょうどここで、2016年にウイングカップに出たときです。その時にお互い俳優として、共演したのが最初のキッカケでした。その公演が、まあ大変で、同じく劇団員のむらたさんも一緒に出てたんですけど、みんな先輩たちばっかり、僕らだけが後輩、みたいな感じで。
役回りが、共に奴隷の役だったんですよ。丸坊主になって、全身白塗りにして、むらたさんには箒でシバかれ、それで挙句の果てに墨汁まみれになるというハードな役回りでした。そういった奇妙な経験から、奇妙な友情が芽生えました。
公演が終わった後に飲みに行った時、印象的な話があります。遠足とかの前の日、明日が楽しみで寝れない、とかはよく聞くと思うんですけど、彼は明日死ぬかもしれないと考えると、怖くて寝れない、って話をしていて。それで、熱血漢なイメージが変わって、案外話ができるかも知れないなと思いました。そのあたりから関係性が深まって、不労社の第2回公演で、つかこうへいの『熱海殺人事件』をやったんですけど、そこで出てもらって、その縁で、もう10年以上一緒にやっている仲です。
僕は脚本を書く時は基本的に当て書きをするので、当然彼がいなければ生まれなかった役ばかりだし、ある種、悲惨な役の中にも、ユーモアとか、コミカルさだったり、いい意味での軽さを与えてくれている存在なので、今や自分の作品には無くてはならない存在であると思います。
劇団員のむらたさんや永淵さんも含めて、今まで出てくれた人全員、当て書きで書いてて。自分は劇作家としても演出家としても、一緒にやってきた俳優に育ててもらっているし、そういう人たちとの積み重ねで今があるなと本当に思います。

今回いただいたのは奨励賞ですが、彼はここで終わる器でないと思っています。僕も演技についてまだまだ考えることが沢山ありますし、やっていきたいこともあります。共により高みを目指して、またこれからもお芝居を作っていけたらな、と思います。
改めてこの度はありがとうございました。

第26回授賞式=2024年3月4日、大阪市のウイングフィールドにて

テープリライト:関下怜