
(左から)佐々木ヤス子、千田訓子
大賞受賞
佐々木ヤス子 サファリ・P
九鬼さん、太田さん。この度はこのような賞をいただくことができまして、本当に励みになります。誠にありがとうございます。いわゆる若い俳優、というフェーズから、年齢も重ねてきまして、これから実力で頑張っていかないといけない時期と実感しておりました。一昨年、トリコ・Aの「そして羽音、ひとつ」で、藤原大介さん、山本麻貴さん、武田暁さんという先輩の俳優さん達とご一緒させて頂いた時、俳優として物凄く「足りていない自分」を感じたんです。それがとてもいい機会でして、これからその方々に追いつかないといけないと思い、また頑張り始めたこの2、3年でした。この時期に賞をいただけたことが、この方向で努力して間違いないんだ、という風に、背中を押していただいたような気持ちがしました。本当にありがとうございます。
「悪童日記」は、サファリ・Pの代表作でもあり、今年も6月と12月に、京都と名古屋、東京と、3都市を巡る予定なんですが、私が今回いただいた老婆の役は、もともと高杉征司さんという方がなさった役でした。高杉さんに比べると、私は、まだまだ足りていないと感じています。でも、この方向で頑張って間違いないんだ、と、背中を押していただけたので、頑張っていこうと思います。
この賞をいただけたのは、山口茜さんがいつも、今の私には少し届かない役をくださるので、サファリ・Pに入って、常に成長する機会をいただけているからだと思います。ありがとうございます。今後も精進いたします。本当にありがとうございました。
佐々木ヤス子さんへの祝辞
山口茜 サファリ・P
佐々木ヤス子さん、この度は受賞おめでとうございます。そして、このような賞をいただき、演出家として本当に嬉しく思っております。ありがとうございます。
ヤス子さんは俳優をやることに関して、一切迷いがない。どんな役をお渡ししても迷いがないんですが、その役をどう演じるかということに関しては、演出家や他の共演者と一緒に悩んでくれます。とても稀有な俳優です。
台詞は、稽古初日にほぼ覚えてくれていますが、どうやって覚えているのかを、パートナーの大熊隆太郎さんから聞いたんです。家でもずっと台詞を覚えているらしく、例えば彼が日常の会話をしようとしても、振り返りざまに台詞を言ったりするそうです。面白いのが、それが稽古のための必死の努力ではなく、例えば、ゲームをしたいから、ゲーム時間を確保するために、早めに覚えておく、みたいな感じらしいのですが、だからこそ続けられるのだと思うし、稽古場では、俳優が台本を読み込んだ状態で柔軟に稽古がしたい、というのが演出家の本音なので、本当にいつも助かっています。
今回、この賞を受賞されたことで、関西にとって大切な、必要な俳優であることが証明されたと思います。ただ私たちとしては、そこに安住せずに、もう少し活躍の場を広げて、佐々木ヤス子さんが重要な存在なんだ、ということを、世界に向けても発信していけたらと思っております。これからもどうか、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
大賞受賞
千田訓子 万博設計
万博設計の千田訓子です。先日、ある演出家とお話した時「私の初舞台は、1984年だわ」と言ったら、当時その方は2歳だったそうです。びっくりしました。長い間演劇をさせて貰っています、私。
今年で41年目に入ります。
実は個人的に賞を頂くという事が、ほぼ初めてでございまして。
しかもこのような歴史のある賞を頂けるなんて、夢にも思っておりませんでした。
受賞の連絡を頂いた時は、正直、「ドッキリ」かと疑ったぐらいです。
やっと役者として認められたのかなと、何者かになれたのかなと思いました。
「夏の時間」の君枝役は、正直、過去に演じた役の中でもベスト3に入るぐらい、稽古中は悩んで、苦しくて。
でも、終わるとそれ以上に忘れられないぐらい大切な役になっていました。
君枝という役は妖艶で、男性を惑わす女性なのですが、演じる私は過去に見た目が悪く配役ミスだと酷評を受けた事があり、ビジュアル的にかなりコンプレックスとトラウマがありまして。
それに、2023年に大腿骨を3回手術するという状況で、稽古当初はまだ完全に歩けていない状況でした。
稽古中、作者である桃園会の深津篤史さんに怒られる夢を何回も見たりして、自分がこの君枝役をすることによって、作品のクオリティを下げているのではないかと、稽古に行くたびに不安で、泣きそうでした。
でも、共演者、スタッフの皆様が足への負担を軽減できるように、色々と配慮してくださって、本番中はコンプレックスやトラウマも忘れて、「夏の時間」の君枝として、舞台にいることができました。
これからも慢心せず、真摯に演劇と向き合い、万博設計のメンバーと新しい作品を作っていきたいです。
最後に、私が今ここに立てているのは、相手役の三田村さん、加藤さん、振付をしていただいた槇さん、尾澤さん、愛する万博設計のメンバー、最高の舞台を作ってくださったスタッフの方々、作品に関わってくださった全ての皆様、そして、ずっとダメな私を最後まで信じてくれた橋本さんのおかげです。この場をお借りして、感謝を伝えさせて下さい。ありがとうございました。本日は本当にありがとうございました。
千田訓子さんへの祝辞
橋本匡市 万博設計
千田さん、佐々木さん、受賞おめでとうございます。10数年、ウイングフィールドのスタッフとして働いていますので、この授賞式はひっそりとスタッフとして拝見していたんですが、やっとこの場に立てたのは本当に千田さんのおかげです。ありがとうございます。
4年前に「夏の時間」を上演した際に君枝という役を演じてもらった時、千田さんは「ホンマに私でええの?ちゃうと思うけど」とずっと仰っていて。「いやいやできます、千田さんはできます」とずっと言い続けて、やっていただきました。
深津さんが亡くなられて10年ということで、再演する際にも改めて「やりましょう。千田さんにまた演じていただきたいです」とお伝えをしました。でも、また「違うんちゃう、私じゃないんちゃうか?」とずっと仰るんです。
僕は、俳優は練度を高めることを諦めず、作品のために尽くされる方こそ評価されるべきだと思っています。
僕も演出を始めて20数年。千田さんが芝居を始めた頃、僕は2歳だったそうです。
今こうして大先輩と一緒に演劇をさせていただいているわけなんですが、千田さんほどストイックに演技に向き合う方には、まだ会ったことがないです。これからも会うことはないんじゃないかな、と思っています。
12年前に千田さんに「鮟鱇婦人」という一人芝居に出演して頂く機会がありました。
千田さんに「一人芝居やってみませんか?」とオファーさせて頂いて、そのときも「嫌です」と(笑)
「一人芝居なんか無理です」と延々言われました。
僕にとっても初めての一人芝居だったんですが「千田さんならできると思うし、僕もやってみたいんです」と、延々と喫茶店で口説きました。
そうしたら次第に、「出るんやったら、(舞台から)捌けない一人芝居がいい」「録音した音声と話したりするのは嫌」と、どんどん自分で自分を追い込むことを注文してくださいまして、結局85分、一人で演じきられました。
最終稽古の際に、ここウイングフィールドで通し稽古したんですけど、あんまり良くなかったんですね。
僕も若かったのでお許し頂きたいのですが、「ウンコみたいな芝居でしたよ」とお伝えしたんです。
すると千田さんが、今僕が立っているこの場所で、寝転んでグルグル回り始めたんですよ。
グルグル回って「劇上手くなりたい!」って大声で叫んで、ピョンって立って「もう一回、通ししよう!」って。
何の改善点もお伝えせずにもう一度通し稽古が始まりました。85分×2回ですね。
その通し稽古がすごく良かった。演出って何なんやろうって思いました。何も言わなくても芝居って良くなるんだって。
それから僕は演出家として苦労するハメになるんですけど(笑)
そういうことは、千田さんじゃなきゃあり得ないんです。(そんな言葉を使って演出することは)もう無いです。絶対に無いです。
千田さんの俳優としての覚悟は、絶対に他の人は追いつけないんじゃないかな、って思います。
「追いつかれてなるものか、こんな良い俳優が」と、僕は信じて、信じて、一緒に芝居やらせてもらっています。
これからも万博設計のメンバーと一緒に、演劇をし続けていただけたらと思います。
本日は受賞おめでとうございます。
第27回授賞式=2025年3月1日、大阪市のウイングフィールドにて
テープリライト:関下怜