コロナからの復興企画~関西演劇を広める、広げる

関西えんげき大賞

劇評アーカイブス 名もなき恋人の背中 努力クラブ「誰かが想うよりも私は」 VIEW:2664 UPDATE 2022.07.23

見慣れた素材の精彩

誰しも身に覚えのある、少なくともそばで見かけたことくらいはありそうな恋愛体験。愛の告白、友人への恋の打ち明け話、恋人との別れ、新しい恋に向かう準備――。努力クラブの新作『誰かが想うよりも私は』には、そんなモティーフが満ち溢れている(6月5日、兵庫県伊丹市のアイホールで観劇、合田団地作・演出)。
素材そのものが、目新しいわけではない。しかし恋愛体験にまつわる充足や欠乏、さらには名状し難い孤独に深く分け入る本作では、見慣れた素材が実に精彩に富んだものとして生まれ変わっている。

とある人間模様

上演の様子をごく大まかに振り返っておくと、舞台の設えは至ってシンプル。剥き出しの平台・箱馬を組んだ段状のステージで、9人の登場人物によりユーモラスなやりとりが繰り広げられる。個々の俳優の資質を活かした演技は細やか。日常と似て非なるエピソードがある種、淡々と展開していくのである。
筋立てとしては、一人の女性(にさわまほ)が、今の彼氏と縁を切り、新しい男に乗り換えようとしている。彼女は〈イマカレ〉とその〈モトカノ〉を復縁させようとしたり、友人や自分に好意を寄せる男たちを利用して、意中の男とそのパートナーとの仲を引き裂こうとしたり画策する。人間模様のもつれ合いの末に、周囲の大半に愛想をつかされながらも、彼女の思惑が一応の実を結ぶところで、劇は終幕をむかえている。

空虚としての動機、存在の不安

こんな風にストーリーを要約すると、単にエゴイスティックな人間が気ままにふるまっていると誤解されかねないが、実際の上演での印象はそれとはかなり異なるものだった。中心人物の女性は、想いを遂げても満たされることがない。なぜ彼女はかくも物憂げなのだろうか。その理由をピタリと言い当てることは難しいが、本作のタイトル―「誰かが想うよりも私は」―を手がかりに考えてみる余地はあるかもしれない。ある個人の心象にあって〈私〉とは、容易に他人の想いに収まるような代物ではない。それに移り気に見える彼女の行為が、いわば〈空虚としての動機〉に裏づけられているとすれば、想いの成就が、存在の不安を根本的に解消してくれるとはかぎらない。

匿名の背中

このようなわだかまりを、静かにあぶり出していく本作の試みにとって、肝心なことがある。登場人物たちには一切、名前(固有名詞)が付けられていないのだ(作中のセリフでは《あの子》《彼》といった呼称が用いられている)。確固とした人格を想定し、そこに名前というラベルを張りつけるのではなく、名づけえない宙ぶらりんな〈私〉の様態にとどまり続けるということ。この創作スタンスは、とりわけ劇の終幕部分で見事な成果を生み出していた。
ラストシーンでは、ステージ中央の窪んだスペースが室内に見立てられ、新たに付き合いはじめたカップルの情景が浮かびあがる。シーンの間じゅう、ずっと女性だけが舞台奥の方を向いているのだが、その背中を観客席から凝視している時間は、とてもスリリングだった。彼女がおそろしく露わな姿を垣間見せている、あるいは匿名の背中から彼女の抱えている原理的な問いが、わずかに滲み出ている。そんな不思議な感触さえ、伝わってくるような気がしたのである。(1)

世の中の問題、手前の問題

さて本作は、アイホール(伊丹市立演劇ホール)で2012年度より実施されてきた次代を担う才能の発掘・育成を目指す「次世代応援企画 break a leg」のプログラムの一つとして上演されている。残念ながら今年でこの企画は最後になるというが、本稿のしめくくりに《break a leg》(成功を祈る)というフレーズを改めて銘記しておきたい。

「世の中の問題が怒涛のごとく押し寄せてくるものの、未だそこに追い付けてない感覚があって、だってもっと手前の問題、個人的な苦しさがちっとも解決できていないんですもの。世の中の問題といずれ向き合うとしても、ちょっと待って、この時間だけは手前の問題と仲良くさせてください」。(2)

本作の発表に際して、劇作・演出を手がけた合田団地氏は、上記のようにコメントしている。今回の作品は、プライベートライフに焦点をあてているが、同時に〈社会〉と〈私〉との関係の根っこに控えている孤独や「苦しさ」に鋭くアプローチしている。その意味において、すでにここには「いずれ向き合う」問題の端緒が胚胎しているのかもしれない。「手前の問題」から「世の中の問題」へと重心を移すのか、それとも「手前の問題」に徹することで「世の中の問題」との境界面に光をあてるのか。いずれにしても努力クラブらしいやり方で、今後の創作が積み重ねられていくのを楽しみにしている、成功を祈りながら。

(1)
ちなみに〈匿名の背中〉のモティーフは、本公演のチラシなどで用いられたメインヴィジュアルにも含まれている(中華料理屋と思しきカウンターの片隅で、独りラーメンをすすっている若い女性の後ろ姿)。努力クラブのホームページ(https://doryokukurabu.blogspot.com)を参照。

(2)
「努力クラブ「誰かが想うよりも私は」開幕、合田団地「前を向くためのお話に」」『ステージナタリー』2022年6月4日配信。https://natalie.mu/stage/news/480317

※ オンラインの最終閲覧日はいずれも2022年7月10日。

記事の執筆者

新里直之(にいさと・なおゆき)

京都芸術大学舞台芸術研究センター研究職員
演劇研究者

現代演劇の批評、舞台芸術アーカイブをめぐる調査に取り組むほか、芸術実践と研究を架橋する活動をサポートしている。京都芸術大学芸術教養センター非常勤講師。野上記念法政大学能楽研究所客員研究員。ロームシアター京都リサーチプログラムリサーチャー(2019・2021年度)。論文に「太田省吾研究―「述語の演劇」へのプロセス―」(京都芸術大学大学院提出博士学位論文、2021年)など。

新里直之