コロナからの復興企画~関西演劇を広める、広げる

関西えんげき大賞

アーティスト・インタビュー 南河内万歳一座・内藤裕敬「新作公演『漂流記』は、さまよえる人生で、しがみつくものを探す物語」 VIEW:439 UPDATE 2022.10.25

南河内万歳一座の『漂流記』が11月1日(火)から大阪・一心寺シアター倶楽で開幕する。1年ぶりの新作だ。想像を絶する自然災害や疫病の蔓延、戦争、重大な社会問題など、思いも寄らない出来事で一瞬にして「安定」が奪われる。それが世の常とはいえば身も蓋もないが、一寸先は闇、人生はまさに嵐の海を漂流しているようなもの。作・演出の内藤裕敬は「そんな人生で、何にしがみついて生きるか」ということを主題に置き、3人の男女を主人公に据えた物語を書いた。

「今回は割と今までにない台本の作り方をしていて。『漂流』というモチーフがちゃんとあるので、書き方も漂流しているような、きっちりと決めないようにして。“この船に乗っていれば大丈夫”だとか、“この島にたどり着いたら大丈夫だ”みたいな生活をしていたにも関わらず、いきなり嵐の中を漂流しなくてはいけなくなった人がいっぱいいるじゃないですか。何も悪いことをしていないのに。人はそれぞれの『漂流記』を地で行っているわけですよ」。

とはいえ、ただ漂流しているさまを描くだけでは演劇にはならない。「問題は何にしがみついて漂流するかということ。しがみつくものによって流れ着く島や、発見される船も変わってくる。『漂流記』は、そんなしがみつくものを探す物語にしたいなと」。

浪人中の男、解雇され失業中の男、大卒でフリーターの女という主人公3人と謎の女が、倉庫のガラクタ置き場で出会う。「そのガラクタも世間を象徴していて。ガラクタのような世の中ではあるんだけど、様々な人と出会いながら、その中で、しがみつくべきものを見つけられるかどうか」。

浪人、失業、フリーターと、“安定的な生活”から外れてしまった主人公3人。「彼らの人生自体もガラクタなんですよ。ガラクタのような人生の3人が、倉庫のガラクタの中で何を見つけるか。ガラクタの世の中を生きているということも含めて、ガラクタにこだわって作っています」。

一見世知辛くも聞こえるが、絶望や失望を描いているのではない。先にも書いたように、誰かにとってはガラクタでも、それが人を救うものになり得るからだ。「大方の人にとってはガラクタだけど、誰かにとっては宝物で。ガラクタのような漂流をしている若者でも、その人自身に可能性はいっぱいあるということも伝えられればと思います」。

「俺自体、ガラクタだから」と笑いとばす内藤。「俺も目標に向かって、その通りに来たわけでは決してないので。今、ここにたどり着いちゃっただけで、何か違うものにしがみついていたら、ここにはいないと思います。俺も60年以上、生きちゃったから。別にこうなりたいと思ってきたわけじゃない、気が付いたら流れついていて。おそらく、何らかの形でこれからもどこかに流れ着くんだろうと思っています」。

南河内万歳一座も創立から40年を越えた。「劇団を大きくしたいとか、野心的に劇団を全国規模にしていこうという思いはなくて、とにかく好きなように、好きな作品を発表できたらいい、そのうえで多くのお客さんが見てくれるに越したことはないなという思いで取り組んできたから、42年間、漂流できたという感じですかね。その都度、いろいろなところに“漂着”はしているんだけど(笑)」。

南河内万歳一座の公演は毎度、舞台上の物の多さにも圧倒される。『漂流記』もガラクタだらけの倉庫という設定だけに、主人公たちはガラクタで網の目のようになった倉庫をさまよい、漂う。また、ガラクタの間からも、いろいろな人物が現れたり、消えたりするという。その圧倒的な物をすべて人力、アナログで動かしているのもおもしろい。「アナログでないとダメだと思っていて。アナログの可能性をどれだけ広げるかで演劇は成立すると思うので、そういう作りになっちゃうんだけどね、俺の場合はね。そこにこだわらないといけないとは思っています」。

「関西えんげきサイト」では、関西演劇界の置かれた状況や今後について、MONOの土田英生や劇団 太陽族の岩崎正裕に意見を聞いてきた。同じく、内藤にも関西演劇界について意見を聞くと、次のように話してくれた。
「関西で様々な作品を創作して、発表を続けようという人材はいると思います。その人達が頑張って、おもしろい作品を発表する可能性は多々あると思うんだけど、そういうものをおもしろがったりする環境が関西にあるかといったら、それが問題で。2003年の扇町ミュージアムスクエア閉館をはじめ、いろんな劇場がなくなったけど、あの当時から関西の演劇を取り囲む状況は好転していると思えないわけよ。ただ、その中でも『豊岡演劇祭』みたいな大きな演劇祭が立ち上がったり、扇町にまた新しい劇場ができる予定もありますし、そういうことがきっかけになって状況が良くなることもあるだろうと思っていて。そういう意味では絶望はしてないよね、全然。とても希望を持っていて。これからは若い人達に引っ張ってもらいたい。今はムーブメントにならないだけで、おもしろい人や有望な人はいっぱいいるので、そのうちに風向きが変わってくれたらなと思っています」。

演劇関係者の若い世代への期待は、『漂流記』のキャスティングにも表れていた。「今回、初めて『安住の地』という京都の劇団のにさわまほさんに出ていただくのですが、僕はにさわさんとはしゃべったことがなかったわけ。それでも出てもらおうと思ったのは、有望な若い子がいるというのは聞いていたんだけど、同時に安住の地が旗揚げから10年も経っていないのに、野心的に各地で旅公演をやっていて。それを知って、ハッとしてね。そういえば俺らも旗揚げから10年間はあっちこっちに行ってたなって。あっちこっちに野心的に足を延ばす劇団が若手でもあるのかと思ったときに、出てもらおうかなと思いました」。

コロナ禍で演劇界を取り巻く状況は一変した。「でも、演劇をやるとか、作品を発表する、続けていくということはそれほど難しくないと思って。野心的に拡大しようとすれば、ちょっとしたことで破綻を迎えてしまうけど、シンプルに作品を創作して、発表していくことは続けられると。まずはそこで踏ん張れば可能性が見えてくるわけで。そういう意味では、コロナ禍で一番ダメージを被ったのは手広く野心的にやっていたところで。だけど小劇場や小さな劇団は、良い機会だから力を溜めておこうとか、これからやりたい作品のモチーフを膨らませておこうという時間にもなって。なかなか作品を発表できなかったことをプラスにできる時間だったと思います」と、この期間をポジティブに捉えていたのが印象的だ。それはまさに本作『漂流記』の主題ではないだろうか。

「そういうことよ。これだというものにしがみついていれば、適切なものに何とか流れつくってことですよ(笑)」。

(取材・文/岩本和子)

南河内万歳一座「漂流記」
作・演出 内藤裕敬

■公演日
2022年11月1日(火)~6日(日)

■会場
一心寺シアター倶楽