2018年、元・維新派※1のメンバー4名(石原菜々子、金子仁司、坂井遥香、室谷智子)によって立ち上げられた演劇ユニットkondaba。第2作目『つかの門』(2021)より石原・金子の2人体制となり、生野地方卸売市場跡地や大内木工所跡地など、特定の「場所」と結びついた作品を生み出してきた。2025年には隅っこ人形劇団ニッチと共に創った『棟梁ソルネス』で第4回関西えんげき大賞優秀作品賞を受賞。『ユートピア』(2024)や『kondaba港』(2026)など、リサーチを起点にした創作にも領域を広げている。 KYOTO EXPERIMENT 2026にて最新作『コンダバ川日誌』(2026年10月22日~25日)の上演を控えた今、劇団の歩みと独自の創作スタイル、そして最新作の背景にある思いについて、石原と金子の2人に話を聞いた。
旗揚げの背景――「個の視線」と維新派の「共通言語」
kondabaの立ち上げには、メンバーそれぞれの異なる動機と、共有された経験の双方が混じり合っている。金子は「石原と坂井の2人の俳優のかけあい、俳優としての勘の良さに惹かれ、2人を軸にした舞台を作りたい」と考えたのが出発点だった。一方、石原は「劇場ではない面白い場所を見つけ、そこから演劇を立ち上げること」に関心を寄せていた。それを室谷に共有したことで、金子とつながり、劇団の骨格が形成されていった。
1970年から2017年まで大阪を拠点に活動。『呼吸機械』(於:さいかち浜野外特設劇場びわ湖水上舞台)や『トワイライト』(於:奈良県曽爾村健民運動場)など、既存の劇場以外の場所に劇団員自身の手で野外劇場を建設する独特のスタイルで知られる。
背を押したのは、維新派の演出家・松本雄吉の一周忌のイベントでのパフォーマンスだった。維新派の団員たちならではの「共通言語」を石原は感じたという。例えば、kondabaの稽古場で取り入れられている、空間と身体を出会わせて試行錯誤する「あそび」という手法は、維新派の稽古場で育まれた手法がベースとなっている。異なる関心を持ちながらも共通の感覚や手法を持つことが、kondabaの最初の足場となった。
演出家も劇作家も置かない稽古場――「空間」という第3の演出者
石原と金子は共に俳優であり、演出家でも劇作家でもない。創作はその都度2人が関心を持つ内容を話しあうことから始まる。当初は金子が作・演出を担当したが、徐々に2人で意見を出し合いテキストやシーンを作る割合が増え、第3作『ナイトスポット』の当日パンフレットの表記では作・kondaba、演出・金子というクレジットにすることになった。大阪市の桑津という地域へのリサーチを元に製作した第4作『ユートピア』からは完全に石原と金子が共同で作・演出をする形に移行している。
演出家も脚本家もいない稽古場で、何がその場面の善し悪しを決め、「場の成立」を決定づけるのだろうか?その答えは、徹底して「実際に空間の中で身体を動かしてみること」にあった。
石原は自らの「俳優的感覚」と「空間」の摩擦を基準に挙げる。「例えば、ある空間を使った台詞の言い方があるとして、そこからどう『別の身体』へ移行できるか。机上の論理ではなく空間の中で実際に動いてみたときに『この台詞の使い方なら成立する』と実感できる何かがあるんです」。
一方、金子にとっても空間は演出的な基準として機能する。「自分は劇作家ではないので、自分で書いたテキストとの距離感が見えにくくなることがある。でも、そこに『場所』や『空間』が介入してくると、自分の立ち位置が定まり、演出的な視点から作品を捉えられるようになるんです」。
2人は時間をかけて空間の中で身体を動かし、試行錯誤、「あそび」を重ねる。専任の演出家を置かないkondabaにとって、作品のバランスを取る役割の一部は「空間そのもの」が担っているのだ。
最新作『コンダバ川日誌』――「占有」の思想を探る
KYOTO EXPERIMENT 2026で上演される最新作『コンダバ川日誌』は、「京都と大阪をつなぐもの」として関西の大動脈である淀川を着眼点としたことから始まった。現地調査として淀川のワンド(湾処)を歩く中で、2人はそこで営まれる多様な人間の活動に直面する。この気づきから立ち上がったのが「占有」というキーワードだった。
なぜ「所有」ではなく「占有」なのか。石原は次のように分析する。「街中では土地や建物の『所有』関係が明確ですが、河川は誰のものでもない共有地です。人々はそこを所有するのではなく、釣りや散歩、一時的な滞在などを通じて感覚的に、もしくは私的に『占有』している。所有とは異なる、空間と人間の関わり方に面白さを感じました」。
この視点は、前作『kondaba港』で扱った近代化のテーマとも接続している。前作でも川を巡るリサーチを行い、近世の「川狩り」(山から伐採した木を下流に流して運ぶ仕事)というモチーフが取り上げられていた。金子は「近代化の過程で川狩りのような古い生業(なりわい)が消え、そこに新しい生業が覆いかぶせられていく。その中で『この空間は誰のものか?』という興味が生まれた」と振り返る。石原もまた、日本の「土地と所有」の歴史に関心を寄せ「所有の感覚は、明治期の近代化の過程でシステムの変更と共にルールが明確化されていく中で育まれてきました。川と近代化を考える中で、川と人間の関係性を見つめ直したいと考えたのです」と語る。明治期に制度化された「所有」概念に対し、河川という共有地における「占有」のあり方を捉え直す試みが、本作の核のひとつとなっている。
「私の川」の集積が立ち上げるフィクション
リサーチにおいて意識したのは、知識を得ることではなく「個人としてのまなざし」を大切にすることだったと金子は言う。そのことを反映させつつ、「私の川」や「私たちの川」をテーマにシーンが作られている。石原は、「ひとりひとりの個人的な『私の川』に対する理解・解釈をフラットに受け止め、そこに反応していくと、自分自身の意見や解釈が立ち上がっていく」という。
川を巡るリサーチを重ねる中で見えてきたのは、1つの視点で捉えることの限界だった。例えば、2人は川で偶然出会ったバス釣りの人に話を聞いたり、かつて淀川で行われていた河川漁業の研究をしている人に会いに行ったりしたという。石原はその時のことを振り返り、次のように明かす。「お話を聞くと、その人の視点から見た川の姿が立ち上がってくる。見る人によって川の姿が全く違うんです。巨大な川を1つの視点で捉えることはできないからこそ、その膨大な情報量をあえて『見渡せなさ』として提示したい。その見渡せない空間の中に、ふっと粒立ってくる何かを示し、観客とその『見渡せなさ』自体を共有するような舞台を作りたいんです」。
金子はまた、「川は、誰もが見ているけれど、自分も含めて多くの人が見ていないようにも思うんです。日頃見慣れているはずのものを通して、観客をアッと驚かせたいんです」と語る。
実在する公共物の「淀川」に、あえて「コンダバ川」という架空の名前を与えることも、作中で川を「占有」してみせる試みだという。無数の人々がそれぞれの「私の川」を語り、それらの「私」が混ざり合って生まれるフィクションの川。「コンダバ川」とは、多様な人々による「占有」の記憶や語りが交錯するひとつの概念的空間と言えるだろう。
思考のプロセスをひらく――展示『コンダバ川の地形図』とWebでの試み
会期中、上演に先だって京都芸術センターで開催されている展示『コンダバ川の地形図』(2026年10月3日~25日)は、作品が立ち上がるまでのリサーチ素材やテキスト、思考の推敲過程を空間に再配置する試みだ。石原が「上演のためのラフスケッチ」と表現するように、作品の背景にある思考の地図を観客に提示する。
この展示は、彼らがWebメディア「note」で続けているリサーチの記録とも連動している。「note」からは同じ現場に立ちながらも2人の出力スタイルが異なる点がわかる。石原はリサーチのプロセスや現場の様子を丁寧に描写するが、それは「解釈を先に示すのではなく、自身が感じとれる以外のことも記録に残したいから」だという。一方で、金子は「リサーチ時に直感的に感じ取った感覚を軸に記述する」という。展示空間では、こうした2人の視点や記述のズレそのものも構成要素となっているのではないだろうか。
今後の展望――個人史から捉え直す「都市と地域」
kondabaの今後の方向性について、2人は「リサーチ手法を洗練させつつ、それぞれの個人的な関心を掘り下げていくこと」を挙げる。
例えば前作『kondaba港』の創作過程において、2人は互いの実家(金子は岐阜県の建設会社、石原は静岡県のアスベスト関連企業)へのリサーチを行った。この経験を経て、金子は「都市と地方」の関係や地域コミュニティへの関心を強め、石原は自身の家族史や出自をめぐるリサーチを深めようとしている。
劇団という枠組みを保ちつつも、個々の異なる問題意識やまなざしを折々に持ち寄り、作品として結晶化させていく。kondabaの探求は今後も独自の歩みを辿っていきそうだ。
