コロナからの復興企画~関西演劇を広める、広げる

関西えんげき大賞

劇評アーカイブス 見える世界の縫い目、ほつれ目 劇団タルオルム「キャンパー」 VIEW:1784 UPDATE 2023.06.06

光景と情景

劇団タルオルムの『キャンパー』は、在日コリアンの苦難の歴史をめぐる人々の心情を汲み上げようとする意欲作だった(5月5日、京都府宇治市のウトロ平和祈念館前広場で観劇、金民樹作・演出)。
テント、テーブル、椅子、ランタン、焚き火台、食器が並んでいる、現代のキャンプ場の「光景」。そこに第二次世界大戦末期の「情景」が去来する多層的なドラマは、大阪大空襲の被災者へ取材を重ねて執筆されたという。

一家の幻影

まず、ドラマの輪郭を確認しておくことにしよう。
ひとりの「女」(卞怜奈)が、都市の喧騒を逃れて、キャンプ場にやってくる。彼女はたまたま居合わせた「男」(大橋逸生)と言葉を交わし、その場が心霊スポットであるという噂を確かめ、また大阪大空襲による朝鮮人犠牲者にまつわる話を耳にする。
その後、過去の記憶が湧き出てくるように、戦禍に巻き込まれた一家が、「女」の眼前に立ち現れる。在日コリアンの「少女」(吉田鈴琴)とその家族(藤原愛留、趙清香、趙沙良)の幻影。愛する者との別れの苦しみを宿した情景はやがて消え入り、再び「女」と「男」だけが、キャンプ場に残る。
「男」は、テントを撤収しながら、戦時下における在日コリアンの犠牲について語り、立ち去る。片や、ひとり取り残された「女」は、先に遭遇した一家の幻影を思い返す――。

見えないものとの遭遇

戦時の過酷な暮らしを掘り起こすドラマであるが、暗鬱な色彩だけで塗りこめられているわけではない。上演において俳優たちは、明るさを失わない人々の儚くも切ない姿を、時にユーモアを交えて演じている。そして、幻影との遭遇、その微妙なありようが、この作品に独特のトーンをもたらしているのである。
「見えないものとの遭遇」は、キャンプ場という場所設定を巧みに活かして作中に組み込まれている。中心人物の「女」は、不意に姿を現わす在日コリアン一家の幻影を、半ば訝しみながら受け入れていく。キャンプ場という普段の生活を離れたかりそめの宿営地であればこそ、日常のそれとは異なる態度で、見知らぬ存在を受け入れることが、不思議なリアリティを帯びて立ち上がってくるのである。

見える世界の縫い目、ほつれ目

「見ようとすると、案外見えますし、見ようとしなければ、見えないもんです」。

これは劇の序盤にある、幽霊についての「男」のセリフである。同様のセリフは、終盤、戦争の爪痕についての会話でもくりかえされており、作品に底流するメッセージと解することができるかもしれない。
わたしたちは、平穏な生活を、さながら丈夫に編み込まれた生地のように感じていることがある。だが、仔細に眺めてみると、そこには日常を日常たらしめている縫い目、あるいは繕いきれないほつれ目が、無数に存在していることに気づく。それらは決して「見ようとしなければ、見えない」。
『キャンパー』という作品は、そうした見える世界の、見えにくい縫い目/ほつれ目を、ひそやかに浮かびあがらせようとしている。現代日本の平穏な生活が、どれほどの犠牲の上に成り立っているのか。金民樹の作劇は、性急に日本人を糾弾することはない。観客を、終わりのない問いへと誘うように、共生の願いを差し出しているのだ。

「飯場」/イメージの原基

今回、立ち会った野外公演ならではの特色について、付言しておきたい。
京都公演が催された京都府宇治市伊勢田町ウトロは、1940年代に国策の京都飛行場建設のために集められた朝鮮人労働者やその子孫らが、長年暮らしてきた集住地域である。会場に選ばれたのは、地域の歴史を伝える「ウトロ平和祈念館」の敷地入口にある広場。小道具のキャンプ用品が並ぶアクティングエリアの奥には、「飯場(はんば)」と呼ばれる老朽化した簡易住宅(かつてウトロ地区の労働者が暮らした木造平屋建てのバラック)が、元の部材を生かし移築・再現されている。
つまり野外公演は、約80年におよぶ生活の痕跡を、まざまざと感じさせる建物を背景に行われたのだが、こうしたサイトスペシフィックな条件が、観客の連想に働きかける力は小さくなかった。
大阪大空襲にちなむ物語が、戦時下の別の文脈へと開かれていく。あるいは、キャンプ(=野外での一時的な生活)のモティーフが、居住をめぐる「ウトロ問題」と響き合い、また戦火のエピソードが、近年ウトロで起きた放火事件の記憶を呼び起こす、という具合に時代・地域を超えてイメージが連鎖する可能性を秘めていたように思う(1)。
フィクションの展開を静かに見守る、現実世界の生活の移ろいを見つめ続けてきた「飯場」。時にイメージの原基として作用する建物を、視野の片隅におさめながら、わたしたちの生存の根拠に思いを馳せることのできる劇場体験は、他には代えがたいものとして強く印象に残った。

(1)
1989 年、ウトロ地区の住民は、法的に所有権のないところに住んでいると見なされ、被告として提訴されている。2000年、「立ち退き」判決が下りているが(最高裁上告棄却により大阪高裁判決が確定)、これに反対する住民・支援者による居住の権利を守る運動など、一連の事象は「ウトロ問題」と呼ばれている。 近年、国際人権世論を背景とする韓国政府の援助などを得て、日本の行政による住環境整備事業が実施されており、強制立ち退き問題は基本的に克服されつつある。しかし2021 年、ウトロで差別的な動機にもとづく放火事件が起こっているように、現在でも住民の尊厳や共生社会の実現をめぐっては、課題が積み残されていると考えられる。

記事の執筆者

新里直之(にいさと・なおゆき)

京都芸術大学舞台芸術研究センター研究職員
演劇研究者

現代演劇の批評、舞台芸術アーカイブをめぐる調査に取り組むほか、芸術実践と研究を架橋する活動をサポートしている。京都芸術大学芸術教養センター非常勤講師。野上記念法政大学能楽研究所客員研究員。ロームシアター京都リサーチプログラムリサーチャー(2019・2021年度)。論文に「太田省吾研究―「述語の演劇」へのプロセス―」(京都芸術大学大学院提出博士学位論文、2021年)など。

新里直之