コロナからの復興企画~関西演劇を広める、広げる

関西えんげき大賞

劇評アーカイブス 「らしさ」にあふれた舞台 コズミックシアター「ザ・空気ver.3 そして彼は去った…」 VIEW:1293 UPDATE 2022.03.18

大スクープをめぐる思惑

1995年に結成され、大阪を拠点に活動を続けているコズミックシアターのvol.31『ザ・空気ver.3 そして彼は去った……』が、2月23日~27日、大阪市の未来ワークスタジオで上演された(作・永井愛、演出・金子順子/2月23日所見)。
舞台はテレビ局。報道番組のチーフプロデューサー・星野礼子は政権に忖度することなく、視聴者に真実を伝える信念を持っている。そのため更迭が決まるが、星野が担当する最後の放送日に大波乱が起こる。出演者を交えた打ち合わせ時、政権擁護派の政治ジャーナリスト・横松輝夫が、いつもの持論を翻し、政権批判を始めたのだ。やがて横松は、内閣による「日本学術アカデミー」の会員候補の採点表を見せる。政府による会員任命拒否が大きな問題となっており、その裏付けとなる秘密書類である。横松はこれを本番でいきなり告白しようというのだ。大スクープである。
事態は一部のスタッフのみだけがつかんでいたが、本番直前、アシスタントディレクターのうっかりミスからスタッフ全員に知れわたり、現場は大騒ぎになる。これを放送すべきか? 放送すればわれわれの立場はどうなるのか? 仕事を辞めさせられるのではないか? それぞれの思いが交錯する中、星野の結論が下される。

「いるいる、こういう人」

自分の言葉で話すことができない総理、「日本学術アカデミー」の任命拒否問題、更迭の理由を問われたテレビ局会長が発する「その指摘は当たらない」という返答。この間まで私たちが何度も見聞きしたことがらが戯曲に盛り込まれ、ニヤリ、クスリとしてしまう。戯曲の面白さと同時に、俳優陣のすぐれたアンサンブルが観客の集中力を高め、出演者・スタッフと客席がひとつの舞台を創り上げた好例となった。
横松役の笠河英雄が登場した時、一瞬誰だかわからなかった。これまでの舞台から繊細なイメージが強かったのだが、独特のアクを持つ政治ジャーナリストという役柄を造り上げていたからであろう。星野役の生田朗子は知的で頼れる上司という人物像。明晰で、かつ鋭すぎないセリフ運びが心地よい。サブキャスター・立花さつき役の池田佳菜子は、いつまで自分はグラフ説明の役割なのかとうんざりする場面に、番組での女性キャスターの立ち位置を示した。チーフディレクター・新島利明役の鈴村貴彦は、あちらに気を遣い、こちらを立て、後輩を叱咤激励しつつ調整に走る役柄だ。スクープによって責任を取らされることを予測し「結婚も……ないだろうなぁ、この先。子どもも……持てないな、一生……」というセリフと表情に、仕事と私生活の板挟みが見え隠れした。アシスタントディレクター・袋川昇平役の田島圭悟は、ちゃらんぽらんに見えて「どうせクビになるんなら、国民に知らせるべきことを知らせます」と、若者らしい熱情を訴えた。また、リベラル系コメンテーターの萩鷹子役を、演出で劇団代表の金子順子が演じた。にこやかで温厚な雰囲気だが、その笑顔に横松との論戦を楽しむような、ベテランの余裕が見える。出番は短いが、「いるいる、こういう人」と印象を残す風情であった。金子だけではなく、全ての俳優が「いるいる、こういう人」なのである。それでいて、はっきりと言葉がわかる口調や、会話の際にあえて客席を向く動き等、芝居らしさは失わない。リアルではなく、リアリティがある。つまり「らしさ」があるのだ。
演劇には、「らしさ」が必要である。子どもらしさ、大人らしさ等の「らしさ」だ。事実をそっくりそのまま表現するなら、それはドキュメンタリーでありノンフィクションである。事実をもとにした作品も「らしさ」で表現するからこそ、観客がそれぞれの経験を重ね合わせたり、想像をめぐらせたりすることができる。そこに普遍性が生まれる。今回の公演には、そんな「らしさ」にあふれていた。

落とし穴にはまったのか

ラスト近くの場面、状況を知った上層部が慌てて星野に電話を寄越し、現場へ向かってくる途中のこと。星野に弱気が芽生え、秘密書類の報道を取りやめる決断をする。こんな混乱の中、伝えてもかえって誤解を招くかもしれない、機を見て出直す方がいいというのだ。横松は思わず星野に厳しい言葉を浴びせる。あなたは自分の弱さやずるさと向き合わずにきた、正義を貫こうとしていると思い込んでいた、と。そして、星野こそ落とし穴にはまっているとも言う。
落とし穴とは、星野の元同僚で横松の元部下であり、自殺したニュースアンカー・桜木正彦が残した言葉である。日本は同調圧力が強い。空気を読んで多数派に合わせている意識があるうちはいいが、それがなくなった時にはまるのが落とし穴だという。意識のないままに、その時々の空気に合わせてしまうというわけだ。それに本人はきがつかない。だから落とし穴なのだ。
星野の決断は、落とし穴にはまった結果なのか。われわれ観客も、知らないうちに落とし穴にはまっているのではないか。そんな問いを投げかけられた舞台であった。

記事の執筆者

広瀬依子(ひろせ・よりこ)

追手門学院大学講師

1989年、総合芸能雑誌『上方芸能』編集部入社。古典芸能から現代劇まで、関西の舞台芸能と関西文化について取材、論評等を行う。編集次長を経て、2008年~2016年の同誌終刊まで編集長をつとめる。2018年より現職。共著に『上方芸能事典』。

広瀬依子