
- <優秀作品賞>(五十音順)
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- A級MissingLink『富士山アンダーグラウンド』
- くじら企画『流浪の手記』
- 劇団大阪『親の顔が見たい』
- 劇団太陽族『迷宮巡礼』
- 虚空旅団『ゆうまぐれ、龍のひげ』
- コトリ会議『おかえりなさせませんなさい』
- サファリ・P『悪童日記』
- 万博設計『夏の時間』
- 兵庫県立ピッコロ劇団『宇宙に缶詰』
- ブルーエゴナク『たしかめようのない』
- <最優秀作品賞>
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- コトリ会議『おかえりなさせませんなさい』
- <観客投票ベストワン賞>
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- コトリ会議『おかえりなさせませんなさい』
- <ネクストドア賞>
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- 小沢佑太(CLOUD9代表)』
第三回 関西えんげき大賞選考経過
九鬼葉子
―2024年12月26日、大阪市天王寺区の一心寺研修会館にて選考委員会開催ー
優秀作品賞候補は46作品
まずは、優秀作品賞の選考から始まった。 選考委員会に先立ち、事前に選考委員6名が、それぞれ2024年の1年間に鑑賞した関西の演劇作品の中から、優秀作品賞として10作品程度を推薦。その全リストをもとに、1作1作の魅力を語り合うところから始めた。選考委員は、加美幸伸、九鬼葉子、畑律江、広瀬依子、永田靖、岡田蕗子の6名(梅山いつきは、本人の都合により、本年の選考委員はお休み)。推薦作、つまり候補作は46作品である。実際にはもう少しあったのだが、まず選考会冒頭、「関西えんげき大賞」の対象作であるかどうかを吟味した。対象は「関西の劇団」あるいは「関西発のプロデュース公演」であること。関西を拠点に活動する優れた演劇アーティストや、関西で制作された作品の魅力を、広く紹介して行くことが目的の賞である。他地域の劇団が、ツアーの一環として行った関西公演は含まれない。推薦された作品が、関西発の公演であるのかどうか、ということを検証。さらに判断が困難なのは、「演劇作品」であること。クロスオーバーな芸術作品を除外するつもりはもちろんないのだが、何せ優秀作品賞は10枠しかない。例えば、美術系パフォーマンスは、美術系の賞にお任せするという考え方もある。そのあたりを慎重に議論した上で、以下の46作品が、候補作として選考の対象となった。
<優秀作品賞候補作―46作品―>
アイホール主催事業・音楽劇『どくりつこどもの国』/エイチエムピー・シアターカンパニー『アラビアの夜』/A級MissingLink『富士山アンダーグラウンド』/空晴『かえるかな、この道』/関西芸術座『ムッシュー・フューグ あるいは陸酔い』/KUTO-10『自慢の親父』/くじら企画『流浪の手記』/劇団大阪『親の顔が見たい』/劇団☆kocho『文化でドゥヴィドゥバ』/劇団そとばこまち『和製吸血鬼伝』/劇団太陽族『トリビュート1/3』/劇団太陽族「迷宮巡礼」/劇団太陽族『戻り道に惑う』/劇団タルオルム『島のおっちゃん』/劇団未来『サド侯爵夫人』/幻灯劇場『フィストダイバー』/幻灯劇場『play is pray』/虚空旅団『ゆうまぐれ、龍のひげ』/コトリ会議『おかえりなさせませんなさい』/kondaba #4「ユートピア」/The Stone Ageヘンドリックス『おしゃベリはやめて』/サファリ・P『悪童日記』/THE ROB CARLTON『THE STUBBORNS』/SHOW劇場番外編『怪人二十面相・伝』/STAR☆JACKS&Cheeky☆Queens「天保十二年のシェイクスピア」/清流劇場『へカベ、海を渡る』/態変『ヴォイツェク』/玉造小劇店『僕と私の遠い橋』/DOORプロデュース『父が愛したサイクロン』/ばぶれるりぐる『川にはとうぜんはしがある』/早坂彩演出『新ハムレット』/万博設計『夏の時間』/兵庫県立芸術文化センタープロデュース『神戸の湊、千年の交々』/兵庫県立ピッコロ劇団『あしあとのおと、ものがたり』/兵庫県立ピッコロ劇団『宇宙に缶詰』/兵庫県立ピッコロ劇団第78回公演 ピッコロシアタープロデュース『ロボット-RUR-』/Plant M『WWW』/ブルーエゴナク『たしかめようのない』/プロトテアトル『ザ・パレスサイド』/マシュマロテント『みえない』/南河内万歳一座『新・あらし』/メガネゲイニントメガネニカナウ/モトキカク『蘇る魚たち』/MONO『御菓子司 亀屋権太楼』/遊劇体『微風の盆』/笑の内閣『12人の生まない日本人』
話しましょう
全ての作品の魅力を語り合うところで、すでにかなりの時間を要したが、芸術作品を安易に数字で決めたくはなかった。つまり、投票という手段ではなく、作品の魅力を精一杯言葉にし、話したいと思った。様々な角度から話し合う中で、第1回、第2回で受賞している劇団についてどうするか?ということについて議論になった。もちろん再選は、あっていいことではある。ただ関西には、優れた演劇アーティストがまだまだたくさんいらっしゃる。関西演劇の魅力を広めたい、広げたい、という趣旨で始まった関西えんげき大賞であり、関西えんげきサイトである。新たなアーティストもご紹介したい。そこで再選については、以前の受賞から、さらに新たな演劇の地平へと飛躍されたタイミングではどうか、という意見が出され、一応の目安と考えることにした。
関西発の公演であるのか?
次に、ひとつの劇団が複数の作品で候補になっているケースをどうするか。実はこの論議に長い時間を要した。各作品の推薦者が魅力を語り、ほかの委員の話もよく聞いて話し合い、一つの作品に絞り込んだ。
だんだんと絞られてきたものの、ここからが難航した。どの作品を落とすかという否定的な考え方ではなく「この劇団は、伸びている。伸びしろがますます楽しみである。さらに飛躍し、来年も必ず候補になる。来年のお楽しみにしよう」と、前向きに検討しながら(多少苦し紛れだが)徐々に絞り込んでいった。だが、10数作になった段階で、膠着。もう誰も譲れない。いずれも授賞にふさわしい作品ばかりだ。
そこでもう一度、関西えんげき大賞の対象作かどうか、というところに立ち返り、ブルーエゴナクについて論議された。THEATRE E9 KYOTOのアソシエイト・アーティストではあるが、主宰者は北九州在住である。そこで制作過程をもう一度検証し、関西で稽古し、制作された作品であることや、関西の演劇アーティストが参加していることも確認。また最近は、ほかの地域のアーティストと積極的に交流し、作品を制作するアーティストが増える傾向にあり、その幅広い活動は、芸術を豊かにする、とても望ましいことではないかという意見が出された。それが関西の地で行われたことはとても有意義で、やはり関西で顕彰することがふさわしい作品であるという結論になった。
ブルーエゴナクも含めて再び言葉を尽くし、最後は全員一致で10作品を決定。優秀作品賞10作品の受賞を祝福した。
ネクストドア賞の立ち位置
さて、次はネクストドア賞の選考である。 まず、賞の立ち位置について確認した。関西では若手演劇アーティスト対象の賞として、学生演劇祭が充実してきた。大学生の次の世代としては、ウイングフィールド主催の「WING CUP」がある。だが、その次のステップとなる機会が不足している。ネクストドア賞は、「WING CUP」に出場した後、次の励みになるような賞に育つことを目指していきたい。主に20代半ばから後半にかけての、新しい時代の扉を開くような演劇アーティストがイメージだが、ただ演劇を始めた時期が遅い方もおられるので、35歳くらいまでとしている。
楽しみな若手アーティスト
さて、今回の選考だが、初回ということもあり「まずは楽しみな若手アーティストについての情報交換の意味でも、たくさんお名前をあげましょう」と事務総括の九鬼葉子から提案。劇作家、演出家、俳優など、さまざまな名前が挙がった。学生についても、今年の授賞対象ではないとしても、卒業後が期待できるアーティストとして、名前を出し合った。ただ、演劇を始めてまだ間がない(選考委員も、まだ一度しか見たことがない)人を、いきなり推薦し、公表してよいかどうかも難しいところであり、ここでは、全員の名前を候補としては挙げない。ただ、複数の選考委員から推薦があるなど、特に注目された人として、
小沢佑太(CLOUD9)、中辻英恵(白いたんぽぽ) 、長山知史(創造Street/大旅軍団)、福井裕孝、藤井颯太郎(幻灯劇場)、村尾保乃花(関西芸術座)
がいた。
中でも小沢佑太は、2024年の新作公演2作の成果のほか、旺盛な演劇活動(詳細は選評参照)が評価され、初代受賞者となった。 5時間半以上をかけて、以上のことが決定した。
次回からのネクストドア賞選考委員
その後、選考委員から次のような提案があった。「ネクストドア賞初回の今回は、優秀作品賞の選考委員が選考を兼ねたが、次回からは、選考委員に若手アーティストに入っていただくのが良いのではないか」。若い世代からの推薦も取り入れることで、さらに若手の活動状況が鮮明になり、情報が豊富になり、新しい世代のための賞として発展させていけるのではないか。その意見を受けて、後日、呼びかけ人の中で組織されている「選考委員会事務局ワーキンググループ」内で相談し、第4回関西えんげき大賞(2025)からは、ネクストドア賞選考会は、優秀作品賞選考会とは別建てにすることにした。選考委員には、まず関西の若手演劇アーティストから、若手による運動体「西陽」を結成し、関西演劇文化をさらに盛り上げようとしている西田悠哉(劇団不労社代表)と、ネクストドア賞初代受賞者である小沢佑太(CLOUD9代表)。そして先輩アーティストから中村ケンシ(空の驛舎代表)も加わる。中村はこれまでも若手劇団を積極的に観劇、自身の劇団公演のアスタートークに招くなど、才能の紹介に尽力している。この若手・中堅アーティストに演劇評論家の九鬼葉子(大阪芸術大学短期大学部教授)が加わり、4人が務めることになった。
優秀作品賞10作の評価理由
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A級MissingLink『富士山アンダーグラウンド』
富士山の北西に広がる青木ヶ原樹海。その地下数百メートルに、大空洞のあることが発見され、アガルタと呼ばれるその場所では、縄文時代に近い独自の文化が築かれていた。その後、地上に移住したアガルタ人もいるが、祭りの時には、日本各地から里帰する。祭りは、巨大な象と闘うという内容から、動物愛護団体の反対運動も起き、そこから事件が起きる。
作・演出は土橋淳志。西欧的価値観の人と、それとは異なる生き方や民族性を守りたい人々が、どうやって共生していくか、という現代的テーマを、巧みな物語展開の中で、真摯に繰り広げた点が評価された。A級MissingLink『富士山アンダーグラウンド』
畑律江
驚くような設定で始まる作品である。明治時代、富士山の青木ヶ原樹海の地下に、大空洞が発見された、というのだ。そこには縄文時代に近い暮らしを送る人々が住んでいた。住民は次第に地上に移り住むようになったが、年に一度の「ナウマンゾウ祭り」には、日本各地から何万人もの人々が里帰りする。物語の舞台は祭り会場近くのペンション。地上から帰郷した女子学生と、彼女についてきた男子学生が、事件に巻き込まれていく。
祭りとは、生きたナウマンゾウと人が闘うというもの。リアルに描写されることはないが、参加者の装束や、手にした武器を見ると、祭りが命の危険をはらんでいること、動物虐待として批判されかねない側面を持つことがわかる。だが祭りは、地底人のアイデンティティにつながる重要な行事なのだ。
一般に「野蛮」と「文明」は対立的にとらえられ、「人間は野蛮な状態から文明の高い状態に進歩する」と漠然と考えられている。しかしそれは果たして歴史の必然なのだろうか。作の土橋淳志は、そんな疑問を劇世界の中に溶かし込んだ。それは、西欧の近代的価値観が波及する中で、その枠にはまり切らない文化や民族性を保つ人々が確かに存在しており、時に摩擦が起きている現実世界を映しているようでもある。
A級MissingLinkは、演劇という創造的な営為そのものに言及する作品や、物語の中に別の物語を組み込む入れ子構造の作品に特色を見せる。観る者はその構成の巧みさに心奪われるのだが、背景には常に、現代の文明のありようや支配的な価値観を、大局的に俯瞰して見つめ直そうとする真摯な姿勢がある。今回の作品では「もしも日本社会がこうだったら」というパラレルワールドを築いてみせた。登場人物は、縄文文化か近代文明か、どちらか一方に完全に分けられているのではなく、それぞれが微妙に揺れ動く。舞台はその上で、「我々は共存できるか」という今日的な問いを私たちに投げかけ、考えさせる。
視覚的な効果や笑いを誘うユーモアも盛り込まれた演出。パラレルワールドを自然に生きてみせた俳優陣も健闘した。一つの思考実験を目にするような、刺激的な作品だった。この度は、このような栄誉ある賞を受賞することになり、とても嬉しく思っています。演劇は降って湧いてくるものではなく、特に今回の作品には、これまでの劇団の地道な活動が結実していると考えていたからです。劇場に足を運んでくださった皆様、関係者の皆様に、感謝とお礼を申し上げます。関西を拠点に活動する劇団として、これからも「面白かった」と言って頂けるような作品を作っていきたいと思っています。
(A級MissingLink/土橋淳志) -
くじら企画『流浪の手記』
深沢七郎の『流浪の手記』を題材にした大竹野正典戯曲。初演は2001年。大阪市のウイングフィールド主催のウイング再演大博覧會2024にて再演。演出は後藤小寿枝。深沢は『風流夢譚』の内容が批判され、殺傷事件に発展したことをきっかけに、3年間放浪したが、その間に書かれた手記が『流浪の手記』である。物を書くということの「業」や、暴力に屈せず言論でいかに戦えるか、という永遠の命題に向き合いつつ、自然と共生する人間の原初的なエネルギーをしなやかに展開、人を愛おしむ情感が沁みとおる舞台であった点が評価された。
くじら企画『流浪の手記』
岡田蕗子
本作は、大竹野正典が戯曲を書き、2001年に初演をした上演の再演で、演出は後藤小寿枝。本作の主人公「フカサワヒチロー」は、小説家深沢七郎がモデルだが、深沢は小説『風流夢譚』の内容が批判され、殺傷事件に発展したことをきっかけに3年間放浪し、その間に『流浪の手記』を書いた。大竹野は、その手記を題材に戯曲を書いた。
物語は、東京を離れ、北海道の石狩に来たフカサワが、何かに苛立つ青年「イロカワ」に出会う場面から始まる。フカサワは木賃宿で博打を打ったりして放浪するのだが、旅の中で再会したイロカワに、北海道には自分に脅迫の葉書を送った人に会いに来ており、その人とイロカワを重ねてしまうことを告げる。そして劇はフカサワが「イロカワ/その人」に刺殺された瞬間に相手を抱きしめかえすという幻のような場面で終わる。
上演では、場面転換時に流れる昭和歌謡が1960年代の雰囲気を立ち上げ、その中でフカサワ(戎屋海老)のつかみ所のなさ、イロカワ(大竹野春生)の苛立ちが観客席にダイレクトに伝えられた。そのことは、観客に普遍的な問いを投げかけた。問いのひとつは、フカサワが持つ「人が自分を憎む人にどう対峙できるか」で、これはどの時代にも通じる課題である。本作ではその答えの行方に北海道の風土が影響する点が特徴的だ。放浪の中でフカサワは北海道の夏の花に影響を受け、感覚を自然の中で変容させる。これは最後の「抱きしめ返す」という選択に何かの影響を与えているだろう。イロカワの場合は、その苛立つ姿が観客に何かを考えさせる。彼は「すがれるもの」を求めている若者で、エルビス・プレスリーや自衛隊や恋人にすがろうとし、最後には恋人の気持ちを取り戻すために脅迫事件を起こす。このような「すがる」感情は、全く自分の中にないとはいいきれない。
本作はくじら企画の進化形、「シン・クジラ計画」と銘打たれた公演で、「シン」という言葉には、新しい世代に大竹野の戯曲を知って欲しいという願いがあるようだ。大竹野が2000年代に描いたフカサワの問い、イロカワの苛立ちには、今の世代にも響くものがあるだろう。本作は普遍的な問いを、人間味溢れる表現で、新しい世代にも向けて表現しようとした意欲作であった。演劇賞をいただくのはずいぶんと嬉しいものです。演劇はチームで作り上げる作品であると思うからです。役者、スタッフ、台本が揃って初めて芝居として、観ていただくことができます。しかもそれらは一期一会です。こんなはかないものを作りつづけているということを評価していただく機会はなかなかありません。くじら企画「流浪の手記」チーム一同、感謝申し上げます。ありがとうございました。
(くじら企画/後藤小寿枝) -
劇団大阪『親の顔が見たい』
畑澤聖悟作、熊本一演出。名門女子中学校の生徒が自殺し、遺書には「いじめ」の文字と5人のクラスメイトの名前が書かれていた。学校は5人の生徒の保護者を会議室に集め、大きなテーブルで教員達と保護者達との議論が展開される。いじめ問題を批評的に描き、大人社会の歪みが子供達の世界にいかに影響を与えるか、という現状を照射した、白熱の舞台が評価された。
劇団大阪『親の顔が見たい』
広瀬依子
一瞬ドキッとする題名。今の時代、人前で口に出すことはあまりないだろう。しかし、思いがけずひどい言動に遭遇した時、心の中で思わずこの言葉をつぶやいてしまった経験がある人はいるのではないだろうか。
畑澤聖悟による本作品は、中学生のいじめを取り上げている。初演は2008年、劇団昴である。以来、さまざまな劇団や団体で上演されてきた。国内に留まらず、韓国では舞台に加えて映画化も行われている。劇団大阪にとって本作品は2009年、2012年に続く3回目の上演である。いわゆる一杯道具の舞台で、最初から最後までひとつの大道具で芝居を行い、舞台転換がない。もちろん出演者の登場・退場はあるが、場所は中学校の会議室に固定されている。中央に大きなテーブルが据えられ、いじめの加害生徒の保護者や教員たちが四方を囲んで座る。さらに客席は、その舞台を取り巻くように据えられている。劇団大阪のこの設えは、2009年の初演以来変わらない。観客も会議室にいる気持ちになる、優れた方法である。
この部屋で繰り広げられるのは、主に保護者たちのやり取りである。その発言は実に身勝手だ。我が子が行ったいじめを認めず、あろうことか自殺した被害生徒の家庭に責任をなすりつけたり、担任教師のせいにしたりする。登場人物の中で観客が共感できるのは、被害生徒の母親と、被害生徒のアルバイト先の店長ぐらいである。それにも関わらず見入ってしまうのは、保護者たちに対する怒りとともに、自分にもこのような面がないか、振り返ってしまうからではないだろうか。これには、先に述べた舞台装置が重要な役割を果たしていたのはもちろんのこと、各人物の背景や葛藤を丁寧に描写した対話の構築がされていたことも大きい。創立50年を超える劇団大阪の蓄積が感じられる、緻密なセリフ劇であった。
初演から16年、今も全く色褪せない作品だ。戯曲の力と創造者・表現者たちの力を感じるとともに、いじめが根絶されていないという事実を観客に突きつけているとも言える。成果主義や長時間労働に支配される教育現場。新自由主義の中で生きざるを得ない親たち。ひとりの生徒の死と明かされていくイジメ。その事実に抗う親たちの姿は滑稽でもあり、ある意味悲惨です。
演出の熊本はこの作品にずっと向き合い、それぞれの痛みや怒りや悲しみについて問いかけてきました。
谷町劇場での濃密な時間と空間をお客様と共有でき、賞を頂けたこと。取り組んだ皆を代表して感謝とお礼を申し上げます。ありがとうございました。
(劇団大阪代表/山内佳子) -
劇団太陽族『迷宮巡礼』
岩崎正裕作・演出。老いたピアニストの現実と追想、妄想が交錯する。不安や孤独、家族との葛藤を、ラヴェルやドビュッシー、バッハなどの名曲のピアノ生演奏に乗せて展開する。認知症という難しいテーマを扱いながら、生きることを全うする賛歌へと高め、美しく切ない舞台に仕上げた点が評価された。ベテラン劇団でありながら、次々と全く新しい作風、演劇の地平へと飛躍されていることも注目された。
劇団太陽族『迷宮巡礼』
畑律江
2025年には、65歳以上の高齢者の約5人に1人が認知症になると推計されているという。認知症はもはや私たちにとって身近な、「誰もがなり得る」病気となった。『迷宮巡礼』は、認知症の人が見ている世界を、美しい音楽を交えて描き出そうとした意欲作である。
舞台にはグランドピアノが1台。ここは初老のピアニスト・毛利茂のレッスン室兼居間だ。大学を退官した後、毛利には、認知の揺れや記憶の混濁などの症状が出始めた。親しい人が誰だかわからなかったり、自身の演奏旅行を他者のそれと取り違えたり。時間感覚が狂い、不安に襲われる。懐かしい母親の姿や、進路を巡る娘との口論の記憶が現れては消える。そこはまるで迷宮のようだ。
だが、レッスン室に出入りする人々――妻、娘、家政婦、調律師、音楽教師――は、毛利の現在を落ち着いて受け止め、無理をせずに傍にいる。そのたたずまいが、とてもいい。彼女たちは言葉の端々に、毛利への敬意や感謝、情愛をにじませる。たとえ一時は激しく対立した娘であっても。
この舞台の大きな特徴は、効果的に用いられるクラシック音楽だ。エピソードが変わるごとに、一人のピアニストが現れてピアノに向かい、ベートーベン、ドビュッシー、ラヴェル、バッハらの名曲をひととき奏でては去っていく。彼は、元気だったころの毛利なのかもしれない。毛利役の森本研典と、音楽・ピアノ生演奏を担当した作曲家の橋本剛、両者の姿がだぶって見えてくる。
病気との闘いや病気からの立ち直り、介護者の奮闘などが取り上げられる認知症。だがこの舞台は、認知症の人が見る世界にそのまま寄り添おうとする。成功・失敗をないまぜにして精一杯生きた一人の音楽家の歩みを、美しいメロディーが切なく彩っていく。決して声高に叫びはしないが、舞台の底には、人が最期まで尊厳ある存在であり得るように、という祈りのような思いが流れている。
現代社会の諸相に切り込む舞台で知られる劇団太陽族。ベテランの域に達してまた、新たな表現の水源を探り当てたようである。尽きない創造へのエネルギーに心打たれる。この度は劇団太陽族『迷宮巡礼』に優秀作品賞をいただきありがとうございます。ミュージカルではない音楽とお芝居の融合は長年の夢でありました。生演奏30分+お芝居60分というこの作品は果たして演劇と呼べるのか。そんな不可思議な作品に思いがけず評価をいただけたこと励みになります。関西を拠点とする演劇人が一同に会する授賞式は華やかで、これからの演劇界に一層の活気をもたらすものと感じました。賞の運営に関わる皆様の熱意と労力に深く御礼申し上げます。
(劇団太陽族/岩崎正裕) -
虚空旅団『ゆうまぐれ、龍のひげ』
高橋恵作・演出。ウイング再演大博覧會2024参加作品。
経営の苦しい家族経営の町工場を舞台に、バブル崩壊後の「失われた30年」の中、生活が夕暮れに向かいつつも、地道に働く人々の姿をリアルに伝えた点が評価された。人生の朝日が何かは、自分で決めればよい。活力ある演技がそれを示唆し、人間に本来備わる明るさが表出された。虚空旅団『ゆうまぐれ、龍のひげ』
畑律江
舞台は大阪にある小さな町工場。主人公の涼花は、ここで生まれ育ったが、今は家を出て会社勤めをしている。工場の創業者は涼花の祖父で、現在は兄マサカズが三代目として切り回している、という設定だ。両親はもう高齢で、そのために工場の片隅の坪庭をつぶしてエレベーターを設置することになる。活気があった時代の思い出が詰まった坪庭で、涼花、兄とその妻、婚家から戻って工場を手伝おうとする叔母ら、それぞれの思いが交錯する。タイトルの「龍のひげ」は、この坪庭に生えていた緑の多年草の名だ。
虚空旅団を主宰する劇作家の高橋恵が、自身の生家をモデルにして書いた作品。高橋はこれまでに、縫製工場や看護専門学校などを舞台に、「働く人々」を描く戯曲を書いてきた。日々の仕事の中のささやかな喜びと悲しみ、夢と失敗を、慎ましく、丁寧に描く舞台は、多くの人の共感を呼んだ。
バブル経済崩壊以降の「失われた30年」を経て、海外製品の圧迫を受けた工場は苦境に陥っており、その状況がタイトルにあるもう一つの言葉「ゆうまぐれ」と響き合う。ひょっとすると現在のわが国では、自分たちが夕暮れに向かっていることをひしひしと感じている人が多くいるのかもしれない。だが、人が生きている限り、その営みは途切れることがない。たとえ大切なものが失われようと、人はまた明日に向かって生きていくのだ。「しんどくても、生きて死ぬこと」を「けっこう大事なことやと思う」と語る涼花の言葉が印象的である。幕切れ、涼花とマサカズは、新しいエレベーターで屋上に上がる。油で汚れたマサカズの指は、いつしか祖父の指に似てきた。洗濯物が干された屋上を赤い夕陽が染めていく情景。それは物寂しいが、一方で、すがすがしくもある。人間が持つ本来的な明るさを映しているようにも思える。
初演は2012年。今回は、小劇場ウイングフィールドの「ウイング再演大博覧會2024」の参加作として上演された。配役の半数以上は変わったが、俳優陣は前回同様、市井の人々の体温を感じさせて説得力があった。戦後の「ものづくり」を支えてきた中小企業の街・大阪で生まれた佳品として、記憶にとどめたい。このたびは、素晴らしい賞をいただき、ありがとうございました。
尽力してくれたキャスト、スタッフの皆様のおかげと、深く感謝申し上げます。
この作品は祖父の町工場をモデルにした物語です。
既に更地となりましたが、確かに私達家族がそこに住み、多くの人たちの生活がありました。
このお芝居が受賞の記録に残ることで、確かにあの日々は存在したのだと心に刻むことができました。
喜びと共に次の一歩を踏み出してゆこうと思います。(虚空旅団/高橋恵) -
コトリ会議『おかえりなさせませんなさい』
山本正典作、コトリ会議演出。第八次世界大戦が尾を引く、第八次半世界大戦が勃発し、人類はおろか世界中の生き物が疲弊する中、燕と人間を合体させた超生物「ヒューマンツバメ」が誕生する。死なない生き物で、子供を産む必要もなくなる。そんな近未来を舞台に、ナンセンスなユーモアを込め、現在の私達が生きる地点を俯瞰した秀作。照明と舞台美術、音響、そして俳優の身体性が一体となった空間造形も評価された。
コトリ会議『おかえりなさせませんなさい』
岡田蕗子
コトリ会議は2007年に発足。選考会でも受賞式でも繰り返し耳にしたのはコトリ会議や山本正典をもっと知って欲しいという言葉だった。名前は耳にするけれどまだ観られていなくて、と言われることがよくあるらしいが、今回優秀作品賞、最優秀作品賞、観客投票ベストワン賞の三冠に輝いたことは、いったん知られたら人を引きつける魅力が備わっていることで間違いないだろう。
物語は、今から100年後の第八次半世界大戦が勃発して世界中の生き物が疲弊する中、燕と人間を合体させた超生物「ヒューマンツバメ」が誕生した近未来。ヒューマンツバメは銃弾を弾き出産不要で寿命が長い頑健な存在で、どうやら日本政府は国民をヒューマンツバメにさせる政策を進めているらしい。そのような時代を背景に、ドラマは純喫茶「トノモト」で展開する。そこは山生家の家族が大事な話がある時に集まる場所であり、今回は長女飛代(三ヶ日晩)からの相談のために集まった。飛代は、夫の一永遠(山本正典)に徴兵連絡が来たので、徴兵逃れのために夫婦でヒューマンツバメになりたいという。ただし、ヒューマンツバメになると人の記憶は3割しか残らない。3割しか記憶が無いと、それは同一人物ではないのか?記憶とアイデンティティを巡る問いが議論されていく。
本作の面白さは、人間の話に併行して、ツバメ一家の話が展開することである。その一家はトノモトの軒下に巣を作り、毎日父ツバメが餌を運んでくるのだが、ツバメの末娘は劇中ずっと餌を食べることに失敗し続け、劇の最後には地上に落ちてしまう。ツバメの一家は、食べられなくなった生き物は命を失うという、生き物が持つシンプルな命の循環・淘汰の様子を伝えてくる。それが、議論を続ける人間の一家と対比的に示された時、議論のレベルは生死の位相に切り替えられ、人間の議論に異なる視点を与える。
このように物語的には極限状態の深刻な状況を人間とツバメの二つの位相で描くが、上演ではその表現が戯画的である点に特徴がある。例えば、ツバメ一家は俳優たちが人形を遣って演じるのだが、その人形はおもちゃ売り場で見たような可愛らしさである。観客席の後ろから舞台に張られた糸を伝ってツバメが飛ぶ場面があるが、スマートに飛ぶのではなく作り物感のある動きをして徐々にやってくる。また、山生家の一家の演技もどこかわざとらしく遊びがある。このような表現ゆえに、観客は深刻な状況に同化するというよりは、俯瞰したまなざしで捉えることができる。
この上演では、記憶とアイデンティティ、生と死、戦争への向き合い方、という様々な問いを観客に投げかけながら、結論は観客に委ねる点が特徴だといえる。何がどう転がるのかわからない状況は、戦火が絶えない現在の世界のあり方と、そのほんの少し先の時代を描きとっているようにも感じられるし、山生一家の状況や選択、時代に流されていく様子は、我が身のことのように感じられる。本作は、シュールな空気感で現代社会のリアルを切り取り、戯画的に表出して観客の解釈を待つ、ニヒルで挑戦的な作品といえよう。演劇って、上演が終わって一ヶ月、いや一週間経ってしまうと、舞台に立った自分たちでさえ「あれは夢だったんじゃないだろうか」と寂しく思い出す仕組みになっているようです。でも賞を戴きました。夢じゃなかった。
表彰されなくても自信を持って覚えていなさいよという話ですけれど、人間は大馬鹿ですから。コトリ会議は本当に誰かの中で上演されてたんですね。
嬉しい。嬉しい。ありがとうございます。
(コトリ会議/山本正典) -
サファリ・P『悪童日記』
原作はアゴタ・クリストフの小説。山口茜脚本・演出。戦時下にある国で、8歳の双子の兄弟を、両親が祖母の家に疎開させるというところから始まる。戦場から離れているはずの庶民の生活圏でも、人々の心はすさみ、やはり戦場である。庶民の過酷な状況や心象を、身体表現を駆使して鋭く描き、現代の戦争と重ね、世界が人権意識を取り戻す問題提起へと昇華した点が評価された。
サファリ・P『悪童日記』
九鬼葉子
原作は、ハンガリー生まれのアゴタ・クリストフの小説。幼少期を第二次世界大戦の戦火の中で過ごし、その後亡命した作家。2016年初演した作品の、4度目の上演。
8歳の双子の兄弟が、鄙びた町にある祖母の家に疎開する。魔女と呼ばれる粗暴な祖母は、二人を風呂にも入れず、着替えもさせず、暴力を振るう。双子は心身の痛みに耐えるため、体を鍛え、感情も抑え込む。そして、そこで見聞きし、体験したことを日記に綴る。
一切の感情を廃し、事実のみ簡潔に記した日記文体の台詞。回を重ねるごとに表現方法の切り口が変化し、原作の新しい側面が開拓されている点が、選考会でも高く評価された。特に今回は、異化効果が功を奏した。まず、演者の現在の姿―身体的特徴や服装を、ほかの俳優が語る。そして紹介された俳優が、役に没入する瞬間を可視化する。虚構であるということを示しながら、劇中に起きている戦争が、現在と地続きであることも観客に意識させる。演者達は複数の役を演じ分け、全員が優れた身体表現で水準の高い演技を見せた。
今回の台本では、祖母のエピソードに力点が置かれた。祖母役の佐々木ヤス子は、姿勢を低くして演じる。老いを表すものだが、さらに野獣のような印象を残した。激しい気性で、孫に対して残酷な仕打ちも辞さない。何故このような人間性になってしまったのか。身体の微細な動きとともに、照明、音響が、言葉にされていない彼女の背後にあるもの=その壮絶な人生を想像させる。さらに彼女には、強い信念があり、次第にそのことが浮かび上がる。収容所に連行される人々にリンゴを食べさせ(それにより、自分は兵士からし烈な暴力を受けるが、高笑いする)、双子には、自分に次の病の発作が起きた時、ミルクに毒を混ぜるよう指示し、自分の財産のありかも伝える。二人には、今着る服は与えなかったが、未来を生きる手助けをしたのだ。平時の愛情の形とは全く異なるが、彼女の行動は、人権を守るというゆるぎない信念に支えられている。
世界で著しく失われている人権意識。最低限守られるべきはずのそれが遵守されれば、戦争はなくなる。強いメッセージを発した舞台だった。この作品は2016年、5つの平台と5人の俳優のみで小説の文体を舞台化するというテーマを掲げ上演したもので、これまで再演の度にテーマを変えて深度を上げて参りました。それに伴い出演者やスタッフの力も確かなものになってきましたが、毎回初演の台本や映像に立ち返ると、何も見えていなかったからこそ働いた勘のようなものが既に存在していた事にハッとします。この初回の勘をこれからも磨き続けたいと今回新たに思わせて頂きました。関西えんげき大賞の皆様、観劇くださった皆様、この度は本当にありがとうございました!
(サファリ・P/山口茜) -
万博設計『夏の時間』
深津篤史作、橋本匡市演出。ウイング再演大博覧會2024参加作品。
「大森真二を殺した」という電話が、木下と名乗る男から警察にかかり、木下はそのまま行方をくらます。土砂崩れにより遺体も見つからないまま、1年後の夏に、大森の家に、刑事を名乗る男が現れ、そこで繰り広げられる心理ミステリー。夢幻能のように記憶と現実、過去と現在、生者と死者が交錯する。ねっとりとした夏の暑さがもたらす狂気。繊細な演技・演出で世界観を構築、深津作品の普遍性・強度を証明した点が評価された。万博設計『夏の時間』
九鬼葉子
深津篤史戯曲は、手強い。天才の手による名作である。文体も、世界を見詰める眼差しも、あまりにも特有である。台詞は日常的だが、劇世界は非日常。しかもとても短い台詞が連なる。勿論、舞台化する時に必要なことは、戯曲のどこかに書いてある。だが、あえて想像に任せ、書いていないこともある。その見極めと解釈が難しい。特に今回は初期戯曲である。挑戦的な作風の心理ミステリー、幻想譚だ。殺人事件があったらしい、というところから始まり、そこは現実である(ただし、まだ死体が発見されておらず、不確かである)。その後は、夢幻能のように記憶と現実、過去と現在、生者と死者が交錯する。
同郷の男性3人の奇妙な友情の物語。そこに一人の、とらえどころのない女性が交わる。失踪した(どうやら殺されている)大森の家を、同郷の刑事・小山が訪ね、大森夫人の君枝との会話が綴られる。殺人事件の容疑者・木下は君枝の前夫である。男性同士の憧憬と羨望、嫉妬、そしてアイデンティティの喪失。その結果としての殺人事件。最後に小山を名乗る男は、実は木下だったことがわかる。大森だけでなく、君枝も死者だった(君枝が、木下に殺されたのか、自死なのかは、戯曲には書かれていない)。
君枝役の千田訓子が好演。最初は親しみやすいごく普通の女性として登場するのだが、次第に魔性の女のような本質が焙りされる。あたかも自分を生かしてくれる男を探す蝶のような、妖艶な女性像だ。彼女に翻弄された男性達の心理と歪な関係が、彼女を媒介にして客席に伝わる。
このいささか難解な戯曲を、俳優の身体を通し、さらに照明・音響・美術・映像・衣装・そして振付が有機的に結び合い、ねっとりとした夏の暑さがもたらす狂気を構築。深津戯曲の世界観である「醒めて見る夢」を具現化した。繊細な読解による演技・演出で、深津作品の普遍性と強度を証明した点が評価された。『夏の時間』は、深津篤史さんが亡くなられて10年を機に再演した作品です。4年前の上演では、コロナ禍が始まった時期と重なってしまい、急遽配信でしかご覧頂く事が出来ない状況となりました。 改めて深津さんの作品と観客の皆様が劇場で出会う機会を作ることが叶い、さらにコロナ禍からの復興を礎とした賞をいただけたことに、深い感慨を抱いております。 万博設計は、これからも名誉ある賞に恥じぬ作品づくりに励んでまいります。
(万博設計/橋本匡市) -
兵庫県立ピッコロ劇団『宇宙に缶詰』
尼崎市第8回「近松賞」を受賞した肥田知浩戯曲。遠い宇宙に送られた、缶詰のような小さな探査機。そこには、ある男の脳のデータが記録されていた。すでに役目を終え、データは自動消去されるはずだったが、何故か今も脳のコピーが孤独に、宇宙空間を漂っている。彼が地球で過ごした日々の記憶が蘇り、舞台上で繰り広げられる。18人の俳優達が、牛乳ケースやちゃぶ台などを瞬時に並び変え、祭り風景や商店街の餅食い競争、レンジャーごっこなどを、豊かな身体表現でダイナミックに展開する。まさに演劇でしか表現できない世界。その想像力を刺激する作品を、ピッコロ劇団員達の個性的な演技と見事なアンサンブルで立ち上げ、そしてサリng ROCKがキレのいい演出でまとめあげた、総合力の高さが評価された。
兵庫県立ピッコロ劇団『宇宙に缶詰』
永田靖
これは肥田知浩さんの作品で、2023年に尼崎市第8回「近松賞」を受賞されたものである。期待に違わず、とても知的で魅力的な作品であった。遠い宇宙に送られている探査機、それはまるで缶詰のように小さい世界だが、そこにはある男が地球で過ごした日々の記憶が記録されていた。そのデータは役目を終えれば、データは自動消去されるはずであったが、何故か今もその脳のコピーが孤独に宇宙空間を漂っている。
この巨大で果てしのない宇宙にさまよう寄る辺のない記憶のデータ、それはまるでこの大宇宙の摂理からはじき出された「孤独」そのもののようだ。しかしそのデータの中には、彼が地球で過ごした日々、町の祭りや商店街の餅食い競争、レンジャーごっこなど、誰でも経験したような遠い過去の記憶が舞台上に次々に蘇って行く。まるで大宇宙の「孤独」そのものと見えたひとりの人間の記憶は、数え切れないほどの人々の営みで満たされている。
舞台上では18人の俳優達が、牛乳ケースやちゃぶ台などをすばやく並べ変えながら空間を作り、身体性豊かな演技のダイナミズムとアンサンブルでそんな過去の記憶を今に呼び戻してくれた。舞台美術も秀逸で、探査機の中の空間、宇宙の惑星、そして脳の中とがまるで相似形でもあるように、重層的に見せてくれた。
人間と宇宙という一見捉えどころのない、またそれだけにとりとめもない関係が、実は人間の記憶によって重層的に示されていく、これは極めて演劇的な作品である。このような演劇本来の形をまるで両手で触れるような具象性で描き出したサリng ROCKさんの演出力の賜物でもある。
ピッコロ劇団も創設30周年。西洋古典から日本の新劇、そして現代劇までと、幅広く上演し続け、関西にはなくてはならない演劇の拠点になっていることを印象づける上演でもあった。今年度は兵庫県立ピッコロ劇団設立30周年で、「地元に密着した劇団」を一つのテーマに掲げてまいりました。地元・尼崎市の戯曲賞「近松賞」受賞作を、地元のピッコロ劇団が舞台化した作品が、このような栄えある賞に選ばれましたこと、大変嬉しく思っております。ありがとうございました。作者の肥田知浩さん、演出のサリngROCKさんには、独創的な舞台を創り上げていただき、劇団にとっても新たな可能性が広がりました。あらためて感謝申し上げます。
(兵庫県立尼崎青少年創造劇場 館長/林隆之) -
ブルーエゴナク『たしかめようのない』
穴迫信一作・演出。THEATRE E9 KYOTOのアソシエイト・アーティストとして3年間活動、その最終年度に創られた作品。現代社会の特徴の一つを、SNSの影響で現実とフィクションとが同次元にある点であると捉え、人によって見えている現実が違う中で、どのように人は人と連帯できるのか、という問いかけをした。
「暴力がない日常」と、「暴力がある日常」が不条理につながる様子を、俳優があくまで「日常的な出来事」として表現することを通して、「現実」の不確かさ、曖昧さを、確かな手触りで立ち上げた点が評価された。ブルーエゴナク『たしかめようのない』
岡田蕗子
本作は穴迫信一が、京都の小劇場、THEATRE E9 KYOTOのアソシエイト・アーティストとして3年間活動し、その最終年度に創られた作品である。穴迫が主催をつとめるブルーエゴナクは九州と京都を拠点にし、穴迫は北九州在住だが俳優は関西や関東にもいるという地域の枠を越えた構成。彼らの劇団のあり方は、隣人よりも趣味嗜好をよく知るSNS上の知人が居ることも珍しくない現在の超域性を反映するかのようだ。
上演も「現実」を主題にしている。物語は、過去の事情により家の外に出られない文子を軸に展開する。文子はある時、元恋人の戸田が突如暴力を振るわれ被害者となった可能性を電話で知り、幼なじみの佐伯に電話をしたり、通りすがりの牧瀬を巻き込んだりしながら、戸田の困難に対処しようとする。しかし、インターネットや電話でしか世界とつながれない状況では現実とフィクションが同次元に置かれ、文子から見える現実はどんどん変容していく。その変容は、現実社会でよく生じるSNS上の混乱を想起させる。
物語の終盤には、文子が家の外に出て海辺の街へ行き食事をとるという展開があるのだが、これが心に残った。電話やSNSで間接的に世界と繋がるしかなかった文子が、食べ物を体内に入れるという直接的な行為でつながる結末は、何と連帯して生きればよいのか、という上演が持つ問いのひとつの答えのようにも感じられる。
このように、戯曲自体も巧みに構成されているが、今回最も印象に残ったのは、「人の存在感」という、輪郭を持たない何かが上演の中で感じられた点であった。それは、ブルーエゴナクの作品に出演を重ねてきた俳優たちのある種の個性のようなもので、声の抑揚、間の取り方、表情の向け方、といった細かなニュアンスが戯曲の中に書き込まれない行間を埋めていく。
本上演では、行間を埋める演技、社会を巧みになぞる戯曲、それらをまとめる演出が絶妙にかみ合いながら、現実の気配や存在感を立ち上げることに成功していた。それは劇団での創作だからなしえたことかもしれない。様々な生活拠点にて活動している私たちにとって「関西」と名の付く演劇賞をいただけたことが大変光栄です。
交流会では活動のサポートとなるご助言も沢山いただき本当に嬉しかったです。
今後も関西圏での創作・上演を計画したいと思っています。ありがとうございました!
(ブルーエゴナク/穴迫信一)
ネクストドア賞の評価理由
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小沢佑太(CLOUD9代表)
東日本大震災のその後を、綿密な取材をもとに舞台化した「もういいよ」と、コロナ禍での若者達の葛藤と孤独を描いた「ただいまのあと」の作・演出、および旺盛な演劇活動が評価された。小沢が2024年に行った演劇活動は、自身の劇団での新作2公演のほか、コトリ会議の制作をはじめ、4つの劇団の公演において舞台監督や制作担当、そして大阪学生演劇祭2024の事務局、インディペンデントシアター1stと2ndでの劇場管理スタッフ、観劇した芝居の数は年間80本、さらには舞台芸術プロデュース講座の受講など、多岐にわたる創作現場で研鑽を積み、ネットワークも広げた。それらを、学校の先生をされながら並行して行われたということで、この意欲と実行力には驚嘆させられる。今後は創作活動と合わせて、演劇プロデューサーとして、関西演劇の環境づくりにも邁進して行く。関西ニューウェーブの旗手の一人として、大いなる活躍に期待する。
小沢佑太(CLOUD9代表)
九鬼葉子
今回から始まったネクストドア賞。新しい時代の扉を開くと期待される、関西の若手演劇アーティストを顕彰するものである。選考基準はあまり限定せず、幅広く考えていきたいが、賞の立ち位置は、「選考経過」に記載している通りだ。関西には学生演劇祭が充実している。卒業後に励みになる場として、ウイングフィールド主催のWING CUPがある。だが、その次の世代の目指すものが少ない。この賞は、おおむね20代半ばから30歳(少し過ぎる人も含め)までの間の劇作家・演出家・俳優・スタッフを対象としている。特に今は関西ニューウェーブが盛り上がりを見せている時期。創作活動に加え、関西演劇界全体を盛り上げていく意欲の強い人が待望される。
そこで注目されるのが、小沢佑太である。
受賞理由は、まず創作活動である。2024年には2本の新作を作・演出した。しかも同時代の最も大きなテーマの二つにチャレンジされた。東日本大震災のその後を、綿密な取材をもとに舞台化した『もういいよ』。建物復興が進む中、心の復興が伴わない現実を活写。また、他地域から被災地を訪れた若者達の、日常的な悩みも合わせて描き、被災者の若者との交流を通して、若い世代同士が距離を縮め、理解しあう過程を、生き生きと描き出した。そして、コロナ禍での若者達の葛藤と孤独を描いた『ただいまのあと』。コロナ禍で中止が続いた高校の同窓会が、久しぶりに開催されたという設定で、帰郷した3人が夜の神社の参道で交わす会話が綴られる。CLOUD9はスタッフ集団であり、まず舞台設営に力がこもっていた。会場の中央を参道が貫き、そこが舞台となり、両側に屋台のテントを設営。その下が客席という、凝ったしつらえ。参道の端に大きな鳥居もある。3人の会話の間に、各人物の一人芝居が挿入される。3人のうち、二人はすでに死者であることが次第に焙り出される。うち、一人は自死である。小沢は、今は器用な作家ではない(あくまで、今は)。大学では演劇を学んでいない(京都教育大学で数学教育を専攻)。演劇を本格的に始めてからの日も浅い。恐らくベテラン作家がご覧になると、細部において技術的に伸びしろが多いと思われるだろう。ただ、彼の課題はすぐに解決がつく。それ以上に、彼の心奥にある、強いモチベーションが、何にも勝る。死にゆく人の気持ちは、私達には、本当にはわからない。ただ、極めて深いところまで、彼は寄り添って書いている。
次の受賞理由は、旺盛な演劇活動である。2024年に行った演劇活動は、前述の通りである。多岐にわたる創作現場で研鑽を積み、ネットワークも広げた。今後は創作活動と合わせて、演劇プロデューサーとして、関西演劇の環境づくり(彼自身は「懸け橋」という言葉を使っている)にも邁進して行く。関西ニューウェーブの旗手の一人として、彼の未来を期待し、祝福したい。コロナ禍というアウェイなタイミングで産声をあげた演劇人です。にも関わらず、3年弱の間におこなった合計9回の公演すべてを完遂することができました。そして直近2つの本公演『もういいよ』『ただいまのあと』において、このような素敵な賞をいただくことが叶いました。感無量。感謝の思いでいっぱいです。ネクストドア賞の初代受賞者として、これからも「ネクストドア」を開き続ける演劇人で在りたいと思います。ありがとうございます。
(CLOUD9/小沢佑太)
副賞
1劇場を選び、上演支援を1回受ける ことができます。3年以内有効。
ウイングフィールド (大阪市) |
1日55,000円 機材費無償 |
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一心寺シアター倶楽 (大阪市) |
劇場費80パーセント(管理人件費55,000円実費) 及び稽古場の提供協力 |
THEATRE E9 KYOTO (京都市) |
利用料6日間250,000円 管理人件費・機材費無償 (電気代は実費) |
江原河畔劇場 (兵庫県豊岡市) |
劇場費・機材費・電気代無償 |
ウイングフィールド (大阪市) |
1日55,000円 機材費無償 |
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一心寺シアター倶楽 (大阪市) |
劇場費50パーセント(管理人件費55,000円実費) 及び稽古場の提供協力 |
THEATRE E9 KYOTO (京都市) |
利用料5日間150,000円 管理人件費・機材費無償(電気代は実費) |
江原河畔劇場 (兵庫県豊岡市) |
劇場費・機材費・電気代無償 |
ウイングフィールド (大阪市) |
劇場費無償(人件費・電気代含む) 機材費のみ有償 |
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一心寺シアター倶楽 (大阪市) |
劇場費無償(管理人件費55,000円実費) 及び稽古場の提供協力 |
THEATRE E9 KYOTO (京都市) |
劇場費・管理人件費・機材費無償(電気代は実費) |
江原河畔劇場 (兵庫県豊岡市) |
劇場費・機材費・電気代無償 |
30,000円(財団法人一心寺文化事業財団提供) |