
- <優秀作品賞>
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- 極東退屈道場「クロスロード」
- 劇団タルオルム「さいはての鳥たち」
- 劇団未来「パレードを待ちながら」
- 神戸アートビレッジセンタープロデュース公演 手話裁判劇「テロ」
- サファリ・P 「透き間」
- 空の驛舎「コクゴのジカン」
- ニットキャップシアター「チェーホフも鳥の名前」
- BOH to Z Produce 「続・背くらべ ~ 親ガチャ編」
- MONO「悪いのは私じゃない」
- ルドルフ「ヒロインの仕事」
- <最優秀作品賞>
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- MONO「悪いのは私じゃない」
- 神戸アートビレッジセンタープロデュース公演 手話裁判劇「テロ」
- <観客投票ベストワン賞>
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- 神戸アートビレッジセンタープロデュース公演 手話裁判劇「テロ」
第一回 関西えんげき大賞選考経過
九鬼葉子
―2022年12月25日、大阪市天王寺区の一心寺研修会館にて選考委員会開催ー
選考委員会に先立ち、事前に選考委員8名が、2022年の1年間に鑑賞した関西演劇の中から10作品を優秀作品賞として推薦。1年間で10作に絞り込むというところから、各委員が悩み抜いたが、全員からの推薦作総数は、43作品となった。その全リストを見ながら選考会がスタートした。
選考委員全員が観ている作品、一人しか見ていなかった作品が、正直に言って、あった。だが賞の選考において、多数決は最後の最後の手段である。簡単に数字で決着を付けてよいものではない。できる限り、話し合うことを優先した。まず全作について、推薦者から推薦の言葉を述べる。たとえ、推薦者が一人だけだったとしても、すぐに落とすことはしない。推薦者の言葉を聞いて、質疑応答を繰り返す。所見に納得したら、他の委員から、これまでのその劇団の活動を勘案して応援演説をしてもいいことにした。
論議を経て、各作品の成果が詳らかになっていく。注目作が自然に浮上してくる。終盤、10数作品が際立ってきた。そこで司会の九鬼から「一度、投票をお願いします。これで授賞が決まるものではなく、あくまで参考として、経過を見たいものです。授賞にふさわしいと思う作品5作を選んで手を挙げてください」と求めたところ、10作品が際立った。もっと混戦することも予想したが、はっきりと10作品が、他の作品より頭角を現した。
全員が納得した。それが優秀作品賞の10作である。
なお、選考委員の事前の推薦作は以下の通り。(五十音順)
アートひかり「宮沢賢治作品集」から EDLP(エブリディ・ロープライス)「ツェねずみ」、iaku「あつい胸さわぎ」、E9アートカレッジ第2期公演「ちょっとお前、おもてに出ろ!」、壱劇屋「code:cure」、壱劇屋「supermarket!!!」
エイチエムピー・シアターカンパニー「堀川、波のつづみ」、オリゴ党「シンドバッドの渚」、空晴「ここにあるはずの、」、キノG企画「モナ美」、極東退屈道場「クロスロード」、くじら企画「サラサーテの盤」、KUTO-10「三大劇作家、逮捕される!」、紅壱子・南条好輝ふたり会「夜の取調室」、劇団タルオルム「さいはての鳥たち」、劇団未来「パレードを待ちながら」、神戸アートビレッジセンタープロデュース公演 手話裁判劇「テロ」、虚空旅団「フローレンスの庭」、
コズミック・シアター「ザ・空気 ver.3」、コトリ会議「みはるかす、くもへい線の」、サファリ・P「透き間」、サマラ・ハーシュ「わたしたちのからだが知っていること」、下鴨車窓「漂着(kitchen)」、スペースノットブランク「再生数」、
slatstick 「Love in Smoke」、清流劇場「くたばれヒッポリュトス」、空の驛舎「コクゴのジカン」、空の驛舎「花を摘む人」、玉造小劇店 わ芝居〜其の弍「サヨウナラバ」、淡水「(sound)scape」、努力クラブ「誰かが想うよりも私は」、ニットキャップシアター「チェーホフも鳥の名前」、兵庫県立芸術文化センタープロデュース 朗読劇「アネト」、兵庫県立ピッコロ劇団「飛んで孫悟空」、Platz市民演劇プロジェクト「新・豊岡かよっ!」、BOH to Z Produce 「続・背くらべ ~ 親ガチャ編」、槇なおこ×万博設計 槇なおこSolo-Drama「きゃんみりオん」、南河内万歳一座「改訂版 二十世紀の退屈男」、南河内万歳一座「漂流記」、MONO「悪いのは私じゃない」、ももちの世界「あと9秒で」、ヨーロッパ企画「あんなに優しかったゴーレム」、ルドルフ「ヒロインの仕事」、和太鼓GIG 蒼い刻 完結編「継ぐ者」
優秀作品賞10作の評価理由
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極東退屈道場『クロスロード』
大阪市の江之子島で、3年間に渡って上演した、大阪を俯瞰し、都市のありようを表現した作品の集大成ともいえる舞台。能楽堂で上演し「道行(みちゆき)」という表現をモチーフにして、そこに「難民」という現代の問題を取り入れた、時代への批評性の高さが評価された。
極東退屈道場『クロスロード』
畑律江
現代演劇だが、大阪市にある山本能楽堂を上演の場に選んだ。林慎一郎作・演出。
物語は岬の電話ボックスから始まる。ある男が電話をかけに来るが、いつしか眠り込んでしまう。目覚めると眼前に仙人のような男がいて、仙人の記憶の中の風景が再生されていく。登場するのは赤いリュックを背負った少女ハルカ。ハルカは旅の途上で、アレハンドロという男に出会う。それは若い日の仙人の姿だ。
言葉は次々に別の言葉を喚起し、重層的なイメージを生む。岬は実は生駒山上で、そこから望めるのは水没した都市。電話ボックスは、震災などで亡くなった人に思いを伝えるために設置された岩手の「風の電話」のよう。ハルカは空襲を逃れ、大阪から奈良に疎開する少女だ。対するアレハンドロの故郷は、かつてメキシコで栄えた「アステカ」で、突然連行されてしまう彼は、現代の難民の姿にも重なる。「アステカ」の音が、奈良の「アスカ」に似ているのも面白い。アステカの戦士の覆面をつけた俳優たちの演技には、そこはかとないユーモアも漂う。
能になぞらえるなら、登場人物の旅は「道行」、仙人は「シテ(主役)」、電話する男は「ワキ(相手役)」か。作者はこれまでに能と現代演劇がコラボレーションする舞台を能楽堂で6作発表したが、橋掛かりなどの空間を生かす演出は、この過程で磨かれた。
一方で、林が共に作品作りに取り組んだことのある維新派(2017年解散)主宰、故・松本雄吉のマインドが、形を変えて受け継がれていることにも気付く。維新派は「漂流」や「移民」を度々テーマに取り上げたが、この作品は、故郷を出た人々が行き交い、文化、思想、宗教が交わるクロスロード(十字路)こそが都市なのだ、と提示する。
都市生活者のありようを、饒舌なまでの情報で点描する舞台。知性とユーモア、古典や歴史への目線と現代的な批評性が共存する極東退屈道場の「都市論」は、刺激的で、新作ごとにその強度が増している。「水に沈んだ大阪の街を、生駒の山の上から眺める内容の作品です。ずっと大阪という街への眼差しにこだわって作ってきました。栄えある賞をいただきまして光栄です。次回作も大阪湾に浮かぶ夢の島を描きます。6月に予定していますので、ご注目頂けますと嬉しいです。」
(極東退屈道場/林慎一郎) -
劇団タルオルム『さいはての鳥たち』
1948年の済州島4・3事件を背景に、島から脱出し、大阪に辿り着いた幼い姉妹の半生を描いた作品。苦難の歴史を描きながらも、生き生きとした演技・演出で、大阪の地から、故郷で亡くなった両親や先祖に向かって「私達は生きている。子孫も生きている」と呼び掛けるような、躍動感のある舞台が評価された。
劇団タルオルム『さいはての鳥たち』
九鬼葉子
魂を込めて生きる希望を謳う。マダン劇の精神が伝わる舞台。マダン(広場)で観客とともに笑い、泣き、怒り、生きる。時に死者とも対話する。劇団タルオルム『さいはての鳥たち』は、済州島4.3事件を背景にした新作だ。1948年、朝鮮半島分断に反対する済州島の島民達が、選挙を蜂起。軍や警察に島民約3万人が虐殺された事件。原作は金蒼生の小説『風の声』。脚色・演出の金民樹は大阪生まれだが、故郷は済州島である。これは彼女にとっての祖父祖母達の物語だ。
主人公は、母に密航船に乗せられ、済州島から命からがら大阪に辿り着いた幼い双子の姉妹、雪芽(ソラ)と冬芽(トンア)。両親は島に残り、消息は不明。二人は大阪で生き抜く。物語は50年後、雪芽が済州島に帰る決意を固めたところから始まる。冬芽は、病床の夫・希東(フィドン)の介護があり、帰郷できない。姉妹は最後の夜を語り明かし、二人の半生が辿られる。
主な登場人物の幼少期・青年期・熟年期を、日本と在日コリアンの俳優、7歳から70代が演じた。密航者であることを隠して暮らす苦難。そして雪芽が済州島に帰郷後、再会した幼馴染から聞いた、事件の悲惨さ。焼き払われた島を再興するための、島民達の壮絶な日々。
歴史上の大きな悲劇を描くが、舞台は生命力と躍動感に満ちていた。青年期の希東が語り部を務める。明るい青年の、時にユーモラスな語り口。子供達の遊ぶ姿は、元気いっぱい。物静かに耐え忍ぶ雪芽とは対称的に、勝気な冬芽の快活な言動。家族団欒の場面を、暖かい色の照明が優しく包み込む。
姉妹を常に暖かく支えてきた、済州島出身の母の親友・時春(シチュン)。そして雪芽の勤め先の寮母。寮母は日本人だが、かつて大阪大空襲の時、時春の夫に命を救われていた。姉妹への慈しみは、恩返しだったことが最後にわかる。復讐の連鎖は戦争を生むが、恩返しの連鎖は平和を実現させる。
白い羽が舞い落ちる中、雪芽(姜河那)が躍るラストシーンの美しさ。事件の犠牲者への鎮魂の劇。済州島出身者が日本で最も多く住むと言われる大阪。「私達は生きている。子孫も生きている」と、生き残った人々が、亡くなった方々の魂に、力強く呼びかけているように思えた。「私は在日コリアン3世で、大阪で生まれ育ちました。祖父母の故郷は韓国です。その済州島で起きた史実を基に描いた作品です。7歳から70歳代の役者たちで創りました。こういった賞を私が生まれ育った日本で、日本の役者・スタッフたちと受賞できたことを、とても嬉しく思っています。」
(劇団タルオルム/金民樹) -
劇団未来『パレードを待ちながら』
第二次世界大戦下のカナダを舞台に、銃後を守る女性達の姿を描いた作品。当時の庶民の生活感情を入念に調べ、生き生きと演じ、作品の本質を伝えることに成功した。戦時中でも歌い、踊り、若い兵士とダンスをする主婦達。出征する若者達に人生の歓びを教え、生きて帰ることを誓わせるためだった。辛さを乗り越えるための挑むような陽気さを描写し、平和への祈りを込めた舞台が評価された。
劇団未来『パレードを待ちながら』
広瀬依子
仕事を始めた1980年代の後半、「自立劇団」「業余劇団」という言葉を時々耳にした。団員たちが仕事に就きながら活動している劇団のことである。初めて知った言葉だった。アマチュアと聞くと本業の合間を縫って活動するイメージがあるが、「自立劇団」「業余劇団」は仕事と演劇は表裏一体という姿勢が感じられ、納得したのを覚えている。詳細は、当サイトの「アーティスト・インタビュー」で劇団未来のしまよしみち氏が語っていらっしゃるので、ぜひお読みいただきたい(聞き手は関西えんげき大賞呼びかけ人代表・九鬼葉子氏)。
その「自立劇団」「業余劇団」は現在では聞くことが少なくなったが、健在である。劇団未来はその代表的存在と言える。創立60年を超える歴史を持ち、自らの稽古場兼劇場を構え、コンスタントに公演を開催してきた。オリジナル、アレンジ、既成のものなど、上演作の幅も広い。
そんな未来が2022年11月に上演したのが本作である。作はジョン・マレル、演出は同劇団の、しまよしみち。舞台は第二次世界大戦末期のカナダ・カルガリーだ。長引く戦争下で、銃後の生活を強いられている女性5人による物語である。彼女たちは戸惑い、迷い、悲しみ、また時には喜びを感じながら、日々を過ごす。仲間内での衝突もあるが、それも生きているからこそ起こるのである。
近年、劇団未来の女優陣は充実している。今回も肉戸恵美、池田佳菜子、三原和枝、前田都貴子、北条あすか/三上華奈(ダブルキャスト)がそれぞれの役柄を明確に造型した。たとえば、男性に傍にいてほしいキャサリン(肉戸)、堅苦しく厳しいジャネット(池田)などである。女性たちの個性が浮かび上がることで観客は混乱せず、感情移入もしやすい。また、劇中では歌、ピアノ演奏、ダンス等が披露される。これまでに未来が演じてきたのは、ほとんどがセリフ劇である。相当な稽古を重ねたのであろう、違和感はなかった。内容はもちろんのこと、劇団の熱量と矜持が見えた、優秀作品賞にふさわしい公演であった。「劇団未来は、昨年創立60周年を迎えました。大阪に根差したお芝居を作ることを主な目的に、公演を続けてきました。今回の受賞作はカナダの脚本です。カナダのことを何も知らないところから始めて舞台化するのは、なかなか大変でしたが、なんとかやり遂げることが出来て、このような栄えある賞を頂けたのは、これまで60年間、劇団に携わっていただいたすべての方のおかげだと思っています。」
(劇団未来/しまよしみち) -
神戸アートビレッジセンタープロデュース公演 手話裁判劇『テロ』
オーディションで選出されたろう者、聴者、視覚障害者が出演。手話や口語など、様々な言語を使用した表現の多様性。様々な出会いを包み込むような演劇。観客にとっても情報保障が行き届いた舞台は、世界に影響を与える芸術に発展する可能性をはらんでおり、チャレンジ精神と情熱、社会的意義が評価された。
神戸アートビレッジセンタープロデュース公演 手話裁判劇『テロ』
- 最優秀作品賞
- 観客投票ベストワン賞
上念省三
シーラッハの原作自体が、観客に陪審員として劇に没入することを求め、「有罪」「無罪」という二つの結末が用意されているという点で話題を呼ぶ作品だった上に、演出のピンク地底人3号がろう者・難聴者・聴者・視覚障がい者・晴眼者、演劇経験も様々な出演者を集めたことで、大きな話題となって上演前に多くのメディアに取り上げられ、上演後にも複数のメディアに劇評が掲載されるという、近年の演劇作品としては多くの言葉が寄せられる稀有な作品となった。また本賞の対象となったことで、その成果が正当に評価されたことは、誠に喜ばしい。
これらの話題性は、観劇に際して、また観劇後の印象をまとめる上で、ノイズともなりかねなかった。法廷劇であり、テロの時代を確然と描いたことで導き入れられた政治性(邦訳には、著者によるシャルリー・エブド襲撃事件に言及したスピーチが掲載されている)、いわゆる障がいのある人たちに出演を求めたことによって開かれた社会性について、芸術性の観点から過剰であると思う人がいても不思議ではない。
にもかかわらず、多くの評者や観客がこの作品を推したのは、舞台芸術作品として、その多重性がシンプルに「面白かった」からだと言っていいだろう。音声言語、手話言語、字幕による文字言語が複層し、音声言語を語る俳優と手話言語を語る俳優が二重化するこの舞台に、観る者は翻弄され、眩惑され、陶酔した。その根拠は、戯曲には指示されていないしぐさだったり、視覚障がい者である関場理生の透明な存在感だったりしたわけで、要は、演劇的喜びがここには満ちていたということだ。
そして観客にとって、この観劇体験、つまり投票という行為によって被告の罪状を決定してしまうという重みは、長く続くことになったはずだ。演劇が舞台や劇場を超えて、現実を揺るがすということを示してくれた作品、観劇体験として、長く観客の心にも、劇場の歴史にとっても、残るものとなるだろう。「最優秀作品賞までいただけて夢の中をフワフワしている気持ちです。ウォーリー木下さんに舞台芸術プログラムディレクターをしていただいた3年間の集大成としての公演でした。演劇にとっての見る聞く話すという当たり前のコミュニケーションが断ち切られた時、どういう新たなコミュニケーションが成り立つかという問いかけに、真正面から挑戦した作品です。今回の受賞は大変意味あることだと喜んでいます。」
(公益財団法人 神戸市民文化振興財団/服部孝司) -
サファリ・P『透き間』
アルバニアのカダレの小説をベースに、優れた身体性と空間造形、そして言葉によって、生の営みをイメージ豊かに展開。血の掟に縛られた、乾いた土地の劇世界へといざない、争いの連鎖という、現代につながる主題を見事に舞台化した点が評価された。
サファリ・P『透き間』
岡田蕗子
2022年3月に上演された本作を観た時、そのひと月前に始まったウクライナへのロシアの攻撃を巡る様々な事象を思い起こさずにはいられなかった。直接的に今の政治や社会を連想させる表現は無かったはずだが、劇の表現を現在の社会へ繋げることができる余白が、作中にあった。
本作はアルバニアのイスマイル・カダレの小説『砕かれた四月』を下書きにしたサファリ・Pのオリジナル作品である。カダレの小説は、血族が殺されたら一族の男が殺人者を殺さなければならないという掟、「血の確執(ジャクマリャ)」を巡る話だが、その世界を引き受けつつ、劇作家山口茜の視点で描きなおした。劇の大筋は、新婚旅行で来訪した「妻」が、人を殺して復讐の連鎖の中を「歩く人」に出会い、復讐の連鎖を止めようとするが、更なる複数の出会いを経て掟を許容する側に回るというもの。掟の遂行者の視点が多く入っていた小説とは異なり、舞台では掟の外部者である「妻」の目線で展開する。その目線は妻同様に掟から距離を持って客席に居た私の目線と重なり合った。
復讐の連鎖は人の営みの中で繰り返されてきている普遍性を持つ課題だが、本作ではそれを、言葉に比重を置きすぎずに音や光、舞台装置や身振りなどの複数の要素の組み合わせで立ち上げた。時折台詞が入ることで最低限の情報は得られるのだが、それ以外の諸要素は非言語的であるため、私は自分の感覚の中でそれらを言語化し、理解することになった。それゆえ、私は時事的に捉えたが、他の人はそう捉えなかったかもしれない。観客が受け取る物語が異なる可能性を残しつつ、復讐の連鎖という困難な課題に本作は臨んでいた。
何かの正しさを客席に突きつけないことは、折り合いが見えない戦争の衝撃を引きずりながら過ぎていった2022年に必要とされた柔軟さではなかっただろうか。劇団が向き合った重たい課題の時事性に加えて作中に観客が能動的に考えを付け加えることのできる余白があったこと、そこに、本作が今年受賞するにふさわしいと思った理由のひとつがある。「この作品は、アルバニアの小説『砕かれた四月』をベースに脚本化されました。上演にあたって研究会や試演会などを数年間にわたって開催してきた結果、出来上がったもので、今後も公演を続けていく予定です。この受賞を励みにさらに精進していきたいと思います。」
(サファリ・P/芦谷康介) -
空の驛舎『コクゴのジカン』
パンデミックが一応終わったとされる、今から数年後の、とある百貨店の従業員休憩室を舞台に、人と人のかかわり方の可能性を、「コトバ」と「ジカン」の観点から粘り強く考えた作品。真摯なテーマを、ユーモアを湛えながらテンポのよい対話劇として成功させた点、そして兵庫県伊丹市のアイホールの空間を生かした舞台美術と演出・演技が評価された。
空の驛舎『コクゴのジカン』
畑律江
新型コロナウイルスの感染が一応の収束をみた後、人は他者との関係をどう再構築していけばいいのか。「コクゴのジカン」は近未来を舞台に、「言葉」と「時間」の両面から、この切実なテーマに向き合った作品だ。
舞台は老舗百貨店「MITUYOSHI」。パンデミックを何とか乗り切ったものの経営に行き詰まり、3年先の閉店が決まった。この店の従業員休憩室を、警備員、清掃員、販売員、役員らが出入りする。
警備員には、特別支援学級にいた小学生時代、大好きな先生がいた。だが彼女は東北に引っ越した後に震災に遭い、もうこの世にはいない。先生に言葉を伝えたい。そう願う彼の眼前に、先生が現れる。同様に、前の職場でいじめにあっていた清掃員の前には、心の支えだった憧れの女優が現れる――。
皆がそれぞれに生きづらさを抱え、言葉を伝えたかったのに見失ってしまった大切な人への思いを胸に秘めている。休憩室には、名前のない「女」が一人いて、各人の前で、その大切な人に姿を変えて現れる。ごくありふれた部屋が、不思議な色彩を帯びていく。
「絆」「誠実」――。美しい言葉が世界を行き交うが、その中身はあやふやで、どこかゲームじみている。だが、この部屋で展開する対話は真摯で、そこに流れる時間は豊かだ。作・演出の中村ケンシは、社会の中の「アジール(避難所)」を描こうとしてきた作家だ。人々のかけがえのない思いを溶かし、やがて消えてゆく休憩室は、アジールの一つの形なのかも知れず、「女」は実体化した言葉そのものなのかもしれない、と思わせる。
斜めの角度から休憩室をのぞくような舞台美術に工夫がある。俳優陣は、不器用でも、日常を懸命に生きる人々の姿を丁寧に演じた。言葉が実体を伴って立ち現れて初めて、世界はゆっくりと時を刻み始める。これは演劇ならではの表現で、パンデミック後の一つの「希望」を掲げた物語なのだ。「作品の座組そのものにいただける賞ということで、喜びもひとしおです。ずっとコロナのことを描いています。『コクゴのジカン』という作品では、アジール、避難所という意味の言葉ですが、時間と空間の中に人々の逃げ込める場所があるのではないかと、それを見つけようと思って作りました。まだ辿り着けていなくて、頑張って作り続けようと思っていましたので、賞を頂いて、これからの活動に大変勇気をいただきました。」
(空の驛舎/中村ケンシ) -
ニットキャップシアター『チェーホフも鳥の名前』
サハリンを舞台に、日本人、朝鮮人、ロシア人の3つの家族の、ほぼ100年3世代に渡る年代記的な物語を描いた大作。人種や国と個人の関係、戦争との関係を捉えた、現代につながる主題を、明晰に描き出し、俳優が3世代の人々を演じ分けた力演が評価された。2019年初演の作品をさらに練り上げ、ウクライナとロシアの間で戦争が起きている今、再演された意味はとても大きい。
ニットキャップシアター『チェーホフも鳥の名前』
岡田蕗子
サハリンは北海道の宗谷岬の北に位置し、古くから多民族が暮らしてきた島であり、19世紀末はロシア領、日露戦争後には日本領、太平洋戦争後にはソ連領と、日露の国家間の思惑の中で目まぐるしく支配国が変わってきた歴史を持つ。
本作はその歴史の中で生きた人々の姿を100年にわたり追った年代記で、軸になっているのは19世紀末にサハリンで創られた三家族である。そしてその家族は、ロシア人のナターシャと日本人の塩川の家族、ギリャーク人ウォッカとロシア人エゴールの家族、そして朝鮮人移住者のイ・ヨンとチャングムの家族というように、島の多様性を反映するかのような多民族的な構成となっており、その人々の日常を追う事で、サハリンの歴史が浮き上がっていく。
重く複雑な題材ではあるが、劇には音楽や歌が寄り添い抒情性を増すし、劇作家のチェーホフの登場や『三人姉妹』からの台詞の引用は作品を文学的解釈で捉える可能性も増す。それらは歴史に文化の覆いをかけて物語を柔らかな表現で包み込むのだが、その中には人が人として日常を営むことを阻害するものへの批評的な眼差しが確かにある。それゆえに、サハリンを巡る歴史は私に他の様々な事象を連想させた。例えば、国の動きに翻弄される劇中の人々の姿は在日コリアンの歴史を思い出させたし、派生して入管問題のことを考えるきっかけにもなった。そして、2022年12月に賞を選ぶ段階ではロシアによるウクライナの攻撃を思い出しながらまた異なる感覚でこの作品を思い出した。
サハリンの歴史に焦点を当てた作品は数少なく、その希少な例として本作は意義があるが、それと同時にその表現が日本に暮らす人々の多様性を可視化し、国と人の関係性の在り方に意識を向けさせるきっかけとなっていた点で重要であると思った。「私たちは23年間、京都を拠点に活動しています。本作は脚本を書く段階から、多くの方にお手伝いをいただきました。劇中に出てくるいろんな言葉について助けて頂きました。読むだけで三時間半を超える大作です。今回、再演の機会を下さった伊丹市のアイホールにも御礼を申し上げたいと思います。」
(ニットキャップシアター/ごまのはえ) -
BOH to Z Produce『続・背くらべ~親ガチャ編』
岩崎正裕作・演出の「背くらべ」(2003年初演)の続編。初演で、演劇を志す青年・カズヒロを演じた中川浩三が、その19年後を演じ、熱演が評価された。離婚した元・妻の育てた娘と久しぶりに再会し、戸惑うカズヒロ。父への反発心をあらわにする大学生の娘。父と娘の曰く言い難い関係を、演劇的な遊び心のある演出で、ユーモラスに、そして痛切に描き出した点が評価された。
BOH to Z Produce『続・背くらべ~親ガチャ編』
九鬼葉子
関西の誇る3人のベテラン演劇人、中川浩三(俳優)、岩崎正裕(劇作家・演出家)、岡本康子(プロデューサー)がタッグを組み、そこに才能溢れる若手俳優の趙沙良が自然体で飛び込み、中川と共演し、成功した珠玉の二人芝居。父娘を演じた二人はともに第25回関西現代演劇俳優賞を受賞している(中川が大賞、趙が奨励賞)。2003年に初演された岩崎正裕作・演出の「背くらべ」の続編にあたる、岩崎の新作。
小さな劇団の運営に奔走するカズヒロの稽古場を、離婚した妻の育てる娘が訪ねる。久しぶりに娘に会う照れくささや嬉しさが滲み出る父親を、中川が切実に、滑稽に演じた。ぶっきらぼうに振舞いながらも、会えない時間、娘のことを思い続けてきたことも、すぐに伝わる。一方、大学生になった娘は、反発心を顕わにする。幼い頃、両親の口喧嘩を、眠れないまま聞いていた娘は、父の稽古場にあった衣装を拝借し、若い頃の母を演じ始める。父は当時の自分を演じ、心が丸裸にされていく。その後父は、娘の描く漫画の魔王役を奔放に演じてやり返し、娘は応戦する。
解放された身体による、遊び心のある演技・演出は愉快だが、関係性は切ない。父を否定しつつ、父を求めている娘の複雑な胸中を趙が好演。娘は現実になじめず、異世界転生ものの漫画を描いている。背景には国籍の問題があった。母が在日韓国人で、子供の頃に目撃したヘイトスピーチが、心に深い影を落とす。家庭を顧みず、演劇に明け暮れた自分の生き方を、決して謝らなかったカズヒロも、娘の痛みを知り、一緒にいてやれなかったことを、初めて謝罪する。
中川自身の体験談をもとにした作品。芝居をする、という信念を曲げず、それが周囲に与えた影響。本人が一番承知している。
装置は二段ベッドだけ。最小限の装置で、家族関係を濃密に、痛切に描き出し、演技の神髄を堪能させた。「2007年に劇団を立ち上げて以来、初めての賞をいただきました。いったん終止符を打った作品ですが、時間が経過して当時の脚本では難しいということになって、岩崎正裕さんに続編を書いていただいて、この公演に漕ぎ着けました。ほんとうに役者をやっていて良かった。」
(BOH to Z Produce/中川浩三) -
MONO『悪いのは私じゃない』
小さな会社の会議室が舞台。最近退職した若い社員が、いじめに遭ったのではないかと、聞き取り調査をしていく過程で、社員達それぞれが抱く上司や社長への不満、秘密の恋愛模様まで浮上する。ハラスメント問題が吹き荒れる世相に、敏感に反応した誠実な作品であることと、ベテラン・若手俳優それぞれの演じる役のキャラクターが際立った点が評価された。
MONO『悪いのは私じゃない』
- 最優秀作品賞
梅山いつき
これは現代版『民衆の敵』だ。
物語の舞台は地方都市の小さい会社。社長のワンマン経営や社員旅行など古い体質を残す社内で、ある社員がいじめを理由に辞職する。急遽、調査室が発足し、社員に聞き取りをしていくが、脱線しがちなヒアリングではいじめの実態は一向に明らかにならず、挙句の果てに、いじめ自体存在せず、その社員が取引先との不正を隠すために、でっち上げた嘘だったことがわかる。その上、調査によって普段、口にはしない上司への不満や、社員同士の不倫など社員たちの裏の顔が次々と明るみになってしまう。最後、社員たちはそれぞれの隠し事を告白し、謝罪し合う。
こうしてお互い憎み合っているわけではないことが確認される。社内の閉鎖的な体質は、社員たちの悪意がつくり出しているものではなく、ここには一人も「悪い人」はいない。土田英生が描く登場人物たちは皆、にくめない。MONOの役者たちのコミカルな演技に好感を抱かない観客はいないだろう。それでもパワハラや同調圧力は存在し、その根本が謝罪によって改善されたとは言い難い。むしろ、様々な問題はうやむやにされ、宙に浮いてしまったとも言える。
「悪い人じゃない人々」が引き起こしてしまう、なんとも後味の悪い結末は強烈な社会風刺になっており、本作を現代版『民衆の敵』と思わせる理由でもある。イプセンの『民衆の敵』は、ノルウェーの小さな町を舞台に、町の財政を支える鉱泉をめぐって町の有力者たちと対立する1人の医師の信念を描いた作品である。医師は工場排水が浴場を汚染していることを発見し、それを告発しようとするが、温泉は町の財政を支える重要な資源であるため、町民は聞く耳をもたないどころか、医師を迫害する。命か経済か?という問いは、コロナ禍にあってわたしたちが直面した問題と重なり、目の前に差し迫った問題を解決することよりも、利益を優先してしまう人間心理には普遍的なものがある。
『悪いのは私じゃない』の社員たちも「わたし」という立場を超えて、「わたしたち」の問題として物事を捉えられない。会社が抱える問題に気づいていながら、それをつついて藪蛇になるよりも、そこそこうまくいっている現状を維持しようとする。もし、このままにしていたら、もっと最悪な事態になるかもしれないが、悪いことを指摘し、解決の糸口を探るより、「ごめんなさい」と謝ることで、互いに悪くないことを確認し合う平和的解決を選んでしまう。謝罪は彼らにとって「悪いのは私じゃない」と言って、責任逃れをしていることに等しいのかもしれない。
ここ数年、演劇界においてもパワハラ、セクハラ問題は無視できない存在になっている。ハラスメントが生まれてしまう背景にはどういった要因があり、集団のどのような体質が温床になってしまうのか。個人、劇団を超えて徐々に議論されるようになってきた今、本作の批評性には多くを考えさせられ、2022年を代表する一作として高く評価した。「今回の受賞を光栄に思います。京都を拠点に35年間活動しています。この作品は地方都市の小さな会社を舞台に、登場人物全員が『自らの行動には正当性がある』と思っている中、それぞれが自らの思い込みに気づいていく有様を描きました。まさに私たち自身の物語でもありました。ここ数年、演劇界でのハラスメント問題が次々と露わになっています。これからも常に自らを省みつつ進まなければなりません。この作品がそうした自分たちの姿を投影したものでした。」
(MONO/土田英生) -
ルドルフ 『ヒロインの仕事』
定時で終わる事務職をしながら、創作活動をするアマチュアの同人漫画家と、キャリア志向の強い会社員という、対照的な二人の女性を主軸に、生き方に迷う現代女性の姿を、生き生きと演じたことが評価された。誰の心にもまだ眠っているはずの可能性を信じ、それを力強く描いた、希望のある作品。
ルドルフ 『ヒロインの仕事』
加美幸伸
2022年12月中頃。年末の心の準備。大晦日の除夜の鐘。脳の中でまるで幻聴のように反響する。顔色を変える日常。次々と書き換えられる未踏の秩序。霧の中を彷徨い、慎み過ごしてきた3度目の冬。こんなことに馴れてしまったことが、まさか私たちの想像力に磨きをかけることになるとは…。一期一会の“演劇”という尊き文化。マスクの下で沈黙を強いられても、緩む口元は解き放たれるその時を待っている。
そんな時に、ルドルフvol.9『ヒロインの仕事』と出会った。舞台にはテーブルと椅子。実にシンプルなセット。生き生きと流れるキャストの会話や動作がドラマを徐々に立体化させていく。そして(作・演出の)筒井加寿子が咀嚼した言葉たちは常に新鮮な響きを持ち、実践的で一つとして無駄がない。
「いまのままで、十分楽しい」自己満足という究極のアマチュアリズムの中、医療事務の仕事をしながら(同人で)漫画の創作活動を続ける女性、神島結月。「私にとっての売れる状態」を追求しキャリアアップを目指す野心に溢れた女性、日比野桜子。対照的な二人の人生の小さな潮流が、ある偶然から混ざり、最良の漁場を生むかと思われたが、それぞれが隠れた本音を剥き出してしまった瞬間、二人のコラボのチャンスは儚き泡となる。
この作品は、宣伝ビジュアルなどにユニークな仕掛けがあり、私たちはまるで漫画雑誌のページをめくるような眼差しを舞台に向け、描き文字で時々の感動を表現したり、吹き出しの中に台詞を閉じ込めてみたりと、そんな遊び心が所々で生まれたことも(飛躍した想像力の賜物だが)魅力だと思う。
さらに登場する愛すべき他のキャストたち。それぞれが人を繋げ、気付きを与え、二人は見失っていた本当の自分の姿に辿り着く。さらにそれは、奇跡を生み、最後には究極の愛へと導かれていく。
きっと誰もが後悔の想いを引き摺りながら生きている。ルドルフ『ヒロインの仕事』との一期一会。それは(年齢を重ね)霞みそうになっていた私の夢への歩みを、また絶好のタイミングで前進させてくれた。だから、その先には希望が見えるはず…と信じてみることにする。「本作は、客演の皆さんや漫画家の先生にも深く関わっていただきました。コメディタッチの作品ですが、自分の人生を自分のものとして生きる、ということがテーマとなっています。役者にとっては身につまされる面もあって、稽古場で役者が涙を流すこともありました。役者はもとより多くの支えてくださったスタッフすべてを評価していただけたことに感謝します。」
(ルドルフ/筒井加寿子)
ネクストドア賞の評価理由
選考後記
とにかく、初回というのはむずかしいものです。
世間は受賞作から賞の意図を読み取る、という面があるからです。
「関西演劇界を広げる、広める」というコンセプト、対象が「関西の劇団及び関西発のプロデュース公演。関西2府4県での公演」であり、副賞として協力劇場による受賞団体の上演支援があること。
そして、対象作品はエントリー制ではないので、どれだけ丁寧に掬い上げられるか、というプレッシャー。
ですので、選考会ではまず、委員各自が挙げた候補作一覧を見ながら、絞り込みの対象範囲をどうするか、から頭を悩ませました。
もとより、ジャンルや商業~小劇場などをはっきり分ける境目は存在しませんし。
苦悩の第1回選考結果はご報告のとおりですが、個人対象でなく作品・団体対象の賞がほとんどないこともあり、受賞された皆様にもれなく喜んでいただいた様子を見て、意図は間違ってなかったと安心した次第です。
いろんなご意見をいただきながら、賞も育っていくことを願っています。
武田浩治
副賞
ご支援くださる劇場による劇場利用料の減免。3年以内に1回、1劇場の減免が受けられる。
※詳細は、授賞時にお渡しする「上演支援要項」に記載(消費税を含む、含まないなど、劇場別の細かい規定は、ここでは割愛します)。
ウイングフィールド (大阪市) |
1日55,000円で利用できる。機材費無償。 |
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一心寺シアター倶楽 (大阪市) |
劇場費80パーセントで利用できる。管理人件費55,000円は実費。稽古場の提供協力あり。 |
THEATRE E9 KYOTO (京都市) |
5日間250,000円で利用できる。機材費・管理人件費込み、電気代実費。 |
江原河畔劇場 (兵庫県豊岡市) |
劇場費・機材費・電気代すべて無償。 |
こまばアゴラ劇場 (東京都 目黒区) |
(劇場利用が公募制であり、利用申し込み多数の場合は、スケジュールの都合上、採択できない場合もあるが)劇場費・機材費・電気代すべて無償。さらに、関西の劇場支援を受けた上でも、東京公演を行う場合は、こまばアゴラ劇場の支援も重ねて受けられる。 |
ウイングフィールド (大阪市) |
1日55,000円で利用できる。機材費無償。 |
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一心寺シアター倶楽 (大阪市) |
劇場費50パーセントで利用できる。管理人件費55,000円は実費。稽古場の提供協力あり。 |
THEATRE E9 KYOTO (京都市) |
5日間150,000円。管理人件費・機材費無償。電気代実費。 |
江原河畔劇場 (兵庫県豊岡市) |
劇場費・機材費・電気代無償。 |
こまばアゴラ劇場 (東京都 目黒区) |
(公募制であり、応募多数の場合は希望に添えない場合もあるが)劇場費・機材費・電気代無償。関西の劇場支援を受けた上でも、東京公演を行う場合は、こまばアゴラ劇場の支援が重ねて受けられる。 |
ウイングフィールド (大阪市) |
劇場費無償(人件費・電気代含む)。機材費のみ有償。 |
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一心寺シアター倶楽 (大阪市) |
劇場費無償。管理人件費55,000円実費。稽古場の提供協力あり。 |
THEATRE E9 KYOTO (京都市) |
劇場費無償。管理人件費・機材費無償(電気代は実費)。 |
江原河畔劇場 (兵庫県豊岡市) |
劇場費・機材費・電気代無償。 |
こまばアゴラ劇場 (東京都 目黒区) |
(劇場利用が公募制である、という点は同じ。ただし最優秀作品賞受賞団体は、最優先に採択される)劇場費・機材費・電気代無償。上記の関西の劇場支援を受けた上でも、東京公演を行う場合は、こまばアゴラ劇場の支援が重ねて受けられる。 |