- <優秀作品賞>(五十音順)
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- エイチエムピー・シアターカンパニー「リチャード三世―馬とホモサケル」
- 大阪大学中之島芸術センター・大阪大学大学院人文学研究科・ 大阪大学総合学術博物館主催「中之島デリバティブⅡ」(林慎一郎作・演出)
- 株式会社リコモーション主催「素浪人ワルツ2023」
- 空晴「の、つづくとこ」
- 劇団不労社「MUMBLE ―モグモグ・モゴモゴ-」
- THE ROB CARLTON「Meilleure Soirée」
- 清流劇場「セチュアンの善人」
- 突劇金魚「小さいエヨルフ」
- ニットキャップシアター「よりそう人」
- マリヤの賛歌を上演する会「マリヤの賛歌―石の叫び」
- <最優秀作品賞>
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- マリヤの賛歌を上演する会「マリヤの賛歌―石の叫び」
- <観客投票ベストワン賞>
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- 劇団不労社「MUMBLE ―モグモグ・モゴモゴ-」
第二回 関西えんげき大賞選考経過
九鬼葉子
―2023年12月26日、大阪市天王寺区の一心寺研修会館にて選考委員会開催ー
選考経過のレポートの前に、まずお知らせから。
来年の第3回から、優秀作品賞10作に加え、新たな賞「ネクストドア」賞を創設する。若手を対象にする賞である。関西を拠点に、優れた実績を上げている若手演劇アーティスト、スタッフから1名(あるいは1組)を表彰する。文字通り、新しい時代の扉を開くような、将来の一層の活躍が期待できる方を選考委員が選出し、表彰する。
さて、選考経過について。
選考委員会に先立ち、事前に選考委員7名が、2023年の1年間に鑑賞した関西演劇の中から優秀作品賞として10作品以内の規定で推薦。そのリストをもとに、1作1作の魅力を語り合うところから始めた。推薦作総数は以下の42作品。
第2回関西えんげき大賞推薦作一覧
あゆみ企画「蛍の光」/ iaku「あたしら葉桜」/iaku「モモンバのくくり罠」/壱劇屋「空間スペース3D」/エイチエムピー・シアターカンパニー「ハムレット 例外と禁忌」/エイチエムピー・シアターカンパニー「リチャード三世―馬とホモサケル」/大阪大学中之島芸術センター・大阪大学大学院人文学研究科・大阪大学総合学術博物館主催「中之島デリバティブⅡ」(林慎一郎作・演出)/ 株式会社リコモーション主催「素浪人ワルツ2023」/空晴「の、つづくとこ」/関西芸術座「たこ焼きの岸本」/木ノ下歌舞伎「桜姫東文章」/極東退屈道場「コンテナ」/くじら企画「黄昏ワルツ」/劇団大阪新撰組「光と虫」/劇団そとばこまち「贋作写楽」/劇団太陽族「群羊」/劇団不労社「MUMBLE ―モグモグ・モゴモゴ-」/虚空旅団「四T~桜梅桃李~」/サファリ・P「透き間」/THE ROB CARLTON「Meilleure Soirée」/清流劇場「セチュアンの善人」/Z system「キラメキ~私はトビウオ、あなたは太陽~」/空の驛舎「雨の壜」/立ツ鳥会議「トレマ」/玉造小劇店「お祝い」/玉造小劇店「長い長い恋の物語」/匿名劇壇「いないいないなあ!」/突劇金魚「小さいエヨルフ」/突劇金魚「罪と罰」/トリコ・A「そして羽音、ひとつ」/ニットキャップシアター「カレーと村民」/ニットキャップシアター「よりそう人」/HIxTO「night」/兵庫県立ピッコロ劇団「三文オペラ」/兵庫県立ピッコロ劇団「やわらかい服を着て」/プロジェクトKUTO―10「和解」/マリヤの賛歌を上演する会「マリヤの賛歌―石の叫び」/南河内万歳一座「楽園」/無名劇団「あげとーふ」/MONO「なるべく派手な服を着る」/遊劇体「灯灯ふらふら」/ヨルノサンポ団「コンビニエンス・スペースシップ」
以上、42作品を語り合うところで、すでにかなりの時間を要したが、芸術作品を安易に数字で決めたくはなかった。つまり、投票という手段ではなく、作品の魅力を精一杯言葉にし、話したいと思った。話し合いの中から、次第に10数作品が浮上してきたが、そこからが長かった。6時間近い話し合いを経て、優秀作品賞10作が決定した。
なお、その経過については、選考会の「立会人」である、一心寺シアター倶楽館長の髙口真吾氏が、関西えんげき大賞の「季節のお便りー2024年3月分」で次のように記している。この「季節のお便り」とは、関西えんげき大賞の投票委員と観客投票者にご登録下さっている方に、毎月メールでお送りしている、呼びかけ人の書き下ろしエッセイである。また選考会には、選考が公正に行われているかを客観的に見届ける存在として、選考にはかかわらない「立会人」を毎年2名以上お願いしている。
<髙口真吾「3月の季節のお便り~もっと話そう」から一部引用>
先日の選考会では「いよいよ投票か?」となる各段階において、しつこい程「もっと話そう」が繰り返されました。
当然ながら、各段階で議論は既にかなりの時間を取って行われています。
それでもやはり各委員の意見が揃わないこともある。
各委員がそれぞれの意見を出し切れば、あとは「投票」=「数」しかなくなる。
もちろん皆さん「数」で決めたくはない、、、
が、致し方ないのでは、、、というタイミング。
しかしそういった時必ず「もっと話そう」という言葉が交わされました。
何度も何度も。
そして毎度訪れる何とも言えない「沈黙」の時間・・・。
「もう議論が再開することはないのでは?」と感じる程の時間経過のあと、
それでも誰かがポツっと何か言う。
「出尽くしたかに思われたその先から発掘された言葉」は毎回、他の委員の「その先」を引き出しました。(中略)
(自分も)一俳優として現場で「もっと話したく」なりました。
小劇場の現場では「創る人間」も「観る人間」も、あまり経済原理では動いていません。だったら「数」ではなく「話しあい」が良いと思うんです。
・・・以上が、立会人の目撃談である。「その先」の先まで話し、最後は選考委員全員一致で納得し、10作品の受賞を祝福して、無事に終えることができた。
ちなみに、あと一つ、繰り返された言葉があった。「来年のお楽しみ」である。すぐれた作品は、勿論この10作だけではない。授賞にふさわしい作品は、ほかにもたくさんあった。来年の授賞を、私達も楽しみにしている。
優秀作品賞10作の評価理由
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エイチエムピー・シアターカンパニー「リチャード三世―馬とホモサケル」
シェイクスピアの『リチャード三世』をベースに、現代的な視点で描かれた、くるみざわしんの新作。演出は笠井友仁。暴君の転落の過程をたどるのは原作通りだが、そこに、引き際の見えない戦争など、今、世界で起きている様々な問題と、そこに流れる人間の思いを込めた。父によって戦うことを運命づけられたリチャードが、女性達によって戦いの呪いから解かれるラストは感動的。戯曲、上演のスケール、俳優の演技力が高く評価された。
エイチエムピー・シアターカンパニー「リチャード三世―馬とホモサケル」
上念省三
日本だけでなく世界のあちらこちらで国を治める政治家がおかしなことになっている今、『リチャード三世』にどれほどのアクチュアリティを与えることができるかという挑戦に対して、劇団と(改)作者(くるみざわしん)と演出家(笠井友仁)は、ホモサケルという耳慣れない様態を設定した。サケル、Sacerは、「聖なる」と「犠牲」と一見して相容れにくい二つの意味に通ずる。難しい。
2023年3月という時に上演されたこの劇を観るために、観客は否応なく数か月前のA元首相の殺害を思い出したり、ウクライナを思ったりしたはずだ。悪を滅ぼすのに暴力を使うのは善なのかという問いは、劇場に入る以前に重くのしかかる。
近鉄アート館に行くには、華やかなデパートメントストアの売り場を通る。消費する存在である我々のためのきらびやかな入り口、ロビー、扉を入ると三方客席の空間。どうしても観客が目に入る。この滑稽で悲惨な政治と権力の長大な(所要時間3時間40分!)劇を、人々はどのような表情で観て、自分はどのように見られているのか、という意識は、余計だがしかし世界と演劇という対峙を考え込むには、必要に迫られたしつらえだったようだ。
今回もキャストは女性だけだった。政治や権力の場からは概ね疎外されてきた性。シェイクスピアの時代には演劇からも疎外された性だ。かつて男性だけで演じられていたはずのドラマを女性だけで演じることで、権力が構造として持ってしまっている性質の酷薄さや滑稽さが明確化されたようで、中でも小柄な髙安美帆(本作で第26回関西現代演劇俳優賞大賞を受賞)を中心に据えたことで、平衡点を消失するような奇妙なバランスが舞台に生まれたように思えた。
殺されることさえ許されなかったただのリチャードは、「馬をくれ。国はいらん。馬を」という言葉を残すが、今の政治家たちなら、そして私たちなら、何をくれと叫ぶべきだろうか。
演劇がどれほど現代において現在的でありうるかをぎりぎりまで問うた、まさに今観なければならない作品だった。第2回関西えんげき大賞優秀作品賞を頂けて本当に嬉しいです! 今回の受賞は、いままで関わってくれたみんなのおかげです! 『リチャード三世 馬とホモサケル』はシェイクスピアシリーズ二作目です。1999年にハイナー・ミュラー『ハムレットマシーン』と出会い、2001年にエイチエムピー・シアターカンパニーを結成しました。そこから一歩一歩、出演者、スタッフと共に様々な経験を積んできました。くるみざわしんさんとの共同作業は2009年からです。くるみざわさんは素晴らしいアイディアと社会に対する鋭いまなざしを持っており、わたしたちも刺激を受けながら創作活動を続けてきました。これからも、みなさんの期待に応えられるよう作品をつくっていきます。引き続き応援をよろしくお願いいたします!
(エイチエムピー・シアターカンパニー/笠井友仁) -
大阪大学中之島芸術センター・大阪大学大学院人文学研究科・大阪大学総合学術博物館主催「中之島デリバティブⅡ」(林慎一郎作・演出)
大学のアート人材育成プログラムとして、アーティストと受講生、研究者が交流、調査し、作り上げた作品。極東退屈道場の林慎一郎作・演出。観客は、劇場内で大阪・中之島を巡るフィクションの物語を楽しんだ後、俳優とともに劇場を飛び出し、中之島周辺を移動しながら、この場所の歴史と今を実感。さらに未来へと思いを馳せる。観客の身体感覚に訴えかける、巧みな構成と演出。また大学が主導して、演劇の創作現場を一般の方々に開き、文化の土壌を豊かにする企画の社会的意義も評価された。
大阪大学中之島芸術センター・大阪大学大学院人文学研究科・大阪大学総合学術博物館主催「中之島デリバティブⅡ」(林慎一郎作・演出)
加美幸伸
川で魚が跳ねる音、水上バスのエンジンが車のクラクションと混ざり繁忙なビートを打つ。足下に広がる馴染みの情景を楽しみ散策する遊歩道。視線を高所に変えると、新しい希望が聳える。夕暮れ時にその間に現れる橙色の永遠の象徴は一日の営みの終演のベルを鳴らす。その昔、商都と云われた大阪は、“天下の台所”という絢爛な呼称に導かれ、中でもこの地には、競い合う豊かで活気に溢れた人々が集い、各地で育まれた文化や情報の先鋭が群れ、溶け合い、デリバティブ(二次的な発生)な奇跡を産む…。点在する石碑や道標に導かれ、その背景や今との比較など想像を巡らせてさらに歩みを進める。ここは中之島。
芸術と経済。この心底で手を取り合わない二つの魂が、まるで組紐のように纏わりつきながらも、日本の未来への目標(とされている)関西でのエクスポジションの足枷の中、なんとも釈然としない日常を過ごす私たち。ここ大阪の粗忽な風を感じながらきっと、林慎一郎は、志で集う人々と探索と研究を綿密に続け、そこで培った実験的結論を、分身としての言葉と肉体を使い、今この地の(大阪大学中之島芸術センターのスタジオという)密室に共存した人たちの想像に語りかけることを試みたのではないか。
『中之島デリバティブⅡ』未来へ刻む時。目前に流れる映像から、私は自身の脳裏に薄っすら映る記憶と呼応する。そして視線でそれを追いながら俯瞰の発想で心に街の地図を描く。そうして蓄積したデータを収めていると、突然未来が先導し過去の記憶を携えたまま、今の中之島へ歩みを進めようと発案する。
時空が共にそぞろ歩く。そこで得た少しの気付きが未来をふくよかにし、過去の中に埋もれた大切な光を探し当て、行動を共有することで思索を巡らせる。そこで生まれた結論は、実に原始的な方法で繋がろうとすること。未来は私たちを従え手旗を振って、遠方の建物の窓へ向かって別の未来と交信を企てる。その伝播はやがて結び合い歓喜の塊となった。
日常の隙間で時折思うことがある。あの頃、活気ある中之島に生きた先覚者たちは、こんな未来の光景を想像していたのであろうか。
未来が、ここで(過去という)あの頃を探す道を開いてくれた。これは当たり前のようで不思議な体験だった。ならば次は…また中之島へ、今を探しに歩みを進めたいと思う。この度は、このような賞を頂き、大変嬉しく存じます。『中之島デリバティブⅡ』の制作チームを代表して頂戴いたしました。この作品の作・演出は林慎一郎さんなので、本来でしたら林さんが受賞されるべきと思いますが、大学の発信する演劇の試みを10年ほど続けて来たことに対してのくださった賞と受け止め、これからの励みにしたいと思います。今後も私たちならではの演劇を発信していきたいと思っております。どうもありがとうございました。
(大阪大学中之島芸術センター・副センター長/永田靖) -
株式会社リコモーション主催「素浪人ワルツ2023」
マイムと生演奏、映像がコラボするウォーリー木下作・演出、いいむろなおき主演の舞台。決闘を恐れた佐々木小次郎が、東海道を西へと旅する物語。海底から町屋まで、様々な場所を奔放に行き交う内容で、床に映し出された風景の映像に溶け込むように、いいむろが床に横になったかと思うと、立ち上がって走り出し、二次元と三次元を行き交う。パントマイムの魅力を、広くたくさんの方々に伝えていきたいという、いいむろの思いが溢れ出す、魅力的なパフォーマンスが評価された。
株式会社リコモーション主催「素浪人ワルツ2023」
加美幸伸
芸術は神への捧げものである(と思っている)。人は山や木々など八百万に神姿を見出し、そこに想像の彩りを与える。そして舞や踊りで何かに憑依し、見えない力と交わろうとする。後にそれは(身振り手振りで)対話や会話を繰り返すことで集い、そこに流れが生まれる。人は言葉を持つ以前からきっと、こうしたことの永続で絆を深めたに違いない。
で!言葉とは何?ここに辿り着くと、私は咄嗟に彼の舞台に出会った時のことを回想する。
言葉(のような何か)の壁を超え身体を存分に駆使し、私たちの心の中で発語するこの感覚。
何だろう?パントマイムという無限の希望。
いいむろなおきのマイムには言葉が見える。ただそれは、出会う者たちで異なった印象を持つことにはなるのであろう。それがまた豊かである。
『素浪人ワルツ2023』ウォーリー木下のセンスとアイディアが光る演出。吉光清隆の映像が私たち観客の感受性にヒントをくれる。影となる黒子の田中啓介は初演より傍で旅を続け、副音声初役の佐々木ヤス子とのコミュニケーションは、私たち観客も小次郎の東海道西進へお供する覚悟を促してくれた。
いいむろなおきが演じた小次郎は、決闘に行くことを恐れ、自分の命に固執していた若い武士。死と隣り合わせにありながら、自らを奮い立たせようとする孤独な心の動き。そんな彼の元に容赦なく(富士山が語り掛けるなど)好奇な干渉が旅の歩みを遮る。
夢か幻か、はたまた現か。そこに会場を包むザッハトルテの生演奏が歩みを運び、私たちはまるで道中の沿道に立ち声援を送るように、巌流島への伝説へ小次郎を誘うのだ。
このカンパニーの15年の遠征は、演劇とパントマイムの境界線を颯爽と乗り越えた。今後は演劇(と呼ばれる)の世界で様々な実験を企ててくれるのではないかと思うと、これはとても痛快で、次を期待する私の気持ちは華やぐのである。本公演は、弊社がHEP HALL運営時に劇場プロデュースとして制作した2008年初演の作品の再演です。いいむろなおきとザッハトルテがウォーリー木下の自由奔放なオーダーに見事に応えた、マイムと生演奏と映像が融合した特徴的な作品の10年以上を経ての再演でしたが、当時は難しかった映像表現ができ、またいいむろ、ザッハトルテ共に当時と変わらないパフォーマンスで決定版ともいえる公演となりました。今回の受賞をカンパニー一同とても喜んでおります。ありがとうございました。
(株式会社リコモーション/星川大輔) -
空晴「の、つづくとこ」
かつて近所の人達から愛された喫茶店があり、今は空き地になっている場 所が舞台。そこに現れる近所の人々やその親戚達が織りなす、すれ違いと勘違いの物語。ハートウォーミングなコメディだが、それぞれの人物は問題を抱えており、それは私達の日常同様に、劇的に解決することはない。ただ、大事な記憶を思い出し、未来へとつなげていく。岡部尚子の劇作と演出、そしてキャラクターを魅力的に膨らませた演技が総合評価された。
空晴「の、つづくとこ」
九鬼葉子
決して大きな劇団ではない。むしろ小所帯だ。だが、2007年旗揚げ以来、根強い人気があり、毎回のように東京公演も実施。近年は4都市ツアーを行うなど、行動力もある。選考会でも「舞台のムードがいい」「カンパニーとして完成された作品成果」「もっと広く知られるようになってほしい劇団」という声が相次いだ。この劇団ならではの独特の魅力がある。
作品は常にワンシチュエーション。日常的な場所が舞台。そこで綾なされるすれ違い、勘違いを描いた、コメディ仕立ての作風なのだが、マンネリにはならない。毎回、見る人にとって身近な主題で、心に響く良い台詞があり、励まされる。作者・岡部尚子がその時に感じ、悩んでいることなどをベースに、虚構の物語を編み上げる。心から溢れ出た言葉の数々なのだ。誰しも心当たりのある、生きることの大変さが描かれている。それを芸達者な俳優達が、温かみのある演技で支える。受賞作は、劇作・演出・演技の総合力の高い、集大成的作品と言える。
本作の舞台は、空き地。その場所でテイクアウト専門のドリンク店を近々開店する女性のもとを、近所に住む男が訪ね、開店祝いではなく、何故か出産祝いを渡すところから、混乱が起きていく。さらに学生服を着た中年男など、奇妙な人々が次々に現れる。次第に男が、若年性アルツハイマーであることがわかってくる。記憶の混乱する彼に合わせ、親族達が彼の思い出の人物達を演じていたのだ。そして、家族の問題が浮上する。男には、かつて勘当してしまった弟がいた。長年音信不通となっていた兄弟が再会を果たし、二人は子供の頃の大切な体験を思い出し、関係を取り戻す。
この後、主人公の男にも、周囲の人々にも、さらに大変なことが待っているだろう。奇跡は起こらない。それは私達の日常と同様だ。だが、苦い現実を描きつつも、前に進む力をくれる舞台。人と人が出会い、何かが生まれ、そして別れが来る。だが、また新たな出会いがあり、新しい何かが始まる。再会もある。やり直せることもあれば、やり直せないこともある。失敗も含め、人生を肯定する。そんな劇団の魅力が凝縮された舞台だった。授賞式は欠席となってしまいましたが、旗揚げ団員でありながら永遠の若手と言われる小池の姿を映像で見て、胸が熱くなりました。
いつも劇団が元気がなくなった時にこのような嬉しい事もあるな、と。
古谷の退団や、他も劇団事情がある中でのご褒美のような…。賞自体もですが、同じ演劇に携わる人達と会することができ、応援してくださってる方々に喜んでいただく事も、劇団の幸せです。まだもうちょっとやれるだけ頑張れます。ありがとうございます。
(空晴/岡部尚子) -
劇団不労社「MUMBLE ―モグモグ・モゴモゴー」
コメディとホラーの要素が程よくまじりあった独特の作風で、これまで、ムラ社会的な閉鎖コミュニティを描く「集団暴力シリーズ」を展開してきたが、今回はその集大性として、山奥に住む家族の物語を繰り広げた。西田悠哉作・演出。一見楽しげな食卓風景から始まり、やがてカニバリズム=人が人を食べる話へと至り、生命倫理に迫る。人間の愚かさが徹底的に描かれ、喜劇的な独特の魅力が評価された。
劇団不労社「MUMBLE ―モグモグ・モゴモゴー」
岡田蕗子
ムラ社会的な閉鎖コミュニティを舞台に、共同体に内在する暴力性を描く「集団暴力シリーズ」の作品群の集大成として、家族共同体と食をモチーフに創られた作品。主題と劇構造と雰囲気を絶妙に組み上げて、観客側の暴力性にまで踏み込むような上演が記憶に残った。
舞台は、山奥にひっそり佇む「民宿 シャングリ=ラ」。裏で動物取引を行いつつ表向きはジビエの肉をふるまって営業を続けているが、ある日宿の息子が妻を伴い都会から戻ってくる。妻は動物の言葉がわかる状態になっており、それ以降も色々な事が起こっていく。やがて豪雪で外部と遮断され食料が底をつくのだが、極限状態で人々は人の肉を食べる決断をし、「人の肉を食べる事」で繋がる共同体が立ち上がる。
不労社の劇は、既存の文学や戯曲で取り上げられてきたモチーフや主題への応答を行う側面がある。今回のモチーフである人と動物の境界や人の肉を食べることを巡る倫理も、武田泰淳の『ひかりごけ』や大岡昇平の『野火』、野田秀樹の『赤鬼』などで取り上げられてきた。上演ではそれを現在から過去を解説する枠組みの中で展開させた。その構造により、劇世界と観客の距離化が計られ、観客は一歩引いた目線で考えさせられることになった。
その一方で、舞台と客席の境界が消えるような瞬間もあった。上演終盤、人を食べる直前の人々が、チャットモンチーの『シャングリラ』を歌う箇所である。「シャングリラ 幸せだって叫んでくれよ」「僕らどこへ向かおうか?」「胸を張って歩けよ 前を見て歩けよ」「希望の光なんてなくったっていいじゃないか」幸せではない状況の人が、行く方面を決めかね、希望を持たずに歩く、という歌詞は、倫理を越える状況下にある人々の論理的には言葉にできない叫びに聞こえるし、歌う行為は倫理を越えるための儀礼にも見える。
歌の場面までは比較的冷静に観ていたが、歌で私は心を揺さぶられ、共感していた。その感覚は不思議に強く、論理を容易く踏み越えてしまう。観客席を正面から睨みつけ、足を踏みおろして歌う俳優の表情と声、歌う身体の存在感が、論理や倫理よりも重いものがあると訴えているように感じた。それと同時に、歌う人の存在感や耳馴染みが良いリズムや物語性に満ちた歌詞という芸術が持つ魅力によって、自分の倫理や感覚が変化してしまったことにも気づいた。歌がもたらす高揚感と戸惑いの二つが胸の中に立ち上がり、忘れがたい瞬間となった。
本公演は、物語では倫理を越える人々の共同体形成を喜劇的に描き、同時に劇構造では観客がショー的に見続けたり、歌で容易く共鳴したりする状態を創った。それは、「観る事」や「受容側」が持つ集団暴力性への言及を感じさせるものだった。社会では、テレビのワイドショーの枠組みで、人が倫理を踏み越える様子が紹介されることはよくあるし、芸術で何かを伝えることもよくある。それらを黙って見続けた結果が今この現在なのだ、現在ある暴力性の責任は観る側にもある、そう指摘されたような気がした。
動物と人間の境界線はどこか、人が倫理を踏み越えるための論理はどう組み立てられるか、人とは、共同体とは何か。本作は、難解な主題を取り上げつつも、俳優たちの丁寧に設計された演技やテンポ感、小道具や舞台美術の創り込みで、上演に具体性を付与し、現実味と理解のしやすさを生じさせた。そこにはポップさとグロテスクさと冷静さが綯交ぜになった独特の喜劇的な雰囲気が形成され、作品世界を観客が受け取りやすくした。それゆえに、終盤の歌の場面で、観客として観るからこそ生じる感覚の揺らぎを形成することに成功していた。もう一度観客になりに行きたいと思わせられるような上演であった。近年取り組んできた〈集団暴力シリーズ〉の集大成として臨んだ作品が、このような形で結実し、驚きと喜びで一杯です。
これもひとえに、積み重ねてきた無数の縁の賜物だと思います。
今までお力添えいただいた全ての関係者、そして日頃より応援してくださる観客の皆様に、この場を借りて最大限の感謝の意を!
受賞団体の中では最若手になると思いますが、期待を正面から衒いなく受け止め、これからもニッチなフィールドをこじ開けていきたいと思います。
(劇団不労社/西田悠哉) -
THE ROB CARLTON「Meilleure Soirée」
スーツ姿の男達、鋭い眼光、お酒が並ぶ洒落た部屋。ハードボイルドの気配たっぷりの幕開けだ。実はこれは劇中劇。マチネを終えて楽屋で雑談する場面を挟み、ソワレの劇中劇へと移る。ところが一人の俳優が舞台上で居眠りをしてしまう。何とか芝居を自然につなげようと、他の俳優達は右往左往。俳優達の頃の声は関西弁で話されるため、クールな劇中劇とのギャップも笑いを生んだ。コメディは真面目に演じるからこそおもしろい。そのお手本のような舞台であったこと、また、俳優それぞれの個性を生かすウィットに富んだ構成の巧みさが評価された。村角太洋作・演出。
THE ROB CARLTON「Meilleure Soirée」
広瀬依子
THE ROB CARLTON は2011年の旗揚げ当初から、コメディーを中心にした作品を上演してきた。それから13年。キャプテン(主宰や代表にあたる)の村角太洋は、受賞式で、賞を受けるのは初めてであることを述べた後「続けてきてよかった」と思いを語った。審査側としても嬉しく喜ばしい言葉だった。
劇団を結成する場合、学校や俳優養成所で知り合ったり、職場の仲間が集まることが多いのではないだろうか。ことに関西は学生演劇が盛んであり、学生時代の同志から生まれた劇団がたくさんある。THE ROB CARLTONの劇団員のつながりも学校が根にあるが、演劇部や学内劇団とは少し違う。洛西高校ラグビー部(京都市)のOBたちが結成した演劇団体が前身なのである。先に記した「キャプテン」の呼称にも納得がいく。
本作はバックステージもの。クールで渋めの男性4人が演じる劇中劇(翻訳劇)で幕を開ける。舞台上の姿からイメージするのは対立、孤独、いい意味での強がり等、ハードボイルドの世界だ。ところがマチネを終えて楽屋に戻った後は、世間話にも興じる。さらに続くソワレでは、出演者の1人が本番中の舞台上で居眠りするという大波乱が起きる。必死に対応する3人(村角ダイチ・満腹満・高阪勝之)と、すぐ傍で眠りこける1人(ボブ・マーサム)との対比が鮮やか。慌てる3人の心の声を関西ことばで表現し、劇中劇のセリフと区別したのはわかりやすく、秀逸であった。
笑い・ユーモア等の研究者であり作家の織田正吉氏は笑いを起こす言動・状況を著書『笑いとユーモア』(筑摩書房)にまとめている。その中でも「思考や行動の突然の方向転換」「思考や行動の不当な拡大」「歪曲した思考・行動・状況」に、今回の4人の演技がぴったり当てはまっていた。THE ROB CARLTONが笑いを創る根本を捉えているからだろう。そして、人間が慌てた時や困った時にとる行動は、いつの時代も同じである。いつの時代も笑いは求められていることも示した公演であった。これまで「限りなくコメディ・喜劇に近い芝居」を作って参りました。
それは、先達が産み出した素晴らしいコメディと喜劇への畏敬の念でありました。
本作はコロナ禍以降初めての本公演で、今こそ作らずしていつ作るのだと初めてコメディに挑んだ作品です。
素晴らしい賞に選んでいただき、やっとコメディの尻尾の先っぽの毛一本のそのまた先端に触れることができた気がいたします。
応援してくださった皆様への感謝と大いなる励みを胸に、より一層コメディと喜劇を追いかけて参る所存です。
(THE ROB CARLTON/村角太洋) -
清流劇場「セチュアンの善人」
ドイツの劇作家、ブレヒトの戯曲を現代的にアレンジ。大阪弁のテンポのいい生活言語に書き換え、庶民の活力と悲しみを焙り出した。ジェンダーの問題や、資本主義の限界など、現代社会の苦い現実を重ねて描きつつ、達者な俳優達が、恋のロマンティックさや滑稽さなどを魅力的に表現。劇の楽しさで一気に魅せた、完成度の高い舞台が評価された。田中孝弥台本・演出。
清流劇場「セチュアンの善人」
広瀬依子
近年、清流劇場では海外戯曲を原作とした上演を行っている。上演台本を主宰の田中孝弥が執筆・演出し、研究者の翻訳・ドラマトゥルクを得ての舞台化という流れがほとんどである。ギリシャ劇やドイツ劇が多く、人が生きていく上で時代を問わず必要なもの——喜びや悲しみ、批判や変化などを、時に骨太に、時に軽やかに表現して好評を得てきた。
今回の受賞作はブレヒト作『セチュアンの善人』である。今も各地で上演され続けており、日本でも舞台にかかることが珍しくない物語だ。多くの人に知られている作品を取り上げるにはプレッシャーもあるだろう。熱心なファンがいると思われるブレヒトであれば、なおさらだ。清流劇場は、それを乗り越えて独自の表現として構築した。
主役のシェン・テ(中迎由貴子)は娼婦である。しかし、その外見は娼婦のイメージではない。Tシャツにキャミソールワンピースというラフな装いで、化粧も髪型もごく普通だ。口調も一般的。近所のお姉さんといった雰囲気である。突然神様を一晩泊めることになり、その日の稼ぎがなくなっても、神様だからしかたがないと受け入れる。神様はそんな彼女を善人だと受け止め、お金を与えるのである。これらが関西ことばで演じられるため、関西の観客にとっては劇世界に入りやすい。
また、本作品では俳優の声も重要な役割を果たしていた。まず、シェン・テである。神様からもらったお金で弁当店を開いたものの、契約のトラブルが起こる。それを乗り切るため、従兄弟のシュイ・タが保証人だと嘘をついたのだ。だが、このシュイ・タは架空の人物で、シェン・テが変装している。状況に応じてシュイ・タになりきり、皆の前に現れるというわけだ。二人を演じた中迎由貴子の声の使い分けが優れていた。シェン・テは普通のトーン。シュイ・タはやや低めで、歯切れが良い。それでいて、完全な男性ではないことを感じさせる発声であった。また、シェン・テの恋人の母であるヤン夫人(曽木亜古弥)、シェン・テに思いを寄せる床屋シュー・フー(髙口真吾)は、ほかの出演者よりも調子が一段ほど高く、芝居全体のアクセントとして効果的であった。
長い間演じられてきた作品は土台がしっかりしている。その土台の上でどのように解釈や個性を発揮するか、その方法のひとつを示したと言えるだろう。この度、栄えある賞を頂戴しました。観客の皆様・劇団関係者に御礼申し上げます。また、昨年からこの「関西えんげき大賞」を創設し、運営してくださっている関係者の皆様にも感謝申し上げます。これまで、関西演劇界はこのような演劇賞が少なかったので、実演家への大きな励み・刺激になります。
清流劇場は今後も、多様な価値観や新しい物の見方に出会える作品づくりを目指しながら、劇場文化・関西演劇界の発展に寄与したいと思います。
(清流劇場//田中孝弥) -
突劇金魚「小さいエヨルフ」
フィヨルドを望む家を舞台に、複雑な家族関係が描かれた、ノルウェーの劇作家・イプセンの作品。家庭の裏側に潜む欲望や執着などの感情を、大胆に諷刺した演技・演出。扇町ミュージアムキューブの小空間を洞窟のように作り込み、アンダーグラウンドの気配漂うエンターテインメントに仕上げた。繊細に表現されることの多かったイプセン劇のイメージを大きく変える挑戦的な舞台が評価された。サリng Rock脚本、演出。
突劇金魚「小さいエヨルフ」
岡田蕗子
ノルウェーの劇作家・イプセンの戯曲『小さいエヨルフ』を徹底的に喜劇化し、風刺性を伴わせた挑戦的な演出が魅力的であった。
物語は、フィヨルドを望む丘の上の家が舞台。夫アルメルス、妻リタ、息子エヨルフの三人で暮らしており、アルメルスの妹アスタもよく訪れる。そのアスタの幼名も実はエヨルフであり、二人の「エヨルフ」を巡る過去が、現在の在り方を変化させていく。
人の心理が繊細に描き込まれた近代戯曲だが、今回は扇町ミュージアムキューブ05の小空間に創りこまれた洞窟の中で、白塗りをした俳優たちが見せ物芝居を演じるという設定で現代喜劇として表現された。俳優たちは、登場人物たちが内面に秘めた自己愛や執着、偏執性を、道化的に露出させていく。
例えば、戯曲ではアルメルスは自分の著作や息子の教育という仕事に執着して妻・リタに目を向けない自己中心的な側面を持ち、リタはそんな夫に対し、自分と向き合って欲しい、愛しあいたいと願う。本公演ではリタはその願いをアルメルスにとびつき、とっくみあいをしながら訴えた。「美しい妻」の役を脱ぎ捨てたリタ役の俳優が人間性をむき出しにして暴れる振り切った演技に思わず笑ってしまうが、それと同時に、このような関係性は身近にあると感じられ、100年以上前に書かれた家庭像が現代性を帯びていく。
そんな流れの中で、アルメルスが「血がつながっていること」を理由に妹・アスタに異様に執着する場面が演じられると、アルメルスの家族観・血縁主義にも、どこか既視感を覚えるような感覚になる。そして、舞台上の家族の形が、現代日本社会の中の家族観の写し鏡のようにみえてくる。
本公演は、笑いを使って登場人物と観客の同一化を阻むことにより、観客の心の中に解釈の余白を生み、現代への風刺性を感じさせるに至っていた。少なくとも、私が観た回はそうであった。キャストが日によってかわる1か月にわたる公演であったので、別の日にはまた違う世界が広がっていたのかもしれない。ロングラン公演を高い熱量で走り切った座組の結束力もまた、素晴らしいと思った。この公演は、会場である扇町ミュージアムキューブさんの提案ではじまりました。CUBE05という小さな空間で、1か月間の公演を。CUBE05が稼働する最初の団体だということで、オープン前からキューブさんと一緒に準備をしてきました。あの空間でどんなことをしたらおもしろいだろう?なにが可能だろう?出演者も、キューブさんもみんな一緒になって考えて文化祭みたいな公演になりました。それが演劇作品の賞をいただけて、すごく誇らしいです!表彰状は扇町ミュージアムキューブさんに飾らせていただきます。多くの人にこの功績を見てもらえますように。
(突劇金魚/サリngROCK) -
ニットキャップシアター「よりそう人」
京都府舞鶴市の地域の人々に丹念に取材した、ごまのはえ作、西村貴治演出の舞台。舞鶴に暮らす三人の女性の恋模様を、戦前の記憶、戦中の傷、戦後の生活とともに描き出した作品。終戦後、外地から引き揚げてきた人達に寄り添って生きてきた、舞鶴という町の持つ力、舞鶴の人々の、寄り添う力を、淡々とした市井の暮らしの描写を通して、生き生きと立ち上げた点が評価された。
ニットキャップシアター「よりそう人」
畑律江
どの地域にも独自の風土があり、そこに暮らしてきた人々の歴史がある。ニットキャップシアターの代表、ごまのはえは、地域に出かけ、市民から提供された写真や、古老に取材したエピソードをもとに、土地に眠る物語を掘り起こして『さよなら家族』(兵庫県伊丹市)、『カレーと村民』(大阪府吹田市)などの秀作戯曲を書いてきた。『よりそう人』は、2018~20年、日本海に面した京都府舞鶴市で実施した「まいづる物語プロジェクト」の集大成として書かれた戯曲である。演出は、俳優でもある西村貴治。
物語は、東舞鶴に住む3人の女性―みちよと妹すみ、満州から引き揚げてきた従妹あきえーを軸に展開。強大な台風に見舞われた日、東京オリンピックの聖火ランナーが街を走った日など、昭和の六つの時間を切り取って、1950年代から80年代までの家族の歴史を描き出す。時の流れの中、古い写真に写っていたあきえの幼い妹がなぜ今はいないのか、その理由を巡り、日本人の心に刻まれた戦争の深い傷跡が浮き彫りにされていく。
舞鶴港は、戦後、シベリア抑留などからの引揚船が着いた港として有名だ。だがニットキャップシアターの舞台は、どの街を描写しても、既成の言葉によるキャッチフレーズで終わることがない。丹念な取材を活かし、地域の人々がそれぞれの生活を選び取った背景が丁寧に描かれる。今回の舞台作りを通し、舞鶴を表現する言葉として劇団が抽出したのは、傷ついた人々にそっと寄り添うこと、傷つきながらも互いに助け合って生きることーつまり「よりそう」という実に人間的な行為だったのだ。この公演で退団した高原綾子(すみ役)をはじめ俳優陣の演技も、時に静かに、時に激しく、暮らしの確かな手ざわりを感じさせた。
地方の庶民の淡々とした暮らしの中に、なんと力強い人間ドラマが潜んでいることか。ニットキャップシアターが粘り強く取り組む創造活動に深い敬意を捧げたい。この数年の私達の活動は、他の多くの皆様と同じように苦労の連続でした。この『よりそう人』もまた、舞鶴の皆さんと協力して創作、上演する予定だったのがコロナ禍により中止となり、今回改めて劇団で上演できた作品です。集団で創作する難しさを感じつつ、沢山の方の協力をいただいたからこそ、この誇らしい賞をいただけたと思っています。
この喜びを胸に、引き続き次のステージへ進んで参ります。
(ニットキャップシアター/高原綾子) -
マリヤの賛歌を上演する会「マリヤの賛歌―石の叫び」
戦時性暴力を主題にしたくるみざわしんの戯曲を、金子順子が熱演。岩崎正裕演出。原案は、慰安婦体験を綴った城田すず子の手記。後年、生きがいを得て歩み始めるまでの勇気と生気が描かれた。戦争をやめれば、戦時性暴力はなくなる。強いメッセージを、7月から12月まで、毎月1回上演という、大変な公演形態の中で伝えられた。演出家との共同作業の中で、真摯な主題に渾身の演技で向き合われた、たぐいまれなる精神力とテクニック、表現力が高く評価された。
マリヤの賛歌を上演する会「マリヤの賛歌―石の叫び」
畑律江
登場するのは一人の女性。「私」と名乗る彼女は、とある本を読み始める。それは、太平洋戦争中に日本人慰安婦だった過去を告白した女性、故・城田すず子さんの自伝『マリヤの賛歌』だ。「私」は最初、自分とすず子さんの間に横たわる「壁」を、率直に口にする。「従軍慰安婦って売春婦でしょ。お金が欲しくてからだを売った女」――。
「私」はいつしか「すず子」と重なって語り始める。パン屋の娘として育った幸福な子供時代。家が没落し、芸者に出た娘時代。そして、ふくらむ借金のため、日本、台湾、南洋の島々の慰安所を転々とした日々のこと。
『マリヤの賛歌―石の叫び』は、大阪を拠点に活躍する俳優、金子順子が渾身の力を込めて演じた一人芝居だ。くるみざわしん作、岩崎正裕演出。舞台上のすず子は、娘時代の思い出や初恋の体験を生き生きと語るが、やがて、泥沼のような戦場の様相、性加害の果てに落命した慰安婦たちの実態を、くっきりと証言していく。戦後も米軍兵士に体を売って生きたすず子。売春した女性に対する世間の冷たさにうめく彼女の姿を通して、「私」は、やがて気づく。戦争は女性を「守るべき無垢な女」と「汚れた女」に二分してしまうのだ、と。
現実のすず子さんは、婦人保護施設「かにた婦人の村」に入所して心の平安を得、自伝を著し、従軍慰安婦の鎮魂碑の建立に尽力した。圧巻は1985年、ラジオ出演した時の描写だ。金子演じるすず子は、意外なほどからっとした闊達な声で半生を語る。まるで本人がおりてきたかのようだ。そして彼女は深みのある声で、性被害に苦しんだすべての人に、この鎮魂碑に「帰っておいでよ」と呼びかける。幕切れ、自伝を読み終えた「私」の慰安婦に対する認識は、冒頭とは変化している。すず子さんのような経験をしたはずの多くの日本人女性の口を封じてきたのは、他ならぬ「私」でもあると感じ取る。この転換にこそ、舞台に込められた強い願いがある。
いまだ世界で戦火は絶えず、日本国内では性加害の告発が相次ぐ。この舞台は、まさに現代に生きる問いかけなのだ。7月から12月まで月1回、東大阪市の美しい喫茶店で行われた公演には、毎回、全国各地から多くの観客が詰めかけた。金子のライフワークとなりそうな作品であり、また、そうあってほしいと期待せずにはいられない。この度は『マリヤの賛歌』に名誉ある賞をいただきありがとうございます。
この作品は作者くるみざわしんさんの伝えたい想いから始まりました。
城田すず子さんの手記を中心に構成されたテキストに見事に血肉を通わせて金子順子さんが演じきりました。
それをたくさんの方に観ていただき評価していただいた事を作品に関わる一同うれしく思います。まだまだ上演は続くと思います。この賞を励みにさらに高みを目指して参ります。
(演出/岩崎正裕)
副賞
ご支援くださる劇場による劇場利用料の減免。3年以内に1回、1劇場の減免が受けられる。
※詳細は、授賞時にお渡しする「上演支援要項」に記載(消費税を含む、含まないなどの細かい規定は、ここでは割愛します)。
ウイングフィールド (大阪市) |
1日55,000円 機材費無償。 |
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一心寺シアター倶楽 (大阪市) |
劇場費80パーセント(管理人件費55,000円実費) 及び稽古場の提供協力 |
THEATRE E9 KYOTO (京都市) |
利用料5日間 or 6日間250,000円 管理人件費・機材費無償 (電気代は実費) |
江原河畔劇場 (兵庫県豊岡市) |
劇場費・機材費・電気代無償 |
ウイングフィールド (大阪市) |
1日55,000円 機材費無償。 |
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一心寺シアター倶楽 (大阪市) |
劇場費50パーセント(管理人件費55,000円実費) 及び稽古場の提供協力 |
THEATRE E9 KYOTO (京都市) |
利用料5日間150,000円 管理人件費・機材費無償(電気代は実費) |
江原河畔劇場 (兵庫県豊岡市) |
劇場費・機材費・電気代無償 |
ウイングフィールド (大阪市) |
劇場費無償(人件費・電気代含む) 機材費のみ有償 |
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一心寺シアター倶楽 (大阪市) |
劇場費無償(管理人件費55,000円実費) 及び稽古場の提供協力 |
THEATRE E9 KYOTO (京都市) |
劇場費・管理人件費・機材費無償(電気代は実費) |
江原河畔劇場 (兵庫県豊岡市) |
劇場費・機材費・電気代無償 |