- <ネクストドア賞受賞者)>
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- 田宮ヨシノリ(よるべ)
第四回 関西えんげき大賞ネクストドア賞選考経過
九鬼葉子
―2025年12月18日、大阪市天王寺区の一心寺文化事業財団企画室にてー
ネクストドア賞候補は10人(1団体含む)
関西の若手演劇アーティストを対象としたネクストドア賞。選考委員が、小沢佑太(CLOUD9代表)、九鬼葉子(演劇評論家)、中村ケンシ(空の驛舎代表)、西田悠哉(劇団不労社代表)という新しい顔ぶれとなり、初めての選考会。世代も経歴も様々な4人が、多彩な角度から4時間半近く語り合った。 選考会に先立ち、事前にそれぞれが推薦する若手アーティスト一覧を事務局に提出した。まとめると、次の通り。
大川朝也(劇団白色)/鴨梨(あたらよ)/川村智基(餓鬼の断食)/キャメロン瀬藤謙友(舞台監督・プロデューサー)/久野泰輝(REFUGIA)/熊谷帆夏(劇団アンゴラ・ステーキ/シイナナ/ 田中陽太(ベイビー、ラン)/ 田宮ヨシノリ(よるべ)/中村圭吾(劇団アンゴラ・ステーキ)
趣旨は「新しい時代の扉を開ける」人の顕彰
選考会冒頭、改めて呼びかけ人代表でもある九鬼葉子から、趣旨についての説明がなされた。
優秀作品賞は作品に対する賞である。ネクストドア賞は、それとは性質を変え、ひとつの作品で評価するのではなく、人に対する賞、人としての未来を期待し、ネクストドア(新しい時代の扉)を開ける人を見極め、顕彰したいということ。対象は、劇作家、演出家、俳優、スタッフ、プロデューサーなど、すべての中から毎年一人。
賞の位置づけとしては、まず演劇人のスタートとして学生対象の演劇祭があり、次に目指すものとして、ウイングフィールド主催のウイングカップがある。そして、これまでは、その次にアイホール主催の次世代応援企画break a legがあった。さらに35歳以下対象のロームシアター京都×京都芸術センター U35創造支援プログラム‟KIPPU”へとつながっていた。
だが、アイホール閉館に伴い、break a legがなくなり、現在はウイングカップと‟KIPPU”の間が空いている。ウイングカップの次に、若手の励みになるような存在になりたいと考えた。
さらにこれは九鬼自身の思いとして、できれば関西演劇界全体を活性化させていこうという、広い視野を持って仕事をされる方がいいと願っていることも伝えた。毎回の絶対条件ではないが、小沢佑太を第1回ネクストドア賞に選出した理由も、創作活動に加え、その期待も大きかったのである。
各候補者の評価理由
以上の趣旨確認の後、選考会が始まった。
「賞は育てていく」ものである。趣旨をもとに、どんな賞に発展させていきたいか、選考基準も含めて話し合いながら進めていった。
まず戯曲の観点から。中村ケンシは自身の視点として「作品にオリジナリティがあるか、思想があるか、希望があるか、今の世界に相対しているか。世界や人間の普遍と対峙している作品か」をあげ、他の委員も共感し、各作家の作品を分析。その過程でさらに新たな視点として、鋭い指摘があった。「『現代の若者像をリアルに描いている』とメディアに紹介、あるいは批評の言葉を書かれる方々がいるが、ここには落とし穴がある。そういう言葉を書くのは、多くの場合、現代の若者のことをあまりご存じない年上の方々だ。芝居を見て『これが現代の若者像だ』と納得し、安心してはいまいか?」「中には、自分のことだけを書いて、それを登場人物達の台詞に振り分けているだけの戯曲もある」。 その指摘も受けて、再検証。その上で評価が高かったのが、中村圭吾だ。現在(いま)と普遍に対峙し、文体とシチュエーションの独自性が際立っている。
鴨梨は、語り尽くせぬことを語り、寂寥を浮かび上がらせた台詞が、高く評価された。
田宮ヨシノリは、SNSなどバーチャルな関係性の真の意味を、日常性の中で立ち上げている。
大川朝也は、現代の若手劇作家には珍しく、労働者の視点から鋭く社会を捉えようとする。
次に演出では、田中陽太のスタイルのオリジナリティが評価された。
俳優では、田宮ヨシノリが、Plant Mや万博設計、うさぎの喘ギなど、先輩達の劇団に次々に客演し、着実な成果を上げている点が高評価。さらに若い世代で注目されるのが、熊谷帆夏。劇団外での客演も多く、各舞台の成功に貢献し、存在感を発揮している。芝居の勘のよさが抜きん出ているという評価もあった。
久野泰輝は、演劇を軸にした企画レーベル「REFUGIA」のコアメンバーとして、京都を中心に既存の枠組みに捉われない独自の活動を展開。また俳優として、よるべや人間座などの公演に出演。飄々とした佇まいの中に、不気味さとユーモアを漂わせ、誠実さと底知れなさの同居する演技が評価された。 一方、実績と行動力という点では川村智基。多作で活動範囲が広く、2026年は、株式会社precogが主催する人材育成プログラム「BRIDGE」にも採択され、東京公演を行うなど、軽やかに活動展開している。
ほかに、シイナナは集団として候補に挙がった。脚本・演出・演技・各スタッフの総力戦で、闇と気配の表現により、カフェを見事な劇空間に変容させた点が評価された。
キャメロン瀬藤謙友は、扇町ミュージアムキューブの運営に立ち上げから関わり、ワークショップやトークイベントなどの企画を通じ、関西演劇のハブとなる場を作り出そうとしている点が注目されており、今後の活躍に期待が高まる。
さらに評価の要素が広がる
候補者は、それぞれの仕事で舞台に貢献しており、どうにも一人には決めにくい。話はさらに広がり、「若いアーティスト達が集まって、何らかの活動をする時、自ら発起人となり、一番大変な仕事を担っているか?」といった実績への評価、そして次第に創作の才能だけではなく、人に対する賞であるため、人間性・器量という観点も必要ではないか?という話になった。勿論、選考委員とのつきあいの有無は関係ない(むしろそれを加味されては困る)。
ではどういう視点で、それを客観的に判断するのか?という話になった時、「スタッフを大事にする人」という観点が出てきた。選考委員にアーティストがいるからこそ、生まれた発想である。全員かなり納得する。確かに、演劇作品を通して「人を大事にする」ということを描いているのであれば、本人も人を大事にしてしかるべきである、と。
話の収拾が、いよいよつかなくなった。
田宮ヨシノリの存在感
ただ、様々な評価基準が出され、話し尽くした時、ふっと全員から揃って浮かび上がったのが、田宮ヨシノリの名前である。戯曲はもとより、演出家としてのキャスティングの秀逸さや、俳優としては、小劇場だけでなく、中・大劇場での舞台姿も見てみたいと思わせる、多様な可能性を秘めている。様々な観点から、期待と信頼が高まってくる。
彼が関西演劇界にずっといてくれたら、関西演劇はさらにおもしろくなっていく。近々、実家のある名古屋に引っ越すという噂を耳にした委員もいたため、そのことも話し合ったが、今は観点には入れないことにした。昨今、地域間交流も盛んとなり、複数の拠点を持つアーティストもいることでもある。どういう形であれ、関西演劇界に彼は必要である。その意思表示として、未来への期待を彼に込め、授賞することで全員の意見が一致した。(授賞決定後、本人に確認したが、引っ越すのは事実であるものの、引き続き関西での演劇活動は行っていくとのこと)。
勿論、他の候補者、そして今回、候補に上がらなかった若手にも、期待したい人はたくさんいる。賞はタイミングもある。冒頭で示したように、賞の立ち位置も考え、早すぎる授賞というのは、かえって重荷にもなりかねない。ベストタイミングでの授賞を考え、今後も関西演劇界に貢献してくれる人材が増えていく未来に期待したいということで、選考会が終了した。
優秀作品賞10作の評価理由
ネクストドア賞の評価理由
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田宮ヨシノリ(よるべ)
よるべ『三角形の片隅は』の劇作では、広がり続けるインターネット社会の中、誰もが異なる風景を観ているような、パラレルワールドと化した現代社会を引き受け、生き延びるためのひとつの思想を提示した。コミュニケーションの観点から世界を照射し、作品の力で関西演劇界に刺激を与えた点が評価された。
俳優としても多種多様な団体作品に関わり、豊かな表現力と、特有の艶のある演技で、作品の成功に貢献している。またそこでの出会いを自身のチームに取り込んでいることで、ユニットとしての大きな成長も感じられる。
演出においても、自身の演じ方や思想が座組全体に色濃く染み渡っており、チームとしての結束力を感じる。
これからの関西小劇場を牽引していく充分な可能性を備えている。田宮ヨシノリ(よるべ)
中村ケンシ
今、関西の若手演劇人には、とても野心を感じている。ここで言う「野心」とは、「世界を解明したい」という野心である。「生き延びるための思想を掴みたい」という野心である。共鳴する。できる限りたくさんの「野心」を観たいと思っているのだが、開催される全ての公演を観ることはできないので、苦肉の策である。私は私を「演劇に興味のあるありふれた生活者」と設定し、その「私」に訪れる情報とアトラクトに従い、観る作品を選択した。そして観劇した公演の全てが刺激的で面白かったのだ。その中でも、田宮ヨシノリ作品は輝いていた。
よるべ「三角形の片隅は」(田宮ヨシノリ作・演出)を心斎橋ウイングフィールドにて観劇。舞台は繁華街から少し離れたマンション裏手の路地。その路地にたむろする若者二人(コウヘイとテツヤ)がいる。彼らの口からそのマンションに住んでいたタケルの失踪が語られる。「タケル」は路地に集う彼らの「寄る辺」だった。しかし、その「寄る辺」は確固たるものではなく(彼らはタケルのことをほとんど知らない)、あいまいな世界の濁流に呑まれながら、手を伸ばした川縁の枝にすぎなかったのかもしれない。しかし、彼らにとって切実であった。その枝が消えても、そのあいまいさ故に、あの街角に人が集まる求心力になっており、しかしながら、その求心力は頼りない。路地にカフェがオープンする。店主の恋人はコウヘイの昔の恋人だったが、二人の記憶の情景は異なっている。この構造の特異性。登場人物はたくさん喋る。すでに内的言語(サブテキスト)ではコトバが失われており、それ故に外的言語(テキスト)では表層を埋めるようにコトバを並べ立てる。他者と繋がるモノを探している。しかし、繋がらない。本作品では、現代社会を投影する絶妙な舞台設定が用意された。
私は現代社会を読み解くキーワードのひとつはパラレルワールドだと思っている。元々他者が観ている世界と自分が観ている世界は異なる(パラレル)のだが、現代は、SNSの功罪もあり、情報が偏り、同じ事実を観ていても、他者と私とでは観ている世界が大きく異なる分断の社会である。その差異が強化され、複雑に入り組みながら形成されていて、大きな歪みとなっており、他者と共鳴することは非常に困難な時代だと感じている。
田宮の劇世界は、このパラレルワールドが見事にメタファーとして練り込まれ、このワールドを生き延びるための「思想」が、これもまた見事に練り込まれていたように思う。ラストに向かい、カフェのオープンの窓明かりに導かれて、それぞれの人物の選択した物語が明らかになっていく。道を見つけた者、黙って去って行く者。お互いに通じ合うわけではなく、それが幸だったのか不幸なのか、そのことはもう少し先に持ち越される。では、人と人はどう繋がっていけばよいのか。田宮は模索する。それは身体なのだ。身体は引き摺るのだ。友人に去られ、昔の恋人との記憶すら合わないコウヘイはパラレルワールドの狭間に落ち込む。しかし、身体があるが故に、その場所で佇むのだ。
田宮の劇世界が稀有なのは、物語を見つけて未来に走り出す人々側ではなく、残された人物、留まる人物、パラレルワールドの狭間に身体ひとつで佇む途方に暮れる側に、寄り添う。まさしく現代における「寄る辺」ではないか。人はそれでも世界に在る。それは希望である。この殺伐とした時代に一筋の光を放つ。次世代の扉(ネクストドア)を開けるのに、ふさわしい傑作であった。
この度は第4回関西えんげき大賞ネクストドア賞に選出いただき、誠にありがとうございます。『三角形の片隅は』に関わってくださった皆さま、これまでよるべに参加してくださった皆さま、そして俳優として関わらせていただいたすべての座組の皆さまに心より感謝いたします。コロナ禍で演劇を続けることの難しさを経験し、一度立ち止まった同世代も多かったと感じています。そうした中でいただいたこの受賞を糧に、新しい賞の一端を担う気持ちを胸に、これからも演劇を続けていきます。
(田宮ヨシノリ)
副賞
| 財団法人一心寺文化事業財団提供 | 30,000円 |
|---|---|
| <上演支援>横浜・若葉町ウォーフ | 劇場・楽屋・宿泊(二段ベッドの8人部屋)の利用料 それらすべてを含み(冷暖房費のみ別) 週末木・金・土・日曜4日間トータルで162,000円(税込み) |