コロナからの復興企画~関西演劇を広める、広げる

関西えんげき大賞

アーティスト・インタビュー 文体を舞台化する―サファリ・P『悪童日記』に込めた山口茜の思い VIEW:266 UPDATE 2025.06.03

京都の演劇カンパニー「サファリ・P」が、ハンガリー出身の作家、アゴタ・クリストフ(1935~2011)の小説を原作にした舞台『悪童日記』を、6月から12月にかけ、京都・愛知・東京の3都市で上演する。2017年の初演以来、上演の度に再創作を繰り返し、深化させてきた挑戦的な作品だ。「文体そのものを舞台化したい」。脚本・演出の山口茜は、創作の出発点には、そんな思いがあったと語る。

固有名詞と感情表現がない小説

サファリ・Pは、主に既成戯曲や小説を原作にして舞台を立ち上げてきた。『悪童日記』は、原作の候補をカンパニー内で話し合う中で浮かび上がった作品だった。
小説には明確に書かれていないが、舞台は、第二次世界大戦中、ドイツの支配下にあったハンガリー。主人公である双子の少年は、大きな街の戦火を逃れ、母方の祖母が住む田舎町に疎開してくる。双子を預かった祖母は、けちで粗野で、何かにつけて二人をぶつ。双子は、その暴力に慣れるために互いを殴り合い、飢えに慣れるために断食する。奇妙な決まり事を作って自らを鍛え、過酷な日常をしたたかに生き抜いていく双子の姿が、彼らの日記という形で淡々と綴られる。暴力、貧困、病気、虐待、殺人……複雑な要素をそのままに抱え込んだこの小説は、1986年のフランスでの出版以来、世界各国で翻訳され、人々に衝撃を与えてきた。
文体が特徴的だ。固有名詞は登場せず、内面描写が一切ない。双子は「ぼくらが記述するのは、あるがままの事物、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない」とし、「美しい」「好き」といった客観性に欠ける言葉を日記から注意深く排除する。原作にひきつけられた山口は「でも、この物語だけを舞台として立ち上げたら、感動して泣ける話にはなるかもしれないけれど、戦争をなくすための思考にはならないのではないか」と考えたという。原作者のクリストフ自身は、1956年、旧ソ連の支配に対して民衆が蜂起し、鎮圧された「ハンガリー動乱」の折に国外に逃れた。彼女はやがてスイスに住み着き、工場で働きながら、生き延びるために学んだフランス語で小説を書き始めた。「母語ではない言語で書かれたためか、文体はシンプルで、血肉化されていないというか、肉体と分離しているように感じられる。この文体をこそ舞台化したい、と直感的に思いました」。

ミニマムな表現手法で

原作から入念にテキストを抽出し、俳優・ダンサーたちの躍動する身体と、5台の平台のみの装置というシンプルな表現手法で、文体を空間に転換する試みに挑んだ。京都での初演は2017年。2019年に再演し、同年には女性アーティストが集うコソボ共和国の芸術祭「Femart Festival 7th」に招待された。熱気に包まれた劇場で現地の人々の熱いスタンディングオベーションを受け、続いて瀬戸内国際芸術祭に参加。2024年には、THEATRE E9 KYOTOで上演しており、今回が通算6度目の上演となる。
顔ぶれは少しずつ異なるものの、一貫して出演者は5人。それぞれが、双子、おばあちゃん、「兎っ子」と呼ばれる隣の娘、町の司祭を演じ、双子役以外の3人は、双子の母や父、司祭館の女中、刑事など複数の役を演じていく。双子役は、男性二人が演じたこともあるし、男女が演じたこともある。原作の背景にはクリストフと兄との親密な間柄があるとされており、双子の一方を女性が演じると、原作者自身の存在も双子像に重なってくる。今回の配役は、双子の一方が達矢、おばあちゃんが佐々木ヤス子、兎っ子が芦谷康介(以上サファリ・P)、司祭が辻本佳、双子のもう一方が森裕子(Monochrome Circus)。
芝居は「彼は、男性です」と俳優の外見を説明するところから始まる。俳優の外見の特徴を述べていく中で、徐々にその俳優が演じる役の外見へと説明がスライドしていく。いつの間にか劇が始まり、登場人物の感情が高まると、突如、俳優が役を離れ、再び「彼は…」と外見を説明し出す。このことが一種の異化効果を生み、観客は双子の日記にある「真実だけを記す」というルールに立ち返ることになる。振りは出演者のアイデアを基本に、調整して決める。まさに「いま、ここ」にいるメンバーの個々の身体が、上演の度に新たな創造につながっていく。今回はさらに、原作から抜き出した文章を適切な場で発話することにより、物語の筋が理解しやすくなるようにした。「今回は結局、あまりスピード感は重視していない感じになってきました…」。

「消費されない」あり方を目指して

『悪童日記』を読むと、第二次世界大戦中にユダヤ人が受けた激しい迫害がわかってくる。だがこの小説は、ある時代の、ヨーロッパの田舎町の、特異な戦争の物語として簡単にくくれるものではない。パレスチナ自治区ガザ地区の人々をはじめ、この世界には、非人間的な戦闘にさらされている人々が今も多数存在する。だからこそ山口は、この舞台が「感動するための物語」として消費されることを拒んできた。サファリ・Pが選んだミニマムな表現手法は、極小であるがゆえに力強い普遍性を獲得し、観客の心をざわめかせ続けている。山口は、今回の上演で挑む新たな課題を「瞑想」と表現する。「出演者が各々の呼吸に集中し、演技によって立ち現れる感情や思考を表現しないという作業をより意識する」というのだ。
「文体そのものを舞台化しようと考えた、その原点に返りたいんです。そのために、もう一度原作を読み直し、台本を作り直しました。その作業の中で、これまでの作品では、原作小説に書かれていないことを私が勝手に想像力を膨らませて補ってしまっていたことに気がつきました。そこで今回は、その私の想像力の部分を完全になくし、戦時下では、それが真実かどうかということよりも大切なことがあるのではないかと、観客に気がついてもらえるような演出にすることにしました」。

2023年にオープンした名古屋の「メニコンシアターAoi」の芸術監督としても多忙な日々を送る山口。だが活動の拠点はずっと京都だ。「強い意志を持って関西を拠点にしているのではないんです。本能的に離れられなくて」と笑う。「東京にはあこがれるし、そこで市場価値のある自分、消費される自分になりたい、と思うこともいまだにあります。でも現実の私のあり方は、それとはちょっと違っています」。8歳と5歳の子の母でもある山口は、最近、子供たちと一緒に滋賀の山に登った。「子供たちは岩場や水場を乗り越え、全身を使って一心に登っていく。きっと『自分の中にある喜び』を感じたからでしょう。子供たちには、喜びは『外から見られる』ことにではなく、『自分の中にある』と感じる人間であってほしい、と改めて思いました」
なぜ自分は演劇をするのだろうか。「喜びは自分の中にある」という言葉は、演劇と向き合う山口自身の姿勢を示すキーワードのようでもある。

(取材・文/畑律江)

【京都公演】

■公演日
2025年6月
6日(金)19:00~
7日(土)13:00~
8日(日)13:00●~
●託児サービス
舞台上の字幕表示あり(日英対応)
※受付開始は開演の45分前、開場は30分前

■会場
ロームシアター京都 ノースホール
(京都府京都市左京区岡崎最勝寺町13)
URL:https://rohmtheatrekyoto.jp/

【愛知公演】

■公演日
2025年6月
14日(土)13:00~
15日(日)13:00●~
●託児サービス
舞台上の字幕表示あり(日英対応)
※受付開始は開演の45分前、開場は30分前

■会場
メニコン シアターAoi
(愛知県名古屋市中区葵3丁目21-19)
URL:https://meniconart.or.jp/aoi/

【東京公演】

■公演日
2025年12月
19日(金)19:00~
20日(土)13:00~
21日(日)13:00~
舞台上の字幕表示あり(日英対応)
※受付開始は開演の45分前、開場は30分前

■会場
すみだパークシアター倉
(東京都墨田区横川1丁目1-10)
URL:https://theater.sasayacafe.com/