全く新しい文体で、関西演劇界に新風を巻き起こす、最も熱い注目を集める演劇アーティストの一人、山本正典(40歳)。兵庫県を拠点とする劇団、コトリ会議の劇作家・演出家・俳優である。12月2日から、兵庫県伊丹市のアイホールで新作『みはるかす、くもへい線の』が披露されるのを前に、作品作りのことや、これから行いたいこと、そして、彼に最も影響を与えた劇作家・演出家・俳優の鈴江俊郎への思いなどを聞いた。芸術とは「伝授」である。先人の影響を受け、次第に独自の世界を花開かせていく。鈴江から受け継がれた演劇の精神が、山本の中で今後さらに、どのように花開こうとしているのか。興味深い話を聞くことができた。
鈴江俊郎との出会い
コトリ会議は、10月9日に『全部あったかいものは』のツアーを終えたばかり(東京・こまばアゴラ劇場、兵庫県豊岡市・江原河畔劇場。ほかに大阪市立芸術創造館での試演会も)。2019年初演の山本正典戯曲の再演である。清涼飲料水工場の、古びた畳敷きの休憩室を舞台に、正社員や派遣社員、そしてかつて社内で事故死した女性の亡霊などの会話が綴られた。畳の目を見詰める人物達の姿は、鈴江俊郎の名作『ともだちが来た』を彷彿とさせるものであった。「創作を始めた時は、『ともだちが来た』のことは無意識でした。ただ、戯曲の執筆中や、稽古中に、何度も鈴江さんの顔と声が浮かんできました。演出をしていても、あれ、いつの間にか僕、鈴江さんの口調になっていないか?と思うこともありました(笑)」。
山本が演劇を始めたのは、大学在学中のこと。京都の小劇場の劇団(すでに解散)で俳優を始め、フリーになってから様々な公演に参加するうちに、鈴江俊郎と出会った。まず観客として、アイホールが主催する演劇ワークショップ「アイホール演劇ファクトリー」の第8期生発表公演『純喫茶マツモト』(2004年、鈴江俊郎作・演出)を観劇。「役者の熱量に衝撃を受けました。舞台上でどんどん机を積み上げて行くなど、そこに意味を見出すかどうかよりも、その熱量に僕は強く心を打たれました」。そして鈴江の主宰する劇団八時半の最後の公演『ここはむかし沼だった。しろく』(2007年)に俳優として参加。公演終了後、事務所で鈴江と一緒に後片付けをしていた時、鈴江から戯曲を書くことを勧められた。その時の鈴江の言葉は「お前は台本を書け、と。今から演劇を志すなら、役者だけでなく、劇作や演出などいろんなことをやって、そして、『何か』を立ち上げろ、と言われました」。
山本が鈴江に惹かれる理由は「体当たりなところ。何でも行動に移すところ。劇作、演出、役者、そして戯曲集の雑誌も作るし、照明もする。計算立ててやっているとは思えないのですが、気持ちが向いたことは、すべてやってしまわれる方です」。劇団八時半解散後も、鈴江の主宰するユニット公演などに俳優や照明操作で参加。鈴江の薫陶を受けつつ、2007年にコトリ会議を結成し、劇作を開始した。
宇宙人が登場する理由
コトリ会議という劇団名の由来は「小さい生き物、例えば小鳥のように電柱の上から俯瞰していく。人間の営みに興味を持って、再現していく、という意味。そして、『コトリ』とカタカナ表記にしたのは、コトリという擬音として、ささやかなものを表す意味もあります」。
死や人間の孤独に対する優しい眼差しは、鈴江と共通するものが感じられるが、鈴江が生身の人間を描いたのに対し、山本は、作品に宇宙人を登場させる。「僕、悪人を書くのが苦手なんです。人間の邪悪な部分が書けなくて、宇宙人にやってもらっています」。俳優が頭にアンテナを付けて登場する、あるいは途中から付けることもある。「アンテナは、『宇宙人ですよ』の記号です。間抜けな者、身近な者を表す意味もあります。宇宙人がすべて邪悪を表すというわけではなく、人間ではない者、人間社会の外側から影響を与える者という意味もあります」。
場所設定は、月世界などの異世界、あるいは一見、日本の田舎町だが、人類が滅びた後のような、現実世界とは異なる空気感のある場所であることが多い。「演劇ならではのおもしろさとは、身一つでどこへでも行けるところです。宇宙でも地下でも、どこへでも。せっかく演劇で表現するなら、いろんな所に行ってみたいんです。それが寓話的なものと結びついて、僕の文体と相性がよかったんです。月に行くと、日常とは違う困りごとが、向こうからやってきてくれる。それにあたふたする人々を描くことと、困ったシチュエーションをどうやっておもしろおかしく作ろうか、ということを楽しんでいます」。山本の台詞は詩情に溢れ、人間の感情の切なさが繊細に浮き彫りになるが、どこかユーモアに満ちているのは、“お困りごと”の仕掛けの滑稽さによるものなのかもしれない。
山本は“お困りごと”が好き
山本の“お困りごと”好きは、台詞のスピード感にも表れている。俳優は早口でしゃべる。1980年代の小劇場ブーム真っ盛りの頃も、早口の台詞回しが多かったが、その頃の早口とは、ニュアンスが明らかに異なる。1980年代は、バブル期のお祭り騒ぎの時代。狂騒的な時代のスピートを先取りするようなものだったと記憶する。山本の場合の早口は「鈴江さんの『変種』でしょう(笑)。鈴江作品には、ちっちゃいことや大きなことを含め、困っている人がよく出てきました。役者として出演している時、困っている時の表現として、早口がやりやすかったんです。困っていることに対応する時、早口が熱量として表現しやすい。現代社会のスピード感からくる熱量ではなく、個人個人がその場で一生懸命やること。その熱量です。僕の戯曲を演じようとする時、台詞の裏にあることを深読みして表現しようとする人もいるのですが、そうではなく、状況として死ぬか死なないかの瀬戸際、何も考えずにしゃべっていることを体感するために、早口でしゃべってもらいます。困った人を書くのは、大好き(笑)。いかに困っているかを考え出すのがおもしろいです」。
では、その困った人が、どうなっていくことを描きたいのかを聞くと「問題が解決できず、放置されていく中、困ったことをすべて受け入れようとする姿です。そして、受け入れた後、最後に、絶対にそこには、人が二人います。一緒に受け入れてくれる人を発見する。それが書きたいんです」。
死の気配が意味するもの
山本作品には、死の気配が常に漂う。この世からいなくなった人と、取り残された人を描く設定もある。「大学時代に、友達が急死したことや、家族を見送った経験も大きいです。僕、幽霊が見たいんです。境界を越えて、出会いたいんです。そして、あの世があってほしいと願います。それは、このまま死ぬのが怖いからです。見送った人とも、また出会いたい。死んだ後も世界が連綿と続いていく。そんなイメージです」。
新作は、峠の頂にある不思議なコンビニが舞台
新作『みはるかす、くもへい線の』は、福井県(注・山本は福井県出身)と岐阜県の境目にある烏哭(からすのなき)峠という、架空の峠が舞台。かつてそこには、日本で一ヵ所だけの、日本海と太平洋が同時に望める場所という噂が立ち、人が集まって来た。だが、皆去ってしまった。実際に望める景色は、日本海と琵琶湖だったから。寂しくて残念な峠の頂に、コンビニが一件、ぽつんと建っている。か細い山道を、くねくね上ったところにある看板の明かりは、夜には異界の様に映る。店内は、異様に暗い。表情のなくなった人々が、そこにいた。
「コンビニは、街の真ん中にあるものですが、人の生活空間のはずれにあると、異空間になります。琵琶湖は、特に何かを暗喩した言葉ではありません。日本海と太平洋が見えると思って行ってみたら、実は太平洋ではなく琵琶湖だったと知った時の、人の反応はどうなのか。そこからご覧になった方が何を読み取って下さるのかを、作家としては楽しみにしています」。
何が人間で、何が人間でないのか。どこからが太平洋で、どこからがそうでないのか。此岸と彼岸の境とは、何なのか。境界線をテーマに物語を紡いでいく。
境界線がモチーフ
人間と人間の境界線に興味がある理由を尋ねると「今、まさにSNSなどを含め、人を人と思わない暴言が飛び交っています。満員電車の中でも、人を人と思わない行為を目にします。自分も人も、無意識に行っていることかもしれません。今、自分は、そして他者は、人を人として思っているだろうか。人間の尊厳や価値を今、自分は想像しながらしゃべっているだろうか。人の形をしている目の前にいる人は、人なんだろうか。そもそも、人とは何なのか。僕が演劇を見ていて、俳優とは特殊な仕事だと思うことがあります。宇宙人や、犬や猫を演じている俳優。客席から見ている人は、犬を演じる俳優を、どう見ているのだろうか。自分はどう見ているのだろうか。それを交感したい。それが宇宙人を登場させる醍醐味です」。ちなみに、山本作品には、着ぐるみを着た犬の役が、かなり頻繁に登場している。
俳優と観客の境界線をあえて曖昧にした照明
境界線というテーマは、今回の空間造形にも表れている。客席を劇場の中ほどに設置し、舞台とフラットにして、俳優が観客の目の前だけでなく、背後や側面にも現れる、“360度演劇”に仕上げる。照明も、劇場の機材ではなく、日常の生活空間にあるランプなどを持ち込んで、客席から見える人の顔が、俳優なのか観客なのかを迷うような仕掛けを考えている。実験的な試みだが、山本がたびたび依頼している照明家の石田光羽は、山本の劇世界を立ち上げる名手。「僕は鈴江さんの照明の癖が好きなんです。役者の顔に直接明かりを当てるのではなく、上からの限定したちっちゃい明かりで、顔に当てるか当てないかくらいの所を狙う明かりなのですが、普通そのことを照明家に依頼すると、『え?』という表情をされます。ですが、石田さんだけはすぐに『はい』とおっしゃって、僕のイメージ通りの明かりを作ってくださった。言葉に表さなくても、共通の景色と空間を思い描いて下さる方です」。
アイホールの劇場空間を生かしつつ、コストはぎりぎりまで抑え込む
装置は仕込まず、照明も持ち込みで行う。それには、アイホールの事業予算削減の問題が大きく関係している。2021年に伊丹市の予算削減により、劇場閉鎖問題が起き、何とか継続はかなったものの、自主事業予算が激減。貸館中心になった。今回の公演では、アイホールの演劇専門性を生かした舞台を作り、広く市民に向けて劇場の魅力を発信していくことを目指す。伊丹市民割引もあり、またプレトークや創作現場の公開など、市民に気軽に演劇を楽しんでもらえる企画も考えている。だが、これまでは劇場の自主企画の一環として上演してきただけに、初めての貸館公演は「どれだけこれまでアイホールにお世話になってきたかを、改めて実感しました」。マンパワーの面でもそうだが、公演にかかる経費が跳ね上がった。そのため、アイホールの演劇空間としての魅力を生かしつつ、借りるものは椅子と幕だけにし、照明・音響機材は持ち込みにして、コストをぎりぎりまで抑え込んだ。知恵と工夫を重ねることで、また新しいコトリ会議の世界観が楽しめそうだ。
作り手の醍醐味は、稽古場にある
来年1年間、劇団公演はあえて行わない。その間やりたいことは「拠点となる稽古場を持つこと」。コロナ禍でのリモート稽古を経て、改めて実感したことは「本番も勿論大事ですが、作り手側の醍醐味は、稽古場にあります。一緒にいられる時間をいかに持てるかを、模索したいです」。
なお、今回の公演でも、演出は山本の名前ではなく「コトリ会議」と記載されている。空間演出プランは山本が考えるが、作品作りは稽古場で、出演者全員が話し合いながら行う。様々な意見交換を経て、最終的にジャッジするのが、山本だ。「台本にあえて余白を作って、現場で想像し、立ち上げていく方法をとっています」。
コトリ会議に「劇団代表」という肩書の人はいない。山本に「劇団代表」「作」「演出」のすべてが集中することにより、パワーバランスが偏ることを避けるためだ。あえて代表者を決めずに活動している。オフィシャルな書類などで代表者名の記入が必須の場合は「創作代表:山本正典、制作代表:若旦那家康」と記している。新しい世代の、新しい集団論として注目される。
関西演劇界に、今必要なこととは
関西えんげきサイトのアーティスト・インタビュー欄では、関西演劇界に今、必要なことは何だと思われるかを問うて、問題を共有しようと考えている。その質問をしてみると「僕が考えていたことは、これまでのインタビューで、全部言われています(笑)。それ以外では、『和』です。劇団の和を見せるのが演劇だと思っています。劇団の空気感や信頼関係をお見せする。ほかには、上の世代の演劇人から『最近、劇団同士が連携した演劇祭をやらなくなったね』と言われたことがあります。まず劇団として、拠点も作り、内部の信頼関係がきちんとできた上で、他の劇団との連携や和を楽しみたいですね。結局、マンパワーでしかないですから」。
鈴江俊郎は、創作活動と並行し、常に状況と闘ってきた人だ。2000年代初頭、大阪市内の主な小劇場が、経済不況などの理由で次々に閉鎖に追い込まれていった時「大阪のど真ん中に小劇場を取り戻す会」が結成され、その中心で動いていたのも鈴江であった。その気力と根性が、山本に受け継がれているようだ。長期的な存続のめどが立っていないアイホールにおいて、その演劇専門性を伊丹市民に幅広く伝えようとする努力。これまでのような、劇場主催、あるいは提携公演とは異なり、貸し館で利用する場合の利用料金は、小劇場の劇団にとって手の届きにくい値段ではある。だが、それを知恵と工夫で乗り越えようとする姿勢。アイホールから演劇の灯を途絶えさせまいとする強い思い。困難な状況に立ち向かう精神力と行動力。
ただ、「闘う」という言葉は、山本には似合わない。穏やかな人柄と佇まいには、「和」という言葉がふさわしい。和をもって、厳しい関西の演劇環境に立ち向かう。和の力が、どんな未来へとつながるのか、楽しみで仕方がない。