劇団未来が創立60周年を迎えた。創立以来劇団代表を務めた森本景文が2018年に急逝した後、演出を一手に引き受けるしまよしみち(45歳)。人望の厚い、巨星急逝のショックを、劇団員とともに乗り越え、森本の志を継承。座付作家・和田澄子作品をはじめ、常に良質の戯曲にアンテナを張り、最近は海外、日本の小劇場演劇を含め、現代戯曲の上演が続く。1987年、大阪市城東区に「未来ワークスタジオ」という拠点を構え、年2回、コンスタントに公演を行い、それぞれ5~12ステージを上演している。
11月4日から幕を開ける『パレードを待ちながら』(ジョン・マレル作)公演を前に、本作の魅力とともに、創立時から生き続ける「信念」についてインタビューした。
職場や家庭での生活体験をもとにした芝居創り
劇団未来の創立は1962年。二つの地域演劇サークル「大阪演劇教室研究会」と「現代座」が合併し、発足した。旗揚げ公演の「差別」の作者である和田澄子は、今も現役の座付作家である。さらに、旗揚げ公演に協力出演した「新生会」も翌年合流し、総勢31名となり、大阪の地域演劇サークルの大同団結となった。劇団員は現在14名。27歳から90歳までと幅広く、平均年齢は57歳だが、20代と40代が半数以上を占める。男性4人と女性10人が所属する。
創立時のスローガンは「私たちは働きながら演劇を創りひろめる」「私たちは職場や家庭での生活体験を基礎にして、働くものの幸わせな社会につくり変えるため演劇を創りひろめる」「私たちは民衆から学び、集団内で徹底的に話しあい、学習しあい、演劇を創りひろめる」「私たちは平和と民主主義をおしつぶす文化支配と闘い、演劇を創りひろめる」というもの。演劇行為の目的の明確さが、見事だ。
このスローガンについて、しまよしみちは次のように語った。「『働きながら』はとても重要なポイントです。結成当時、『プロ』を選択するか?しないか?という決断が、大きなポイントだったと聞いています。当時のプロとは、劇団活動だけで食べていくことを目指すもの。稽古も昼間になります。それに対し、劇団未来は、昼間働きながら夜、稽古をする道を選びました。その意味で、たとえプロと呼ばれなくてもいい。でも、同等の作品を作っていくことを目指します。また、プロの道を選んだとしても、劇団だけで食べられない時は、バイトをすることになると思います。僕達は、安定収入があることで、生活に不安もなく、また芝居にお金をかけることもできます」。
結成当時は公務員、企業の正社員などが中心だった。現在は公務員、正社員のほか、ソーシャルワーカー、デザイナーなど、フリーランスも含め、職種は幅広くなっているが、結成当時のスローガンである「私たちは職場や家庭での生活体験を基礎にして」芝居を作るという点は変わらない。しまは、総合印刷会社の営業職に就いている。「僕が入団した頃、創立メンバーの則清泰男から『仕事は簡単にやめたらあかんでぇ、仕事がうまいこといってる時は、劇団活動もうまいこと行く。どっちかアカンようになったら、どっちもアカンようになる』と言われました。また森本景文からも『忙しいという理由で、劇団活動を休止しないほうがいいです。忙しくない時はありません。両方やるべきです。「暇になったら」の時には、できないことが増え、あの時にやっといたらと後悔します。忙しくても劇団活動は続けた方がいい』という言葉が、身に染みています」。
ほかのスローガンの「働くものの幸わせな社会につくり変えるため演劇を創りひろめる」「私たちは平和と民主主義をおしつぶす文化支配と闘い、演劇を創りひろめる」について、しまは「劇団がメジャーになると、そのメッセージも発信力を持つかもしれません。が、今は、大上段に構えてはいません。僕達も芝居を創ることで気づくこと、発見することが多く、また、知れば知るほど、知らないことがどれほどあったかも知ることができます。芝居に関わってくれた人達と、芝居を見てくださった方々が、一緒に何かを知って頂く機会になれば嬉しいと考えています。社会的な問題を、ただ批判するのではなく、まず知りましょう、というところからアプローチしたい。情報を知ることで考え、気づくことにつながります。また『文化支配と闘う』ということについては、僕達が『支配された』と感じても、権力を持つ人など、別の視点から見ると、また違うかもしれません」と、自然体で柔軟な姿勢の窺える答えが返ってきた。
活動拠点・未来ワークスタジオの魅力
大阪市城東区の京阪野江駅近くに構える、未来ワークスタジオ。客席数40席の小劇場だが、舞台の幅が5メートル30センチ、奥行きが5メートル45センチ、そして高さがなんと、5メートル42センチもある。幅、奥行き、高さがほぼ同じ寸法という割合。これだけの高さがあると、2階建ての舞台も組めれば、本舞台の後ろに、どこまでも続く(様に見える)坂道を作ることもできる。客席や舞台の組み方も、自由だ。多彩な演出が楽しめる、理想的な空間。維持しているのは、劇団員の団費である。どんなに忙しくても安定収入を死守していることの強みでもあろう。「私にとってワークスタジオは、なくてはならない場所となっています。失うことは<劇団未来>が消滅することを意味します。ここを維持継続することが、創作活動を続けることであると感じています」。
信じられる人物がいる戯曲を選ぶ
上演する作品は、実に多彩だ。ここ数年だけを列記しても、『その頬、熱線に焼かれ』(古川健作、2016年)は、被爆した女性達の実話をもとにした作品。『静かな海へーMINAMATA―』(ふたくちつよし作、2017年)は、水俣公害を描いた作品。『ストップキス』(ダイアナ・ソン作、2019年)は、LGBTへの偏見がテーマ。『スリーウインターズ』(テーナ・シュティヴィチッチ作、2020年)は、ユーゴスラビア設立と崩壊、クロアチアのEU加盟を背景にした作品。
「誰かに対して『うちはこんな劇団です。来てください』というカラーを打ち出すのではなく、今やりたいことをやる。どんな料理が出てくるか、わからない劇団として、楽しんで頂ければ」と語る。
だが、上演作品を決めるポリシーは、はっきりしている。「時代や国に捉われず、普遍的に抱える問題と向き合うことができる作品。そして、作品の中に『信じられる登場人物』が描かれていること。それさえ満たしていれば、ジャンルに捉われることなく、常に挑戦をモットーにしていきたいです」。
だが、戯曲探しは「地獄の様に大変(笑)」とのこと。「いつかやりたいと思って、温めていた作品は、5年前にやり尽くしました(笑)。劇団員の女性8人が活躍できる作品ということも考えて、ひたすら探します。書店、図書館、そして『テアトロ』『悲劇喜劇』などの演劇雑誌に掲載された戯曲、劇評に書かれていた作品。劇団民藝や俳優座、文学座の上演作品、その他ローラー作戦でまず登場人物の人数と女性の人数を確認して、主に僕から候補作を数作出した上で、劇団内で話し合って決めます」。
今回の作品では、銃後を守る女性達の生活感情を生き生きと描く
『パレードを待ちながら』は、1977年カナダでの初演以来、世界各地で上演されてきた名作。第二次世界大戦末期のカナダ・カルガリーを舞台に、銃後を支える女性達の活力と勇気が、時にユーモラスに描かれる。男達は名誉と栄光にかられ、勇んで戦地に向かった。女達は奉仕活動に励む。夫の帰りを待ちながら、別の男の誘惑に心が揺れるキャサリン。だが、夫が行方不明になったという電報を受け取る。国防婦人会のリーダーとして口うるさいジャネット。実は健康上の問題で夫が出征できず、世間から後ろ指をさされないため、彼女なりに格闘していたのだ。そして、ドイツ出身のマルタは、父がナチスとの関係を疑われ、逮捕されてしまう。それぞれ隠したいこと、抱えているものがありながら、一歩を踏み出そうとする彼女達。日常生活における他愛ないおしゃべりの中から、愛情や欲望、コンプレックスなど、様々な感情が浮かび上がる。
女性達は、新兵を戦地に送り出す前に、若い彼らにダンスを教え、楽しい体験を共有し、無事な帰国を祈っていた。
歌やダンス、女優によるピアノ演奏など、稽古することは山積みだが、さらに大変だったのは「カナダの当時の生活感がわからなかったこと。そして第二次世界大戦におけるカナダの立ち位置も知らなかったこと」。信じられる登場人物がいる戯曲を上演することをポリシーにしているだけに、人物像の肉付けは最も大事にしたいことだが、「人物達の生活や時代背景を知らないと、人物達が何を感じ、考え、感動しているのかもわからない」。片っ端から書籍を集め、読破。カナダの暮らし、歴史、そして何故カナダが戦争に向かったのかを時系列に整理し、理解に努めた。
なお、その汗の跡は、恐らく当日無料で配られるパンフレットで垣間見られるだろう。しまが中心になって作成するパンフレットは、常に力作だ。あらすじや時代背景、年表など、様々な工夫で、観客の作品理解の手助けとなる。本番前に、手の込んだパンフレットを演出家自らが作成する姿勢に、毎回感服するが、それは「より多くの方に舞台を楽しんで頂きたい一心です。舞台を創る過程で、私達が知らない内容は、きっとお客様も知らない、という前提で、視覚的にも楽しんで頂けるパンフレットを目指しています」。観劇の水先案内として、大切な観客サービスだ。特に、初めて芝居を見る新しいお客様のために、とても親切な姿勢である。
関西演劇界に必要なこととは
演劇活動を巡る環境がなかなか整わない関西演劇界だが、今、何が特に必要かを問うと「異業種交流と、辛辣で影響力のある批評家」という答えが返ってきた。
異業種交流については「演劇を創る人同士でも、劇団外で創造的な話をする機会が少なくなっていますが、他の芸術ジャンルの方々との交流は、さらに少ないです。演劇が盛り上がる、ということだけでなく、芸術全般が一緒に盛り上がっていきたい。他のジャンルの方々との交流の機会があるといいですね」。
批評家については、「アーティストを見る目のある人が多ければ多いほど、皆がアーティストや作品を知る機会が増えます。きちんとわかっている人が評価すると、創る側のレベルも上がります。もっと勉強しなければ、と触発されます。また批評が出ると、その戯曲を知り、読むことにつながります。その舞台が見られなくて残念と思ったら、次は見に行こうというアクションにもつながります」と、批評行為に期待する。
さらに、劇団未来として、今後行っていきたいことを聞くと「自分達がやりたいことをやる、を信条に、妥協せず、作品選びと創作活動をすること。全員が納得する芝居はないかもしれないけれど、異なる意見も採用して、共感できるところを見つける。劇団員の最大公約数としての満足につながる選択をしていければいいと考えています。その作品に関わった3カ月間がよいものだったと思えるように。その実現のために、次の世代にもつながる劇団未来として、目指せ100周年。『次世代を育てる』のではなく、野心を持った若者に入団してもらい、喧々囂々しながら、ともに成長できればいいなと考えています。今、私達がやっているのと同様、目上の人にも若い人にも『助け合い』の精神で『自分のためになる芝居創り』そして『自分のためになる人生の形成』になればいいと思います」。
インタビュー中、しまは「自分のため」という言葉をよく使った。「お客様のためではなく?」と問い返すと「お客様のため、というのは、なんだかおこがましいです」と、謙虚な言葉が返ってきた。上からの目線ではなく、視線は常に民衆と同じ位置にある。また「プロと呼ばれなくてもいい」と言いながら、決して趣味で芝居を行っているのではない。扱う作品は常に社会性があり、深く勉強を重ね、社会の構成員として、常に真摯に現代社会と向き合っている。劇団未来の芝居を観ると、私達を取り巻く現代の、そして未来の課題が見えてくる。舞台を創る側も観る側も、一緒に勉強し、様々なことを知りながら、未来に向かって一歩を踏み出す。それこそ、劇場がコミュニケーションの場として存在する意義であろう。劇団未来の小さなスタジオには、まさに「劇場文化」が息づいている。