コロナからの復興企画~関西演劇を広める、広げる

関西えんげき大賞

永田靖の劇評 チェーホフも鳥の名前 VIEW:3856 UPDATE 2022.01.24

アイホールにて上演されたごまのはえ作ニットキャップシアター第41回公演『チェーホフも鳥の名前』は2019年が初演、今回その再演を観劇した(1月14日観劇、兵庫県伊丹市アイホール、ごまのはえ作・演出)。
何よりもまずはこの作品の創作、上演、そして再演を果たしたことに敬意を表したいと思う。チェーホフなどロシアの作品の上演は日本でも多いが、この作品はロシア(旧ソ連)を舞台にしている数少ない作品である。その上で、この作品は、サハリン(樺太)を舞台にするということ、また日本人、朝鮮人、ロシア人のそれぞれ3つの家族のほぼ100年3世代にわたる年代記的な物語時間を描くということ、この二つの大きな難しさにあえて向き合おうとしており、その姿勢もまた歓迎したい。
3つの家族とは、まずは19世紀末のサハリンでロシア人ナターシャと結婚した農場主塩川の家族、移住囚だったロシア人家庭に女中として暮らすギリャーク人ウォッカと結婚するロシア人エゴールの家族、そして朝鮮人移住者のイ・ヨンとその妻チャングムの家族である。それぞれに子孫が生まれ、例えば塩川家では娘マーシャが医師荒木と結婚し(2幕)、終戦を迎え(3幕)、その娘節子は劇の最後までサハリンで暮らす。またウォッカとエゴールの間に生まれた息子源太は日本兵としてソ連兵と戦い(幕間)、娘「もとこ」は日本人と結婚(3幕)し、もとこは戦後には日本のいわき市で暮らすことになる(4幕)。イ・ヨンとチャングムには娘チョムスンが生まれ(2幕)、そのチョムスンの娘は戦後大阪に暮らす(4幕)。それぞれの物語が別々に進行するのではなく、時に相互に交差しながらこの3世代100年の歴史が語られる。

鳥としてのチェーホフ

現代の日本の劇作家がサハリンを舞台に劇を書くということは、その歴史についての何らかの姿勢を示すことになるだろう。言うまでもなくサハリンは当初はロシア領であったが日露戦争後には日本領となり、さらに太平洋戦争後にはソ連領(今はロシア領)となる北方の島で、そこには少数民族とともに、日本人も居住していた。それが太平洋戦争後には地政学的な境界が引き直され、今日に至っている。その意味では、日本から見ればサハリンは、満州や東南アジアの各地域と同様に、日本のポスト・コロニアル的な状況を集約的に示す一つの場所ということになる。時に墓参団が訪れるという報道がされるほどには、現在の日本からは近くて遠い。
劇作家・演出家ごまのはえ氏は、このサハリンを舞台にする作品を創作するにチェーホフを軸にした。それはタイトルが明瞭に示している。実際、第1幕にはチェーホフ本人が登場し、そのサハリン訪問記『サハリン島』よろしく囚人との面談を行う場面を描いて、19世紀末のこの島の生活の陰惨さを垣間見せているが、むろんそれがテーマではない。第1幕刑務所長デルビンの披露宴で所長自らの演説は、チェーホフ『三人姉妹』のヴェルシーニンの第1幕の長台詞から取られている。それは賢い教養のある少数の人間が何百年もの後には周囲に影響を与えて素晴らしい生活を送れるようなるという、一見未来に向けた希望を与える台詞なのであるが、同時にそんなことが本当にできるのだろうかというチェーホフ独特のアイロニーを示す未来観でもある。
この『三人姉妹』からの台詞は、その後、複数回引用され、終幕でも朝鮮人家庭の末裔のミジャに語らせている。「あなたがたは空しく消え去るのではない。あなたがたのあとに、あなたがたのような人が、今度は6人でてくるかもしれません。それから12人、それからまた・・というふうに増えていって、ついにはあなたがたのような人が、大多数を占めることになるでしょう。二百年後、三百年後の地上の生活は、想像も及ばぬほどすばらしい、驚くべきものになるでしょう」。つまり作品は数百年後の世界では賢い教養のある人間ばかりになっているだろうという話を半ば希望として、半ばアイロニーとして、この作品を通底させており、この考え方こそが(つまりチェーホフが)時間や国境を越えていける「鳥」なのだということを示している。
ただ、『三人姉妹』でこれがアイロニーとしてより良く響くのは、三人の姉妹がモスクワから遠く離れた地方の街にいて、本人たちはモスクワに帰りたいのに帰れないという、場所に縛られる一種の病理を患っているからである。どこにでも行けるものならそのような素晴らしい世界を探し歩けばいい。三人姉妹は場所に縛られる病理故に、自らの死滅後の数百年後の未来に托すしかないというアイロニーを生きている。

サハリンへの哀愁

しかし『チェーホフも鳥の名前』では、場所に縛られるこの「病理」については意図的に希薄なものにされているかに見える。そもそもこの作品ではサハリンに残るのは荒木家だけであり、前半はチェーホフ(野田)とホルムスク(真岡)という二つの町、そして第4幕ではそこに加えて大阪といわきという日本の都市を舞台に移している。つまりサハリンに縛られる家族(荒木家)だけの物語ではなく、拡散的に末裔たちの話になっていく。また、いわきでのウォッカの娘もとことかっぱの源さんの再会や、マーシャの娘節子とチョムスンとの再会など「再会」のモチーフが多用されている点など、全体が良い意味でメロドラマ的な雰囲気が通底し、「病理」の暗さは払拭されている。それはまた全体の演出が軽演劇的な手法、とりわけ前半でのチェーホフの喜劇『結婚申込』(19世紀ロシアの田舎地主どうしの縁組みのお見合いで、意図に反して地所の自慢と権利を主張しあい、破談になると言う喜劇)のパロディや、より土着的でノスタルジックなタムタムやチャンゴ、バラフォンなどパーカッション演奏や歌の使用によっても強調されている。
ナレーションやスライド解説、写真の映写などは、普通は物語を叙事的にし、物語に感情移入させないブレヒト的な手法として理解されるが、ここではそれらは、物語にしばしば同化し、このサハリンの病理を、サハリンへの哀愁へと転嫁させるものになっている。全体として3時間という、今日では長めの上演時間をも観客に飽きさせないのは、これらの演出技法の豊かさのためでもあり、この点でも今回もこの演出家の技量は巧みだ。
3世代の年代記的な演劇といえば、現代ではカナダのロベール・ルパージュ『ドラゴン・トリロジー』やスコットランドのデイヴィッド・グレイブ『ビクトリア』などを思い出す。『チェーホフも鳥の名前』は、ルパージュのメディアと空間の遊戯性に満ちたカナダのアジア系移民の越境の年代記でもなく、グレイブの象徴性を帯びたスコットランドのナショナリズムを批評的に捉え返す試みでもなかった。『チェーホフも鳥の名前』は「サハリン」を廻る日本近代史のいわば陰画的世界を演劇的楽しみに満ちた、日本人にとって親しみやすい物語にした。そのことでそれは灰褐色の陰画をちょうど印画紙に色彩豊かに焼き付けでもするように、私たちの手に取りやすいものになった。

サハリンに向き合う

サハリンは当時から日本人ばかりではなく、ロシア人、朝鮮人、そしてギリャーク人などの少数民族の暮らす多民族の地域だった。今日、より意識的になろうとすればそれぞれの人種の違いを単一言語(例えば日本語だけ)、単一民族(例えば日本人だけ)では演じようとせず、多言語と複数人種によって演じようとするだろう。ここではその種の上演にはならず、朝鮮語とニブフ語がいくらか用いられてはいるものの、劇の主要な要因とまでは言えない。
また3時間で上演するには登場人物とプロットが多すぎて、時に筋を掴みがたくしている。また俳優の複数役は効果的に働く部分とそうでない部分が交ざる(1幕のナターシャと2幕のマーシャ、3幕の節子を、同じ山岡美穂が演じるなどは血の繋がりと響き合って効果を上げているが、チェーホフ、宮澤賢治、そしてミジャは、千田訓子が演じ、もしかしたらこの三人に通底させる何かがあるのかと思わせるが、必ずしもそうでもない)。登場人物としての宮澤賢治は、チェーホフとともに、劇に奥行きを与えている(カッパのモチーフ、「星めぐりの歌」など)が、3時間の劇で、チェーホフ、宮澤賢治、そしてサハリンと日本近代史となれば、いささか「ラビッシュ(盛りだくさん)」に感じられるが、それはこの作家の観客へのサービス精神の裏返しでもある。
このような批評を述べるのは容易だが、それでもこの作品は日本の演劇にとって極めて重要な貢献をした。これまでも満州やシンガポール、台湾などを扱う作品は多かったが、サハリンという従来ほとんど正面から取り上げてこなかった主題に向き合ったことは賞賛されるべきだろう。あえて言うとすれば、3世代100年という大きな物語世界を持たせるなら、3時間に収めるのではなく、それぞれの世代の劇でひと枠の上演を完成させるくらいの、つまり劇全体で10時間ほどの長い上演時間をもつものにしても、この作家の技量からすれば決して怖れるべきではないだろう。

記事の執筆者

永田靖(ながた・やすし)

大阪大学中之島芸術センター特任教授
演劇学

1957年生まれ。大阪大学文学研究科長、副学長、総合学術博物館長などを経て、現在、中之島芸術センター副センター長。共編著等に『漂流の演劇維新派のパースペクティブ』(大阪大学出版会)、『アジア演劇の近代化プロセスと伝統』(英文スプリンガー)、『歌舞伎と革命ロシア』(森話社)、『チェーホフを翻案する テキストと変異』(英文ラトレッジ)、『ポストモダン文化のパフォーマンス』(国文社)他多数。

永田靖