コロナからの復興企画~関西演劇を広める、広げる

関西えんげき大賞

の劇評 近づく「夕暮れ」を感じつつ働き続けるということ VIEW:264 UPDATE 2024.08.20

劇作家・演出家の高橋恵が主宰する大阪の劇団「虚空旅団」が、9月、代表作の一つ『ゆうまぐれ、龍のひげ』を再演する(高橋作・演出)。目を奪われるような大事件が起きる舞台ではない。バブル経済崩壊後の「失われた30年」の中で、大阪にある町工場と、その工場を営む家族がゆっくりと変容していくさまが、淡々と、しかし温かみのある筆致で描かれる。新たなキャスティングで再演するこの作品に、高橋はどんな思いを込めたのだろうか。

舞台は大阪の小さな町工場

今回は、大阪・ミナミの小劇場「ウイングフィールド」が開催している「ウイング再演大博覧會2024」(5~11月)の参加作としての上演である。この演劇祭は、演劇団体が過去に上演して好評を得た作品を、「今」の視点でブラッシュアップして再演しようという企画。初演した会場はどの劇場でもいいという。ウイングフィールドは「見逃した芝居は面白い」をキャッチコピーに、1993年から2009年まで、再演博をほぼ毎年開催。その後一時休止させていたが、新型コロナウイルス禍が一応の収束をみた今、関西の小劇場演劇の面白さ、多彩さを改めて発信していこうと、15年ぶりに復活させたのだ。参加作には、スタッフが「自信を持って薦める」秀作11本がずらりと並んでいる。
『ゆうまぐれ、龍のひげ』は、虚空旅団が12年にウイングフィールドで初演した作品で、OMS戯曲賞の最終選考に残った(高橋はその後、14年に初演した『誰故草』でOMS戯曲賞大賞を受賞している)。
舞台は、大阪の小さな町工場の片隅にある坪庭。思い出の詰まった坪庭を見つめるのは、ここで生まれ育ち、今は家を出て会社勤めをしている娘の涼花だ。工場の創業者は涼花の祖父で、両親がその後を継ぎ、今は涼花の兄が三代目として経営にあたっている。海外から安価な製品が入ってくるようになり、工場の経営は苦しい。だが、高齢になった両親のために、坪庭をつぶしてエレベーターを設置することになる。涼花、兄とその妻、叔母ら、工場や家庭に対する家族のさまざまな思いが、この坪庭で交錯する。
実はこの作品は、高橋自身の実家がモデルなのだという。初演からはや12年。高橋は「実は実家の工場が、昨年更地になったんです」と話す。「一つの『場』がなくなるということに、自分自身、ショックを受けました。そして今改めて、こういう場所があったのだ、ということを一般の方々に知ってもらいたいと思い、再演を決めました」。

人間が「働く場」にひかれて

高橋はこれまでに、さまざまな「働く人々」を戯曲のテーマに取り上げてきた。看護専門学校を実際に取材し、看護師として働いた経験のある人約20人に話を聞いて書き上げた『フローレンスの庭』(07年、岩崎正裕演出)は、看護職を目指す若者たちの物語だった。『花里町プレタポルテ』(16年、上田一軒演出)では、廃れてしまった縫製の町を舞台に、縫製工場で働く人々の悩みと挑戦を描き出した。また『ダライコ挽歌』(20年、高橋演出)は、亡き兄に代わって町工場を継ぐために転職した新社長が主人公。関西の、いや日本の「ものづくり」を支えてきた中小零細企業で働く人々の努力と苦闘を描いた同作は、多くの観客の共感を集めた。高橋は「人が集まって働く場所に興味がある」と言う。「自分とは異なる価値観を持つ、いろいろな人々と向き合える場所ですから」。
高橋自身、十を超える職場で働いてきた。高校時代に演劇を始め、92年、甲南女子大学在学中に「劇団逆境VAND」を旗揚げ(06年に虚空旅団と改称)。大学卒業後も働きながら演劇活動を続けた。最初に入社したのは印刷会社。「ここでパソコンの技術を身につけたことが後々役立ちました」。同社を辞めた後も、さまざまな仕事を経験した。洋服の型紙を作るソフトの開発に携わったこともある。「転職を繰り返してきました。労働の対価をお金だけとみると割に合わないことが多いけれど、劇作家として職場を取材させてもらっていると思うと、どこもとても面白いんです」。どの職場にも、それぞれの人間関係があり、独特の習慣や文化があったりする。働いて得た経験は、高橋の戯曲の中に巧みに生かされている。
だが、働く人々を描いても、高橋の戯曲には、華やかな職業に就いている人や、成功した起業家などは出てこない。描かれるのは、明日が少しでも明るくなるようにと願いつつ、地道に、誠実に、自らの仕事に打ち込む人々の姿である。もはや経営の「夕暮れ」を迎えているような会社も登場する。高橋は「そんな会社が日暮れを迎えることは、誰にも止めようがないのかもしれない。でも、そこで働く人が、毎日ひどく不幸かというと、そうでもないように思うんです」と言う。
「誰だって年をとって死ぬ。それは止められない。でも、だからといって人は生を放棄するわけではないし、何もしないというわけでもない。死ぬことは決まっている、それでも日常を生きていく。そういうものなのだと思います」。『ゆうまぐれ、龍のひげ』に描かれる工場にも「夕暮れ」が迫っている。だが劇中の涼花は「人間にできること」として、「しんどくても生きて、死ぬこと」をあげ、「それってけっこう大事なことやと思います」と話す。いずれ廃業に向かうとしても、工場の仕事や家族の営みは当たり前に続く。そこからは、諦念やニヒリズムには簡単に陥らない、人間が持つ本質的な明るさがほの見えてくる。

劇作の二つの柱

高橋の劇作家としての仕事には、二つの大きな柱がある。一つは『ゆうまぐれ、龍のひげ』のように、地に足の着いた職場もの。そしてもう一つは、時代の流れの中を力強く生きた著名人を扱う評伝ものである。たとえば『光をあつめて』(12年、深津篤史演出)では女性写真家の草分けである山沢栄子を、『人恋歌~晶子と鉄幹~』(17年、大熊隆太郎演出)では歌人の与謝野晶子を、『落選の神様』(21年、高橋演出)では日本画家の片岡球子を、『四T(シーティー)~桜梅桃李~』(23年、高橋演出)では中村汀女ら女性俳人の先駆者4人の人間像を描いた。彼女らの人生の出来事を時系列で並べるのではなく、劇作家自身の視点で切り取り、改めて組み立てるのが高橋の評伝劇の面白さだ。しかも評伝に取り上げたのは女性だけではない。茶人の千利休や戦国大名の三好長慶など、守備範囲は幅広い。
虚空旅団のメンバーは現在、高橋を含め3人。高橋は今後も「職場もの、評伝もの、この二つの柱を軸に、劇作に取り組んでいきたい」と言う。随分かけ離れた2分野のように見えるが、しかし、著名か無名かの差はあれ、どちらにも、いつか終わりが来る生の時間を、思いを貫いて生き切った人間たちが描かれているように感じられる。少なくとも高橋が尽きない魅力を感じているのは、そんな人間像なのだろう。

10年たっても通用する作品を

今回の再演では、客演を含めた出演俳優5人のうち、3人が新キャストとなる。おのずと舞台の雰囲気も変化する。高橋は「作品の強度を上げるためにも、再演はもっともっとやればいいのではないか」と話し、「新作しか相手にしないという姿勢は、作る側、見る側の両方にとって疑問」と指摘する。「私たちは、10年たっても通用する作品を作ることができているのかどうか。それを検証していく必要があります」。
コロナウイルスの猛威は一応収まったものの、演劇を取り巻く関西の環境には依然として厳しいものがある。しかし高橋はきっぱりと言う。「助成金がとれない、観客が戻らない、とただ言っていても何も始まらない。面白いものを作れば、お客様は見に来て下さる。目の前にある芝居を面白くすること、それが大事なのだと思っています」。高橋もまた、演劇というライフワークを得て、日々を着実に生きようとする人なのである。

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