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関西えんげき大賞

劇評アーカイブス 嘆きの魂に捧げる鎮魂歌 エイチエムピー・シアターカンパニー『マクベス 釜と剣』 VIEW:1675 UPDATE 2021.11.25

シェイクスピア四大悲劇に挑戦

数々の古典作品の上演に挑んできたエイチエムピー・シアターカンパニーが新たにシェイクスピアシリーズを開始した。その第一弾に選ばれたのは四大悲劇の一つ『マクベス』だ(11月5日、兵庫県伊丹市のアイホールで所見、シェイクスピア原作、くるみざわしん作、笠井友仁演出・舞台美術)。魔女の予言に唆されたマクベスが主人であるスコットランド王ダンカンを暗殺する。だが、王座に就いたのも束の間、マクベスも反旗を翻したマクダフに討たれ、命を落とす。本作では原作のストーリーラインはそのまま踏襲しつつ、くるみざわしんが改作を試みた。演出家や出演者たちとの意見交換を重ねて編まれた労作だ。

男たちの闘争劇から女たちの物語へ

どのような創作がほどこされたのだろうか。とりわけ、目を引いたのは男たちの権力闘争の陰で徹底的に抑圧され続けている女たち――三人の魔女とマクベス夫人である。原作では魔女はマクベスの野心に火をつけて、王暗殺に導く。夫人は暗殺に怯んだ夫を叱咤激励しながら、彼に付き従う追随者だ。だが、くるみざわが描く女たちは異なる。彼は三人の魔女を「魔女」とは名指さず、権力者たちによって住んだ地を追われた「老女」とした。マクベス夫人には、「私のほうが男だ。戦に負けてみろ。女では生きていけない」と夫たちを罵る言葉を吐かせる。
老女も夫人も共に戦禍に喘いだ被害者であり、彼女たちに光を当てることで、男たちの愚かな権力闘争に冷めた視線を投げかけているのだ。このことは、本作の登場人物が全員女性によって上演されていることとも共鳴している。こうしてエイチエムピー・シアターカンパニー+くるみざわしんは、男たちの闘争劇を女たちの物語へと鮮やかに組み立てなおしてみせたのだ。

命を育む釜、命を奪う剣

副題の「釜と剣」も被抑圧者と権力者を象徴するアイテムである。釜は食物を煮炊きし、命を育むことができる道具だが、剣は命を奪うための道具である。演出の笠井友仁は、当日パンフレットで釜はマイノリティである魔女を、剣は権力者を示し、両者は対照的であると述べている。ところが、本来、正反対の性質を持っているはずの両者が本作では奇妙な関係を結んでいる。それを視覚的に示しているのが舞台美術の白い帯だ。この白帯は舞台天井から切れ目なく舞台上に降ろされ、円を描くように中央を取り囲むと、さらに舞台袖にまで伸びていく。垂直に垂れた白帯は、まるで地上に突き立てられた剣のようであり、始点と終点が判然としない様は権力闘争に終わりがないことを暗示しているかのようだ。
奇妙なのは剣、すなわち権力を表す白帯が、釜の口のように円を描いていることである。一体これは何を表しているのだろうか。釜は当初、三人の老女のものだった。それをダンカン王が奪い、息子のマルカムとその釜で裏切り者の首を煮詰めては、スコットランドの傷と病を癒す「王の雫」といういかさま薬を作っている。釜は一旦、老女たちの元に戻るが、終幕では亡霊となったダンカン王が再び釜をかき混ぜている。王の釜への執着は、徹底した搾取と自らの権威を保持するには不都合な部分を肩代わりする存在が必要であることを表している。白い帯についても、下から上へと目をやれば、円=釜が育んだ資源が剣=権力者に吸い取られていっているようにも見えてくる。

男のなかの男

本作のもう一人の女、マクベス夫人もまた、男性中心社会から締め出された人物である。彼女は自らを「男らしい」と自負し、マクベスからも「男のなかの男」と言われている。原作でこの言葉はマクベスを讃えるものだが、マクベス夫人を指す言葉に変えたところに、本作の妙味はある。これは老女がマクベスに告げた「女から生まれた者にはマクベスは倒せない」という予言にかかっている。原作においてこの予言は、マクベスを討つことになるマクダフが帝王切開で生まれたことを指しているが、現代では、帝王切開を母性や女性性を否定するものと解釈するには無理がある。そこで、くるみざわはマクダフをマクベス夫人の息子に書き換え、男に擬態することで男性中心社会を生き抜こうとした「男のなかの男」から生まれた子どもとしたのである。
たとえマクベス夫人が「男のなかの男」と讃えられようとも、男に擬態する限り、女性である己を阻害し続けることには違いない。それによって生じる不安定な心情を髙安美帆が細やかに演じた。その姿は一見、勇ましい。それは水谷有希が野心と自信のなさの間で揺れるマクベスの心情をメリハリの効いた演技でみせたことで、一層引き立った。そんな勇ましさの中に、髙安はまるで取り繕うのをやめたかのように、ふっと肩の力を抜く隙をつくり、マクベス夫人が抱える生きづらさを表した。

被抑圧者から見た歴史

終幕、全ての登場人物たちが亡霊のように舞台に現れると、舞台奥の扉が劇場の外に向かって開け放たれる。すると劇場裏手にある本泉寺が姿を現す。その厳かな佇まいは、嘆きの魂たちを優しく包み込んでいるかのようだ。シェイクスピアは『マクベス』を当時の国王ジェイムズ一世のために書いたという。権力者のために書かれた原作を被抑圧者の立場から裏返して見せたのが本作と言えよう。第二弾ではどの作品に挑戦するのか今から楽しみである。

記事の執筆者

梅山いつき(うめやま・いつき)

近畿大学文芸学部芸術学科舞台芸術専攻准教授
演劇研究者

1981年、新潟県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。演劇博物館で現代演劇に関する企画展を手がけ、現在、近畿大学准教授。アングラ演劇をめぐる研究や、野外演劇集団にスポットを当てたフィールドワークを展開している。著書に『佐藤信と「運動」の演劇』(作品社、第26回AICT演劇評論賞受賞)、『アングラ演劇論』(作品社、第18回AICT演劇評論賞受賞)、『60年代演劇再考』(岡室美奈子との共編著、水声社)など。

梅山いつき