コロナからの復興企画~関西演劇を広める、広げる

関西えんげき大賞

劇評アーカイブス 小さな日常こそ力強い――新聞「土曜日」の反戦 「ニットキャップ・シアター『土曜日の過ごしかた』」 VIEW:438 UPDATE 2026.04.30

散歩のすすめ。

ニットキャップシアター『土曜日の過ごしかた』が描く反戦のすがたは「散歩」という身近でささやかなアクションである。

2月に京都と東京で上演された本作(2026年2月21日観劇、ロームシアター京都ノースホール、脚本・ごまのはえ、演出・橋本匡市)。かつて京都で発行されていた新聞「土曜日」を取り上げた作品だ。
新聞「土曜日」は1936年(昭和11年)7月から37年11月にかけて京都の喫茶店を中心に置かれていた新聞。大きさはタブロイドで、普通の新聞の半分の大きさだったという。内容は映画評を中心にした文化欄、海外の雑誌記事を翻訳紹介した海外情報、地元京都を中心にした社会欄、婦人欄などがあった。特に読者の投稿欄に力を入れており、参加型の新聞を目指していたという。そんな「土曜日」の発行人もユニークだった。発行人の齋藤雷太郎は、本職は松竹下加茂撮影所に所属する大部屋俳優だった。大陸での戦争が激しくなるなか、新聞「土曜日」は様々な話題を京都の人々に提供し続けたが、昭和12年11月、警察の力により廃刊に追い込まれてしまう。
 『土曜日の過ごしかた』はそんな新聞「土曜日」の周辺を生きた京都の人々を描いた群像劇だ。日本が大きな戦争に突入していこうとする時代。それは国の軍国化に合わせて急速に言論と思想が統制されていった時代でもある。これは現代とは程遠い状況、とは言えないだろう。当初、自由で平等な言論空間として期待されたインターネット空間は、ちょっとした発言でも叩かれる、窮屈な空間になってしまっているし、コロナ禍以降、様々な立場の存在を尊重することを嫌う、同調圧力的な雰囲気がいまだ漂っている。そう思うと、『土曜日の過ごしかた』が描く戦中の状況に今の日本は重なる部分が大きいのではないか。秀逸なのは、終戦後、180度方向転換した後も描いたところだろう。戦争が終わって、「平和な民主主義国家になりました、よかったね」ではないのである。
では、「土曜日」界隈の人たちは一体どのように厳しい時代を乗り越えたのだろうか。物語の舞台は女店主が切り盛りする京都の小さな喫茶店。コーヒーはまだ珍しい嗜好品だった時代だ。多いとは言えない客の一人に斎藤雷太郎がいた。彼はこの店を打ち合わせに使って、少しずつ新聞「土曜日」の部数をのばしつつあった。偶然この店を見つけてやってきた大学教授の館林や、活動家の卵たち。文化的でのびのびとした雰囲気がコーヒーの香りにのって客席まで届いてきそうな雰囲気である。ところが、特高警察がやってきて、雷太郎や店員で密かに地下活動に手を貸している白瀬タカを探り始めるようになってから、店の様子は一気に息苦しくなっていく。
自称、自転車屋で実は特高警察の石本は、ある日、店に居合わせた雷太郎にこのように言って諭す。

石本 ワシはこう思うんや。春なったら、あの三角州、人いっぱいやろ。若い子が楽器の練習してる、子供らが水遊びしてる、家族で弁当ひろげてる。映画の撮影もやっとんな。みんなそれぞれ、バラバラや。でも、もし子供が川に流されたら、どうや?今までバラバラやった連中も、一つになって助けるやろ?
雷太郎 はい。
石本 な。今はそういう時代や。子供が溺れとる。みんなで協力せなあかん。文句ばっかりいう時ちゃうんや。思わんか?
雷太郎 いや文句じゃなくて、批判です。
石本 批判と文句はどう違う?
雷太郎 そりゃ違いますよ。
雷太郎、怒りのあまり言葉が出てこない。
石本 和をもって貴しとなす。それがホンマの日本人や、な。

このように石本は新聞「土曜日」に広がる自由な言論空間を批判する。自分の新聞が「文句」だと言われたことに怒りをおぼえる雷太郎。石本が当たり前のこととしている、溺れた子供は誰もが助けるという話には、客席にいるこちらも聞いていてムッとした。確かに、自分だってそんな危機的状況に遭遇したら、助けようとするだろう。ただし、それを言論と同じ土俵で語っているところに強烈な違和感をいだく。石本は雷太郎に溺れた子供は死んでもいい存在なのか?と問うているわけだが、あたかも命を人質にとって、自由な言論を封じようとする石本の態度は、国家に命を捧げることを強要した戦時下の日本政府そのものだ。
その後、雷太郎と「土曜日」に積極的に映画評を投稿していた大学教授の館林は特高の取り調べを受けることになる。取り調べは奥歯に物が挟まったような、警察は一体彼らのなにを問題視しているのかはっきりしないなかで長期間続く。精神的にかなりきつい状況にもかかわらず、雷太郎を演じた西村貴治と館林を演じた門脇俊輔は淡々と、どこか飄々としているように見える態度で取り調べの場面を演じた。それによって、かえって彼らの信念の強さが見るものに印象付けられた。
終戦後、180度価値観が変わった日本。二人の態度は戦中ともあまり変わらない。一方、元特高の石本は酒に溺れ卑屈な中年になっている。雷太郎はそんな石本を批判することもなく、冷めた態度で接し、進駐軍の通訳で潤った館林もまた、石本を拒むことなく、進駐軍から入手した物資を分けてやっている。ただ、二人の淡々とした態度には、どうやっても言い尽くせない怒りが隠されているようでもあった。
冒頭触れた、「散歩」の話は劇終盤に雷太郎と米次郎の会話に出てくる。米次郎は京都市電の運転手をしていたが、徴兵され、終戦後も戦地での体験に苦しめられ、酒に溺れる日々を送っている。平和な世の中になったとはいえ、彼のように戦争の記憶に人生を縛られ続け、自由になれない者は数限りなくいたはずだ。そんな米次郎に雷太郎は次のように言葉をかける。

一度散歩してごらん。困ってる人、怒ってる人、泣いてる人。なんで困ってるんだろう?その理由を調べる。すると今の世の中、何が足りてないか、だんだんわかってくる。それが、ま、商売のタネですな。

歩く速度を少し遅くすれば、何もない、淡々とした日々の生活の中に見えてくる人々の表情がある。雷太郎にとって、ここでいう散歩とは彼なりの社会との向き合い方なのだろう。先に触れた、石本との会話で、静かな怒りを滲ませた彼らしい態度だ。そして、さも当たり前のように命を人質にとって言論の自由を抑え込もうとした石本と、彼に象徴される社会の同調圧力への彼なりの反論でもあろう。日々の小さな生活の営みをつぶさにみつめ、愛しむことこそ、新聞「土曜日」の反戦なのだ。
本作は「京都物語プロジェクト」という、一般社団法人毛帽子事務所が表現者と地域のつながりを通じて、地域文化を掘り起こす演劇プロジェクトをベースに作られた。ごまのはえを中心とするプロジェクトのメンバーが、京都に住む人々から暮らしに関する話や昔の写真などを収集するリサーチをおこなったという。丁寧な作品作りが舞台を動かすエネルギー源となっている。同様に地域に根ざした作品として2025年に上演された「さらば、象」でニットキャップシアターは、関西えんげき大賞最優秀作品賞を受賞している。劇団が醸し出す成熟した佇まいに引き込まれる演劇ファンはいま、確実に増えている。今後の活動も楽しみだ。

記事の執筆者

梅山いつき(うめやま・いつき)

近畿大学文芸学部芸術学科舞台芸術専攻教授
演劇研究者

1981年、新潟県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。演劇博物館で小劇場演劇や野外劇に関する企画展を手がけ、現在、近畿大学教授。アングラ演劇をめぐる研究や、野外演劇集団にスポットを当てたフィールドワークを展開している。東西奔走して劇場をめぐる放浪評論家でもある。著書に『佐藤信と「運動」の演劇』(作品社、第26回AICT演劇評論賞受賞)、『アングラ演劇論』(作品社、第18回AICT演劇評論賞受賞)、『60年代演劇再考』(岡室美奈子との共編著、水声社)など。

梅山いつき