コロナからの復興企画~関西演劇を広める、広げる

関西えんげき大賞

の劇評 兵庫県立ピッコロ劇団の演出家・眞山直則と劇団部長・田窪哲旨が語る演劇のキャパシティ VIEW:1179 UPDATE 2023.06.29

1994年、全国初の県立劇団として旗揚げした兵庫県立ピッコロ劇団。兵庫県立尼崎青少年創造劇場ピッコロシアターの付属劇団だ。民間の劇団がほとんどの日本において、その存在は貴重である。作品創作のほか、独自のアイデアで様々な社会的活動を行い、地域貢献している。活動の幅広さは比類ない。
まず公演活動としては、本公演のほか、「オフシアター」(劇団員が主体となり、小ホールで行う実験的な公演)、大人も子供も楽しめる音楽劇「ファミリー劇場」、さらに兵庫県内の中学生をピッコロシアターに招待して上演する「ピッコロわくわくステージ」や、兵庫県内の小学校の体育館などで上演する「おでかけステージ」を加えると、年間約6作品、ステージ数約50(令和5年度見込み)に及ぶ。それを35人の劇団員で行っている。
さらに、演劇という手法を使って、様々な地域の課題に取り組むワークショップを意欲的に行っている点が注目される。長年にわたりノウハウを蓄積し、演劇の可能性や社会的意義を深め続けている。
7月21日からピッコロシアターで上演される『やわらかい服を着て』を前に、同作のテーマや見どころを、演出家である劇団員の眞山直則にお聞きし、また社会的な活動について、眞山と劇団部長である田窪哲旨にインタビューした。

すぐ隣にいる人とわかりあえない挫折と悲しみ

『やわらかい服を着て』は、永井愛の作・演出で2006年に新国立劇場で初演された作品。人道支援に取り組むNGOの若者達を描いた群像劇で、舞台は、彼らが事務所兼作業場として借りている、元・工場の倉庫。2003年2月に世界で連鎖したイラク戦争への反戦デモの翌朝から始まり、イラク開戦から3年後の2006年までが描かれる。2004年に起きたイラク人質事件もモチーフとし、当時吹き荒れた自己責任論の矛盾もつく。
ピッコロ劇団では、上演したい作品を劇団員や職員達が提案し、企画書を提出。何度かの会議でのプレゼンを経て決定されるが、この作品を提案したのは、演出家の眞山直則だ。ロシアによるウクライナ侵攻が続く現在、非常にタイムリーなテーマだが、提案したのは2021年だった。眞山は語る。「2020年春に緊急事態宣言が発出され、その1年後、劇団活動は制限されつつも行っていた時期で、個人として時間もありました。その機会にいろんな戯曲を読み、この作品と出会って、上演したいと強く思いました。永井さんは、いつも日本人論を書いていらっしゃいます。この作品では、若者達が彼らの目指す正義に向かって、どのように歩んでいるか、ということが描かれています。そして、人物達の志は高く、『戦争が止められるかもしれない』と語ったりもしますが、突き当たるのは世界の問題ではなく、今、すぐ隣にいる人とわかりあえない、ということです。活動自体も行き詰まっていきます。挫折や怒り、悲しみが深まっていき、高みを目指す行為が、必ずしもうまくいくわけではない。それを、決して皮肉で描いているのではなく、どなたにも伝わる実感の持てるテーマとして展開されている点に惹かれました」。 舞台中央には、大きな丸テーブルが置かれる。リーダーである一平(原竹志が演じる)が宝物のように大事にしているテーブルだ。「一平は、このテーブルで、年齢や経験値を取りはずし、皆が同じ目線で話し合えると思っていました。いわば理想の象徴なんでしょうが、それがなかなかうまくいかない」。
タイトルの「やわらかい服」からもインスピレーションを得たと言う。「僕は48歳ですが、『人って怖いよね』と、あえて口に出して言うようにしています。人間が怖い、という意味ではなく、自分という個があって、人とどうコミュニケーションをとるかで、びびっています。そのため、まず『僕はあなたの敵ではない』ということを表すために笑顔から始めて、おどけたり、人のことをちょっとからかってみたりと、オートマティックに行っています。でもそういうことを意識せずに、人と接する時に生じる小さな恐怖を、一旦認めようと思います。わかりあえないかもしれない。だからこそ、もっとつなぎあっていきたいです」。

未来へと継承するものは何か

登場人物には、戦争を止めるという夢や理想を追うリーダーの一平がいる一方で、同じ志を抱いて一緒に活動を始めた恋人は、現実的に、開戦は避けられないと考えるようになり、戦争が始まった後の難民支援にシフトすることを主張する。次第にグループ内で意見の対立が生じ、恋愛模様も雲行きが怪しくなっていく。
「人間関係のもつれが解消せず、互いに許せないことがあります。ただ、登場人物達が対峙している、世界を巡る大きな問題も、結局、許せないことが複雑に絡み合って生じているのだと思います。でも、彼ら若者達が『明日』を目指せるなら、世界全体も、明日(未来)を目指せるのかもしれない。演劇は、啓発することはできないメディアです。ただ、隣にいる人に対して、想像力を持つことができます。それがひいては海の向こうへの想像力につながるはずです。それが演劇の強みだと思います」。
この作品は、新国立劇場の栗山民也芸術監督(当時)から、永井愛に「激動する時代の中で未来へと継承すべきものは何か」というお題で書き下ろしを依頼され、誕生したものだ。初演から17年経っても古びない、それどころか、さらに同時代的テーマとなっている。公共ホールの劇団として、まさに今、取り組むべき課題である。

演劇の手法を使って、地域の課題に取り組む

前述の通り、兵庫県立ピッコロ劇団は、公演活動と並行し、公共ホールの役割として、地域の課題に取り組む活動も活発に行っている。課題の解決に向けて、演劇という手法を使うことで、演劇の可能性を広げている。
たとえば「にほんごであそぼう」。NPO法人小野市国際交流協会、小野市うるおい交流館エクラと協力し、小野市周辺で生活する外国人と日本人が一緒にワークショップを行い、地域コミュニティ作りを実現している。日本語での会話もままならず、習慣も違い、共生がなかなか進まない外国人と日本人。その距離をどのようにして縮めていくか。それは、現代日本の各地域の大きな課題である。「にほんごであそぼう」の事業の初年度(平成30年度)は、外国人のみの参加で、まずは外国人同士のコミュニケーションを誘った。そして翌年からは、日本人も参加し、コミュニケーションの輪を広げている。ワークショップでは、冒頭、まず簡単なゲームから始め、その後は、例えば防災をテーマにした時は、避難場所や避難方法について、身体表現を取り入れながら楽しく学んでいく。
「にほんごであそぼう」以外の取り組みもある。児童養護施設小学生ワークショップなど、子供向けの行事も盛んに行っている。
演劇の方法論を使ったコミュニケーション・ワークショップは、劇団員がリーダーとなって行うが、その内容を、劇団部長の田窪哲旨は次のように語る。「小学生向きのワークショップでは、例えば『言葉と身体を使って、皆で大きな船を作ってみましょう』と提案するところから始めます。皆で並んで船の形を作り始めると、自分は何をやる、といった役割分担が子供達の中で自然にでき、あっという間に仲良くなり、合意形成ができていきます。その後、船を動かしてみよう、と発展させていくと、遊びながら芝居の1シーンのように膨らんでいきます。その過程で、『この人には、こんないいところがあったんだ』と他者発見にもつながります。自分から勇気を出して、『自分は舳先になる』と言って、大きな役割を引き受けた子供は、やり遂げることで自己肯定感にもつながります」。
大事なことは「ワークショップの場作り。ここは、安心、安全な場所であるという雰囲気作りから始めていきます」。
眞山は「必ず参加しなきゃということではなく、ただ、見てくれているだけでもいい。参加している人と見学している人の両方を見守っていることが大切です。ずっと見学していた子供が、ふと、自分も参加したいと思ってくれる瞬間がある。そのサインを見逃さないようにします。サインとは、ちょっとした視線の動きだったりするのですが。ただ、そういう子供がいると、積極的に参加していた子供が、子供同士で自然に誘ってくれたりもします」と語る。
ほかには「壁新聞を演じてみる」というワークショップも実施している。高校生以上を対象に、一般に参加を呼びかけるものだ。様々な新聞を持ちより、回し読みをして、気になった記事を参加者が切りとって内容を話し合う。そして、記事を大型紙に貼り付け、見出しを付けて壁新聞を作る。その後、記事をもとにした短い演劇作品を作ることにつなげていく。参加者同士の交流を通し、他者理解や想像力、表現力が引き出され、現代社会への理解も深まっていく。

演劇にはすべてを包み込むキャパシティがある

多様性の時代と言われるが、もともと世界は、最初から多様性で成り立っている。
例えばワークショップでも、積極的に前に出ていくことのできる子供もいれば、人前に立つことができなくて、見ているだけの子供もいる。それは、大人の世界でも同様だ。強い人もいれば、弱い立場の人もいる。時代の先頭を走っている人もいれば、ゆっくり最後尾を歩いている人もいる。眞山は「演劇には、すべてを包み込むキャパシティがある」と意気込む。「公共には、最後尾を支える予算がつく」と、格差社会の中、下支えしていく文化行政の役割を強く認識する。
ピッコロ劇団は、障害のある方への情報保障にも積極的で、これまでも視覚障害者のための音声ガイドなどを制作してきた。本公演では、聴覚障害者への情報保障として、舞台の横に日本語字幕を付けるステージもある。
障害のある人にも、等しく文化芸術を楽しむ権利がある。民間の劇場、劇団では、それがわかっていても、予算など実現の難しい面はあるが、公共では(日本では文化行政の予算が潤沢とは言えないものの)、知恵と工夫と熱意があれば実現できる。ピッコロ劇団は、障害のある人への対応も工夫を重ね、じわじわと進化している。日本の最先端になりつつあると言っても過言ではない。

コロナを経て、演劇が担うもの

コロナを経た今、演劇の役割がさらに深まっていると、田窪は語る。「コロナ以降、人と人の距離が離れてしまって、社会の中で疎外感を抱く人がいると思います。個人的な意見ですが、映画を一人で見に行った時は、闇の中で一人スクリーンを見詰めている気がします。演劇は、一人で見に行っても、隣の人が近くにいることを感じながら、生で行われていることを一緒に見て、一緒に笑っている気がします。演劇のワークショップは直接的に人と人がつながる楽しさ、難しさを体で感じることができます。人と人の距離を取り戻すために、演劇はそのニーズに応えていかなければと思います」。

記事の執筆者

()