「伝統」が息づく
劇団師子座として旗揚げし、現在名に表記を変更した後も、コンスタントに活動を続けている劇団しし座。本公演に加えて、毎年のように若手を中心としたスタジオ公演を行っており、今年は『ポプコーンの降る街』を上演した(6月11日、大阪市西成区のヌーヴォー・スタシオンで所見、作・み群杏子、演出・梅谷浩晃)。
現代演劇は継承とはあまり縁がないと思われがちだ。しかし、先達から後輩へ、技と心が綿々と伝えられてきたからこそ今がある。若手公演はその最たる例だ。そう考えると、現代演劇にも「伝統」が息づいている。しかも今回の上演作は30年前に初演されたものである。立派な継承と言える。
強い思いそのもの
本作の舞台は古いビルの中にある探偵事務所だ。事務所の主である探偵・野放風太郎(のばなし・ふうたろう/斉藤彰一)は、タキ(服部優香・濱田陽の役替わり)という娘を助手にしている。そこへ美都(みと/堀部由加里)という女が飛び込んでくる。風太郎に後をつけられたと苦情を言いに来たのだ。しかし風太郎には心当たりがない。
後日再びやって来た美都は、捜してほしい人がいると告げる。18年前の消印がある手紙が郵送されてきたのだが、その差出人・野放風太郎を見つけてくれというのだ。風太郎からの手紙はその後も続き、消印の日付はどんどん新しくなっていく。そして、去年の日付の手紙が届いたのは、美都が最初に事務所にやって来た日だった。いったいどういうことなのか?
風太郎は思い出す。自分は確かに美都をつけていた。18年前、夜間高校で学んでいた風太郎は、机の引き出しに忘れられた探偵小説がきっかけで、美都と手紙のやり取りを始めたのだ。お互い顔も知らないまま1年が過ぎ、2人はついに会う決心をする。しかし、約束の場所へ向かう途中、風太郎はオートバイ事故で命を落とす。残ったのは、美都に会いたいという強い気持ちだ。その気持ちは現実を乗り越え、風太郎は強い思いそのものとして存在しているのだった。
やっと会えた2人。しかし、その後どうなるかは作品には描かれない。現実的に考えれば、生者と死者が現世で共に過ごすことはあり得ない。だが、もしかしたらそうなるのではないかという気持ちにさせてくれる。
助手のタキと、路地裏の手品師である少女・チルチル(服部優香・濱田陽の役替わり)が登場する場面は強いアクセントになっている。空想を語り合いながら、物語の芯を作っているのだ。たとえばチルチルは「誰かの強い意思の中で存在すればそれは、死さえも乗り越えられるって……」と、風太郎の状態を示唆する。それを受けてタキは「あいつ(筆者註:風太郎のこと)、変なんだ。何か、思い出せないものがあって、そのために、変になってる」と、この先の展開へとつながる。
効果的なコントラスト
今回、タキとチルチルは、若手の服部優香と濱田陽が役替わりで演じた。ダブルキャストではない。両方の役を、全6ステージのうち3ステージずつ務めるのである。つまり、公演によって2人の配役が逆転するということだ。若手俳優にとっても演出家にとっても高いハードルだが、観客としては楽しみが増す。所見日のタキ役は服部、チルチル役は濱田であった。タキは明るく元気で、声も素直で伸びやか。一方のチルチルは落ち着いた低めの声で、少し謎めいた雰囲気。帽子にベストに半ズボンという少年のようないで立ちもよく似合っていた。2人のコントラストが効いており、反対の配役を鑑賞できなかったのが残念である。
風太郎役の斉藤は、しし座の若手だが、上記の2人よりは経験年数が長い。本公演では先輩たちについていく役回りが多いが、今回はセリフや身体表現に落ちつきが見え、舞台全体をまとめる役割も果たした。美都役の堀部由加里(客演)は明瞭な言葉が耳に心地よい。風太郎と美都がお互いの気持ちや出会い、経緯等を話すくだりでは、2人ともテンポよくセリフを運ぶ。ともすれば説明的になりがちな場面を、その時々の風景が思い浮かぶような生きた表現に昇華した。
さらに、今回の演出を担当した梅谷は、劇団では若手から中堅世代にさしかかりつつある。本公演では主に俳優として活動しているが、演出を手がけることで見えてきたものがあるのではないか。クライマックスのしゃぼん玉を降らせる場面では、情緒過多に陥ることなく、美しくファンタジックな世界を見せた。
先に述べたとおり、本作は1992年に同劇団が初演している。梅谷はパンフレットに「30年を経て時代は移り、物事や常識は少しずつ姿を変えていきましたが、物語の持つエネルギーは不変だと自分は考えております」と綴っている。本作品のエネルギーは、ファンタジーを追求していることに尽きるのではないだろうか。人は、いつの時代もファンタジーを求めるのだ。