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関西えんげき大賞

の劇評 現代社会の問題とリンクする、劇団五期会の『ハムレット奇譚』。井之上淳が、大胆なシェイクスピア解釈を語る。 VIEW:887 UPDATE 2022.09.09

劇団五期会が、シェイクスピアの戯曲『ハムレット』をベースにした『ハムレット奇譚』を上演する(9月30日~10月2日、大阪市のABCホールにて。シェイクスピア原作、イシワキキヨシ翻案・脚色、井之上淳演出)。翻案・脚色のイシワキキヨシは、井之上淳のペンネームである。
原作の物語の骨格を借りながら、独自の解釈を交えたオリジナル・ストーリー。血と権力、愛憎が渦巻く世界から、現代社会が垣間見える構造だ。
翻案・脚色・演出の井之上淳に、新作についてインタビューした。

シェイクスピアに、現代の問題を重ねる

劇団五期会は、これまでにも『山人のリア』(2017年、原作は『リア王』、岩崎正裕脚本)、『Why are you Romeo?~あざなえる戀~』(2018年、原作は『ロミオとジュリエット』、森脇京子作)、『The Merchant of ZIPANG』(2021年、原作は『ヴェニスの商人』、イシワキキヨシ翻案・脚色)と、舞台を日本に変えるなどの翻案・脚色をしながら、シェイクスピア戯曲を上演してきた。シェイクスピアの翻案に興味がある理由について「まずシェイクスピア戯曲には、僕自身が俳優として演じてみたい役があります。膨大な台詞量で、日常的ではない言葉。それを、どう日常的に見せていけるのか。俳優として、限界までチェレンジできる作品です。『リア王』と『ヴェニスの商人』に出演したことはあります。その時は原作そのままの上演でした。僕は、さらに現代性を際立たせたいと思い、今、私達が生きている時代性を重ねて脚色をするようになりました」。
俳優として演じてみたいーという思いから始まったシェイクスピア翻案劇だが、脚本と演出を担当することにより、劇団での自身の出演は「小さい役」とのこと。それについては「演出と主演を兼ねるのは、ハードルが高く、また、劇団でやる以上、若手を登用したい思いがあります。自分も演じたい気持ちはありますが、若い俳優にやってもらうことが、いやじゃなかった(笑)。焼きもちも焼かなかった(笑)。もともとシェイクスピアの舞台が好きな理由は、演じる俳優がかっこよかったから。憧れの俳優さん達が演じている舞台から、俳優として呼吸や発声方法を盗もうとした時期もあったくらいです。その意味で、劇団の若い俳優のかっこいい姿を見たいという思いもあります」。

権力者のエゴ

『ハムレット』はシェイクスピアの4大悲劇の一つ。原作のストーリーは、デンマーク王の息子であるハムレット王子が主人公。父の急逝に伴い、父の弟のクロ―ディアスが王になる。ハムレットの母のガートルードはすぐにクロ―ディアスと結婚し、王妃になる。ハムレットは、尊敬する父の死のショックの中、喪が明けないうちに、義弟の寝室に通う母が許せない。憂鬱な日々を送っている時、父の亡霊が現れる。彼は、自分が実は毒殺されたことと、その犯人がクロ―ディアスであることを告げ、ハムレットに復讐するよう頼む。ハムレットは、犯罪の証拠を掴むため、正気を失ったふりをして真相を探る、という内容だ。
原作では、ハムレットは復讐を遂げたものの、自らも殺されるところで終わるのだが、今回の作品では、その50年後から始まる。冒頭、ハムレットの友人のホレイショ―が登場する。死ぬ間際のハムレットから、王家に起きた出来事を人々に伝えるよう頼まれたホレイショー。50年後、老いた彼が、墓堀り達と再会し、驚くべき真実を知り、その話をシェイクスピアの孫に語って聞かせる形で進む。
脚色に込めた思いを、次のように語った。
「まず、権力者のエゴについて描きたいと思っていました。そして、台本を書き始めた時、ロシアによるウクライナ軍事侵攻が起きました。マリウポリの劇場が爆撃された時、『戦時下でも、文化財は保護される条約を国連が定めているのではないのか。それでも戦争では、こうなってしまうのか』と、忸怩たる思いがありました。劇場の中には、避難していた市民達がいました。痛ましいことです。今回の作品では、その話も入れています」。
登場人物は原作通りだが、人物像が随分と異なる。
例えば、クロ―ディアス。野心のため兄を殺す残虐な人物像ではなく、知性のある人物として描かれる。
「クロ―ディアスは、知性的で正論は言うが、実際に王になると、人々を動かし、具体的に対処するエネルギーに欠けていたのではないのか。それに対し、兄である先王は、剛腕を振るい、集団を動かしていく力があったのではないか。独裁者的ではあるが、ある意味、それも必要な力だったのかもしれない。そういった、指導者の能力について、書いてみたかった」。
兄と弟の関係に、現代と通底する権力構造が焙り出される。
「権力を持った時、冷静な判断ができなくなる人は多いと思います。人間は、手放したくないものを持った時、執着する。その傲慢さがこの芝居から見えてきたらいいと思います。権力者も、人間として立派かというと、そうでもない。普通の人と大差ないのだと思います」。

道化への思い

後半、道化のヨリックが思わぬ形で現れる仕掛けがある。原作ではハムレットが子供の頃、よく彼をおぶって、洒落を言ってくれていた男。ハムレットが墓の中から見つけた頭蓋骨が、彼のものだったという場面がある。今回、どういう形で現れるかは、見てのお楽しみだが、道化を登場させた理由について「ウクライナのゼレンスキー大統領は、もとは喜劇役者でした。そして、2022年3月の英国下院議会でのビデオ演説で『ハムレット』の有名な台詞『To be ,or not to be』(注:様々な訳があるが『生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ』という訳が一般的には知られている)を引用し、『逃げるべきか、逃げざるべきか。そして、逃げない、を選んだ』と語ったことでも知られています(注・ゼレンスキーの言葉は、『迷わず、生を選ぶ』とも訳されている)。御存じの方には、劇中、重なる部分があると思います」。

女優が演じるハムレット

今回のハムレット役は、女優が演じる。「内山絢貴が演じます。表現力と理解力が抜きん出ている俳優であるということ。そして男性が演じると生々しくなるところを、女性が演じることで、グロテスクではなく、消化された状態になることも期待しています」。
「ハムレットは、母への思慕がぬぐえない。母の貞操観念のなさにこだわっています。自分の母親を聖母のように捉える時、男の弱さが出てしまう。精神的に自立できていないのだと思います」。
息子の母親に対する愛情と、その呪縛が描かれた戯曲を、女性が演じることで、生々しさが消え、本質的な問題が浮かび上がることに期待したい。

家庭劇の側面が色濃く描かれる

原作とは、夫婦関係の意味でも別の視点が加わっている。亡くなった先王と妻の関係について、ガートルードは本当に夫を愛していたのか?というところに、疑問符が投げかけられる。さらに、ガートルードが結婚前から心に秘めていた、ある思いについてのエピソードも挿入される。
「先王は、自分の愛し方を押し付けるタイプで、妻にとっては支配的に感じられたのではないかと捉えています。それに対し、クロ―ディアスは、彼女を理解し、寄り添う愛し方だったのではないか。しかし、そんなクロ―ディアスも権力を持ち、エゴイスティックになり、さらに追い詰められた時、自信を失い、その弱さゆえ暴力的になっていく。言葉が出なくなり、論争ができなくなった時、力で抑え込もうとする。それは、人間の弱さだと思います」。
「『ハムレット』という作品には、政治的な仕事をしている場面はなく、私的なことばかり描かれています。人間の弱さと欲が描かれています」。
家庭内の精神的暴力や支配関係は、現代社会の大きな問題のひとつだが、現代にリンクする家庭劇の面が強調されそうだ。

演劇界に必要なものとは

最後に、関西演劇界に、今必要と思うことは何かをお聞きすると、日本全体で、という意味での答えが返ってきた。
「スポーツは、国がサポートします。ダンスも、中学の必修科目になっています。演劇も、学校の授業に入れてくれたらいいな、と思います。演劇は情操教育として効果があると思います。演劇を学ぶことで人間観察ができる。自分と他者の観察ができるようになる。コミュニケーション能力もつきます。また、そうすれば、演劇に携わる人も増えて、いろんな意味で広がっていくと思います」。
他者の観察。今回の作品でも、シェイクスピアを新たな視点で読み返し、観察している。
来年には創立50周年を迎える、老舗の劇団だが、井之上淳のアイデア・企画力には定評があり、新鮮な発想で創作活動を続ける。代表の尾崎麿基を中心に、ベテランの名優も揃っている。大胆な解釈を加えた『奇譚』に期待が高まる。

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